田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『増補 日本凡人伝』より。凡人たちの声に耳を傾けることのできるリーダーを待望します。

この「凡人伝」のテーマがサラリーマンうんぬんっていうことになってるけれども、僕はしょせんサラリーマンなんてのはねえ、自分の人生観がどうのとか、カッコいいこと言ってるけれども、ホントのところはね、九割の人は無我夢中で、気がついてみたら四十、五十になっていたってとこじゃないかと思うね。
そういう点じゃあね、猪瀬さんね、僕はいま四十六で、もうすぐ七になりますけどね、怖い。すぐ五十になっちゃうんだもん。
(猪瀬直樹 著『増補  日本凡人伝』ちくま文庫、2013)

 

 こんにちは。昨夜、サッカー男子の予選リーグ初戦「日本 対 南アフリカ」の試合を観ながら、高速道路のサービスエリアが「道路公団民営化」を境に見違えるようにきれいになったのと同じように、これも猪瀬直樹さんのおかげだな、と、そう思っていました。猪瀬さんがオリンピックを引っ張ってきてくれなかったら、或いは道路の権力と闘ってくれなかったら、サッカーの試合を楽しむことも、サービスエリアでスターバックスの珈琲を楽しむことも、できなかったのだろうな、と。もっといえば、猪瀬さんが都知事を続けていたとしたら、小学生が久保健英選手のゴールを「生」で観ることもできたのだろうな、と。猪瀬さんの十八番であるファクトとロジックがもっと重視されていれば、少なくとも「この1年間、国や都は何をしていたの?」なんていう声が上がらない程度には、うまくコロナを抑え込めていたのではないか、と。それにしても、今朝、朝日新聞(DIGITAL)が配信した「森元首相に『名誉最高顧問』就任案 五輪組織委が検討」という記事には驚きました。凡人には全く理解できないロジックです。敵に塩を送るということでしょうか。詳しくは猪瀬さんの『東京の敵』を、ぜひ。

  

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 凡人にも理解できるロジックを展開しようと思ったら、まずは凡人のことをよく知らなければいけません。そこで登場するのが、猪瀬さんの『日本凡人伝』です。冒頭の引用なんて、まさに凡人ぽくって、わかりみが深い。

 

『日本凡人伝』というインタビューシリーズで、消防士や地下鉄車掌やマンション販売人や捕鯨船の砲手や出版社のトラブル処理係など、数えきれないさまざまな現場のプロフェッショナルな仕事の内幕と苦労と努力について知った。

 

 五輪誘致の舞台裏と、ゆり子夫人と過ごした40余年の日々を描いた『さよならと言ってなかった  わが愛 わが罪』に登場する一節より。

 

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 猪瀬さんは凡人のことをよく知っている。ゆり子夫人は小学校の教員だったから、パートナーを通じて教育現場のこともよく知っている。労作『ミカドの肖像』を読めばわかるように、日本のこともよく知っている。ファクトとロジックの大切さも知っている。そして道路公団民営化や五輪誘致を成し遂げるくらいに、勇気と決断力と実行力がある。そう考えると、否、どう考えても、これ以上首都のリーダーに相応しい人はいなかったのに、嗚呼。

 

 凡人は残念に思います。

 

 

 猪瀬直樹さんの『増補  日本凡人伝』を読みました。そうそう、これこれ、と共感しながら読みました。そうそう、これこれ、というのは、昨年度(5年生)に続いて本年度(6年生)も、大人をゲストに呼んで人生を語ってもらって、その後に子どもたちによるインタビューの場を設けるという、キャリア教育的な授業(総合的な学習の時間)を続けているからです。そうそう、クラスで探究しているのは、これです。

 

 例えば都バスの車掌さん。

 

昔は、もちろん、いっぱいいたでしょ。
三千人ぐらい、いたかしら。
へー、三千人が五人にねえ……(絶句)。凄い落差ですねえ。ところで、あなたはこの組合支部の、婦人部長ですが、この職場には、他に女性がいますか。

 

 都バスに限らず、バスって、昔は運転手さんと車掌さんの二人で「ツーマンカー」として走っていたんですね。知りませんでした。それが合理化の波を受けて「ワンマンカー」となり、車掌という職制は「3000人が5人」になるくらいの勢いで不要なものに。サブタイトルに「都バス車掌・東京都交通局 目黒自動車営業所車掌 丸山絹子女史の場合」と名付けられたこの「去れどわが日々」を読むと、消えゆく職業に就いている凡人の苦労と努力がわかります。

 

 例えば太地の漁師さん。

 

⚪やはり、半年も子供の顔見ないで向こうへ行ってると寂しいってときもありますか。
⚫ないって言ったらウソになるでしょうね、絶えず女房や子供のことは……。大砲握れば思いませんけどね。鯨探しているときに鯨が見えない。ここの漁場はちょっと寂しいなあってときには、やっぱりフッと思い出しますよね。

 

 和歌山県は太地町の捕鯨船で働く砲手の背古昌尚さんへのインタビュー。初任校が遠洋漁業の基地と呼ばれる漁師町だったので、そして半年どころか1年以上帰ってこないパパもいたので、当時のことをフッと思い出しました。

 インタビューを受けるまでに11506頭もの鯨を撃ったという背古さん。鯨の供養もするそうで、下一桁まで正確に覚えているところに鯨へのリスペクトを感じます。うちの学校の全校児童は約300人です、みたいに大雑把にしか答えられない校長はNGですから。猪瀬さん曰く《『白鯨』のエイハブ船長みたいに一度会った鯨にまた会うなんてことは、ありますか》。総合の授業だったら「いい質問です」って余計な口を挟んでしまいそうです。

 

 例えば発明家の松田千秋さん。

 

⚫帝国海軍は大東亜戦争において、情報力で敗れたのですッ。
⚪ウーム、そう信じつづけてるんですね。
⚫そうですッ。

 

 元船艦大和艦長の松田さんは、かの有名(?)な「総力戦研究所」でシミュレーション指導をしていた、もと軍人さん(海軍大佐)です。総力戦研究所というのは、ファクトとロジックを武器に、日米戦争開戦の半年前に「日本必敗」という未来を予測した、おそらくは今でいうところの有識者会議みたいなものです。詳しくは猪瀬さんの『昭和16年夏の敗戦』を、ぜひ。

 松田さん曰く《もう一年早くああいう結論(日本必敗)が出ておれば、あんな馬鹿馬鹿しい戦争は無かったッ。手おくれだったよ》。もう一年早かったとしても、日本はその馬鹿馬鹿しい戦争に突入したんじゃないかなぁ。一年延期したにもかかわらず、無観客になってしまったオリンピックのことを考えると、そう邪推してしまいます。だからこそ日本の歴史も弱点も知り尽くしている猪瀬さんに、都知事を続けてほしかったな。

 

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 凡人伝は、葬式中継アナウンサー、スジ屋、調香師、消防調査員、地下鉄車掌、億ション販売人、ウォークマン開発者、セ・リーグ審判員、漫画家、死刑廃止を訴える元東京拘置所所長、日本最初のホスピス院長と続いていきます。こういった人たちの話を学校で聴けるようになったら、子どもたちの社会を見る目が変わっていくだろうなぁと思います。社会を支えているのは凡人たちですから。その凡人たちの声に耳を傾けることのできる猪瀬さんのようなリーダーの登場を、ただただ待つばかりです。

 

 もうすぐオリンピックの開会式です。

 

 猪瀬さんに、感謝。