田舎教師ときどき都会教師

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斎藤幸平 著『ゼロからの『資本論』』より。マルクスをアンラーンせよ。管理職は「働き方」をアンラーンせよ。

 資本家の狙いは、労働力という「富」を「商品」として閉じ込めておくこと。「商品」に閉じ込めておくというのは、自由な時間を奪うということです。賃上げによる長時間労働は賃金奴隷の制度を守ることになるのです。
 実際、多少賃金が上がったとしても、時間を奪われた労働者には、子どもと遊んだり趣味を楽しんだりする暇はありません。働き疲れて、本を読んだり、人生や社会問題について考えたりする余力も残っていない。
(斎藤幸平『ゼロからの『資本論』』NHK出版新書、2023)

 

 こんにちは。働き疲れて余力は残っていませんでしたが、先週の木曜日に東京は下北沢まで足を運んで、妹尾昌俊さん(教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事、学校業務改善アドバイザー)と工藤祥子さん(神奈川過労死等を考える家族の会代表)と堀潤さん(ジャーナリスト、Journalist/8bitNews代表)の話を聞いてきました。私たち教員が人生や社会問題について考えることを放棄してしまったら、子どもたちのパブリックマインドなんて、絶対に育ちませんから。

 

 

 妹尾さんいうところの「限られた時間の中で子どもたちのためにできることをする」という感覚の欠如が、教員の自由な時間を奪っている。ときには命すら奪っている。子どもたちの未来だってパーシャルに奪っている。堀さん曰く「病院で取材をしていたときに、次から次へと心身の不調を訴える教員がやってきてびっくりした」云々。命を奪われたり、心の病に罹ったりしているのに、工藤さん曰く「お気の毒でしたね、で済まされてしまうなんておかしい」云々。全くその通りで、学校なのに「人権感覚」が完全に麻痺している。この問題に、もっと光をあてなければいけない。だから妹尾さんと工藤さんと堀さんが下北沢の本屋B&Bで叫びます。これ以上、

 

 先生を、死なせない。

 

本屋B&B(2023.2.9)

 

www.countryteacher.tokyo

 

 妹尾さんと工藤さんの共著『先生を、死なせない。』の刊行記念の一環として行われたトークイベント。イベント終了後、妹尾さんと工藤さんと堀さんにSNSでメッセージを送ったら、すぐにリアクションがあって、嬉しい。ゼロからの『資本論』を説く斎藤幸平さんいうところの《下からの連帯を目指す「アソシエーション」主義》も、こういった「弱いつながり」から生まれるんじゃないかって、そう思えるから、嬉しい。

 

 先生を、死なせない。

 

 そんなタイトルの本が出てしまうくらいおかしなことになっているのは、そもそも論として、資本主義が原因であるというのが斎藤さんの見立てです。だから妹尾さんが「管理職は働き方についてアンラーンする必要がある」というように、私たちは資本主義についてアンラーンする必要があります。  

 

 

 斎藤幸平さんの『ゼロからの『資本論』』を読みました。私を含め、『人新世の「資本論」』で斎藤さんや『資本論』に興味をもった読者には嬉しすぎる一冊です。今回もまた、リーダーフレンドリーで読みやすく、よい。

 

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 目次は以下。

 

 はじめに  『資本論』と赤いインク
 第1章 「商品」に振り回される私たち
 第2章 なぜ過労死はなくならないのか
 第3章 イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を生む
 第4章 緑の資本主義というおとぎ話
 第5章 グッバイ・レーニン!
 第6章 コミュニズムが不可能だなんて誰が言った?
 あとがき 革命の時代に

 

 私たちはマルクスや共産主義を誤解している。故にアンラーンが必要。マルクスが考えていたコミュニズムとソ連は違う。ソ連や中国は共産主義ではなく、民主主義のない「国家資本主義」だった。中国もソ連も、資本家に代わって官僚が、あるいは民営企業に代わって国営企業が、労働者の剰余価値を搾取していく経済システムにすぎなかった。つまり構造としては日本と同じであり、先生を死なせてしまうような経済システムが限界に達していることは、資本主義が遠因とされる近年の異常気象やコロナ禍などを考慮するまでもなく、自明。だから今こそ革命とユートピアの思想家であるマルクスの声に耳を傾けよう。私たちには、進むべき違う道がある。それがコミュニズムであり、下からの連帯を目指す「アソシエーション」主義である。読むと、そういったことがわかります。

 

 労働はもっと魅力的で、人生はもっと豊かであるべきなのではないか。このマルクスの問いは現代にも当てはまります。
 へとへとになるまでつまらない仕事をして、帰宅してからは狭いアパートで、夜遅くにコンビニの美味くもないご飯をアルコールで流し込みながらユーチューブやツイッターを見る生活 ―― これは、おかしいんじゃないか。そして何より、「月曜日が憂鬱」、「仕事休みたい」という疎外の感覚は、私たちの実感に合致するのではないでしょうか。

 

 教員の場合、労働は魅力的ではあるんですよね。それはかつての職人仕事と同じで、構想と実行が自主管理できる領域が残っているからです。だから学級担任は、楽しい。資本主義は労働者の「構想」と「実行」を分離させることによって《余剰価値生産に最適な生産様式を自らの手で確立していった》そうですが、教室まではその手が伸びてきていません。にもかかわらず、「月曜日が憂鬱」とか「仕事休みたい」とか「振休なしの土曜授業って、えっ?」という疎外の感覚が生まれるのはなぜでしょうか。それはおそらく、繰り返しになりますが、妹尾さんいうところの「限られた時間の中で子どもたちのためにできることをする」という当たり前の感覚が薄すぎるからでしょう。特に、長時間労働を生き抜いた管理職にその傾向が顕著です。マルクスが賃上げ以上に「労働日の制限(短縮)」が重要だと喝破した理由を、管理職にはもっと考えてほしい。ついでにいえば、官僚さんや政治家さんには、給特法で決められている4%の教職調整額を上げるという方向性ではなく、標準時数を減らすなど、労働時間を減らすという方向性で次の一手を考えてほしい。

 

 先生を、死なせないためにも。

 

 大洪水の前に。