田舎教師ときどき都会教師

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梅棹忠夫 著『女と文明』より。男女のあいだに「ほんとうに人間的な愛情にみちた交渉をもつ」ためにも、長時間労働の是正を。

 学校における保護者のつどいの変遷は、この事情をあきらかにものがたっている。むかしは、保護者といえば父兄であった。家長ないしはその候補者が、子女の教育の責任者であった。保護者会には父が出席した。それが、しだいに母におきかえられてきたのである。
(梅棹忠夫『女と文明』中公文庫、2020)

 

 こんばんは。夏休み前に行われた保護者会の出席者は全て「母」でした。同じく夏休み前に行われた個人面談の出席者は2人をのぞいて全て「母」でした。まっ、教員になってからずっとそんな感じですが。引用にある「むかし」と比べると隔世の感があります。

 

 父 → 母

 

 これが「父 → 母 → 母 or 父」になるというのが、名著『文明の生態史観』で知られる梅棹忠夫さん(1920ー2010)の予言です。

 半世紀以上も前に書かれた論稿「女と文明」にて、梅棹さん曰く《現代の文明の傾向としては(中略)家族の解体の方向にわれわれはすすみつつある、ということだけは、いえるのではないだろうか。女の力は、そこまでこなくてはとどまらない。よけいなことをつけくわえるようだけれど、それはそれで、もちろんすこしもさしつかえないとわたしはおもうのである》云々。

 

 女の力は「母 or 父」までこなくてはとどまらない。

 

 にもかかわらず、依然として日本社会が「父 → 母」にとどまっているのはなぜでしょうか。

 

 

 梅棹忠夫さんの『女と文明』を読みました。フェミニストの上野千鶴子さんに影響を与えたという、「女と文明」(1957)、「妻無用論」(1959)、そして「母という名の切り札」(1959)の3稿 + α を収録している論稿集です。

 

 まず「女と文明」より。

 

 封建制をやめ、民主的な社会制度をとるようになってからというもの、経済的な実権を握っている夫に対抗すべく、妻は家事労働の担当者として「主婦権」の確立・拡大に力を注いできた。

 

 次に「妻無用論」より。

 

 洗濯機や総菜などに代表される、家事労働を肩がわりするものの登場によって、主婦権の存在意義が揺らぐようになった。家事労働を外注できるのであれば、妻は不要となる。梅棹さん曰く、

 

 妻であることをやめよ!

 

 外ではたらけ(!)、男と対等になれ(!)、それが文明のネクストステージだ(!)というメッセージですが、当然、炎上です。やがて「情報産業論」(1963)によってセンセーションを巻き起こすだけのことはあります。

 

 炎上ポイントは、育児。

 

 妻に「はたらく女」になれというのであれば、誰が子どもを育てるのか。そうくるだろうと予想していたという梅棹さんは「母という名の切り札」を書いて応えます。母に逃げたら人生を失いますよ、と。

 

 現代の女性に対して、せめて男が父である程度の母であってほしいとねがうのは、むりであろうか。現代の家庭の男は、あまりにも「父」でなさすぎるかもしれない。しかし、現代の家庭の女は、おおむねあまりにも「母」でありすぎるようにおもうのである。母という名の城壁のなかから、一個の生きた人間としての女をすくいだすには、いったいどうしたらよいだろうか。

 

 母という名の城壁のなかに閉じこもってしまうと、曰く《子どもの人生と母の人生との、混同ないしは同一視》が起きてしまって、子どもが離れていったときに無力な妻に戻ってしまうという指摘です。これも炎上したのではないか(?)と思うのですが、それはわからず、いずれにせよ、女が母に逃げているのではなく、男が仕事に逃げていることが明々白々な2021年の今であれば、次のように問えます。

 

 閉じこめているのは誰?

 

 梅棹さんがこの論稿を書いたのは1959年です。母という名の城壁を跳び越えたら「別の城壁が!」なんて、文明論的に「男女の同質化」を予言していた梅棹さんには、想定外だったはず。

 

 絶句。

 

かれが予言するように、女は「はたらく女」になることまではできたが、「はたらく母親」になろうとしたら「母という名の城壁」ではなく、育児に冷淡な「職場の壁」がたちはだかっていた。事情は「はたらく父親」とて同様である。昨今の「両立支援」やワーク・ライフ・バランスなどというかけ声を、もし梅棹さんが聞いたら、半世紀もあとにまだこんなことを言わなければならないなんて、と絶句するだろうか。

 

 上野千鶴子さんによる解説より。タイトルは「妻無用論から半世紀を経て」です。育児に冷淡な「職場の壁」というのは、《父親とて同様》とあることから、日本社会の一丁目一番地の課題である「長時間労働」のことと考えてOKでしょう。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 上記のブログに《長時間労働の問題に手をつけなければ、夫の育児参加も、女性の両立支援も難しい》という文章を引用しました。あらゆる問題が「長時間労働の是正」という一点に結びついている。梅棹さんの予言した「男女同権」という文明のナチュラルな進歩を妨げているのは「長時間労働の壁」というわけです。それくらい深刻な壁を放置するなんて、管理職のみなさん、事の深刻さをおわかりでしょうか。

 

 長時間労働を是正せよ。

 

 

 保護者会や個人面談の出席者が「母 → 母 or 父」になる前に、つまり長時間労働が是正される前に、そして私が「父という名の切り札」を口にする前に、パートナーは「母という名の切り札」を切りました。仕方なく、です。上野さんは《夫となり妻となる必要はなくなっても、男女のあいだに「ほんとうに人間的な愛情にみちた交渉をもつ」ためには「社会的な同質化」はさけられないというのが、梅棹さんの予見だった》と書きます。世界経済フォーラムによると、日本の男女平等度は156か国中120位(2021年)。男女のあいだに「ほんとうに人間的な愛情にみちた交渉をもつ」ためにも、まずは長時間労働の是正を。

 

 理想の未来はそれからです。

 

 おやすみなさい。