だからマインドコントロールを発生させる本体とは、その団体の特異性だ。共同体を活用して団体の特異性に新しい信者を慣らそうとすることによって、マインドコントロールが機能する。そして、その際に暴力が用いられれば、それは洗脳ということになる。
私はそのように考えるようになった。そして、そのように考えると、じぶんが受けてきた学校や大学の教育現場でも、マインドコントロールがあったと感じられてならない。じぶんの在学期間を振りかえると、教えこまれた価値観の多くはもはや誤りだったことが明らかだし、「教育被害」と呼べるべきものがあったと感じる。
(横道誠『あなたも狂信する』本田出版、2023)
こんばんは。以前、藪下遊さん&髙坂康雅さんの『叱らないが子どもを苦しめる』を読んだときに、ニューロマイノリティー(=発達障害者=神経学的少数派)の子が増えている気がするのは、叱らないが子どもを苦しめた結果なのではないか、という問いをもちました。昔だったらこっぴどく叱られて、無理矢理にでも〈擬態〉するよう促されていたのに、それがなくなってしまったからではないか、と。特性が全開になっている子が増えている気がするのはそのためではないか、と。村中直人さんに『〈叱る依存〉がとまらない』という本があるけれど、まだ読んでいないけれど、最近の子どもたちは叱られてなんていないのではないか、と。
発達障害者は〈擬態〉する。
その旨、横道誠さんに直接訊ねたところ、発達障害は先天的なものであり、叱ることによって二次障害的にひどくなることはあっても、叱らないから発達障害が増えるというようなことはない、という答えが返ってきました(うろ覚えなので正確ではないかもしれません)。東京は品川区にある隣町珈琲で行われた、横道誠さんと代麻理子さんとの対談にて、先週の土曜日の話です。増えるというか、叱らないから目立つようになってきたのではないでしょうか(?)という「更問い」は、コミュ障のためにできませんでした。
無念。
しかし、同じ話の流れで、村中さんが使っている「叱る」と、藪下遊さん&髙坂康雅さんが使っている「叱る」は、おそらく意味合いが異なるのだろうという見方・考え方を教えていただけたので、
満足。
ここ数ヶ月、横道さんに共振しているので、もしかしたら狂信もしているので、横道さんの「ちなみに私は〈叱る〉を憎んでさえいます」なんていう言葉に、お~、横道さんらしい(!)なんて思ってしまいました。なぜ、横道さんは〈叱る〉を憎んでいるのか。
宗教2世だからです。
横道誠さんの『あなたも狂信する』を読みました。発達障害者としての横道さんの本をほとんど読み尽くしてしまったので、次は、宗教2世としての横道さんの本を読んでみよう。でも、発達障害の子どもたちはたくさんいても、宗教2世の子にはほとんど出会ってこなかったので、学級づくりという意味ではそれほど参考にならないかもしれない。そう思って読み始めたところ、めちゃくちゃ教育に関係がありました。で、思わずポストしてしまいました。
横道誠さんの『あなたも狂信する』の第1章に《ちざわりんさんは「救われた」「ここが自分の居場所なんだ」と考え、感動した。マインドコントロール論の分野で「ラブシャワー」と呼ばれる効果に落ちたのだ》とあって、学級づくりでいうところの「ほめ言葉のシャワー」って、ちょっとあれだなと思った。
— CountryTeacher (@HereticsStar) May 13, 2024
横道誠さんの『あなたも狂信する』の第4章に《教団では「ラブシャワー」によって、信頼関係を築いている。共同体のなかに取りこみ、信者仲間と輪になって信仰を確信できるようにしている》とあって、やはり「ほめ言葉のシャワー」みたいな実践だったり、担任が教祖様みたいになったりするのは、違う。
— CountryTeacher (@HereticsStar) May 13, 2024
ほめ言葉のシャワーというのは、かつて「学級崩壊立て直し人!」として一世を風靡した菊池省三さんが広めた教育メソッドです。私も一時期、学級づくりの手立てのひとつとして採り入れていました。同じような手法を「教団」が使っている(!)なんてことは全く知らずに、です。
きわめて個性的な集団に加わって、内部のルールを受けいれると、認知のあり方が大きく左右され、体験世界も抜本的に変質することになる。それによって常識の地滑りとでも言うべき現象が起こる。従来のじぶんの世界観が別の世界観へと「移行」するのだ。
これは宗教団体でも起こるし、政治団体など別種のグループでも起こる。それどころか、特殊な集団に属していなくても、人生経験や読書をつうじて思想を独自に深化させることで、世間的な常識と断絶しながら別の精神的世界へと「移行」することは、かんたんに起こってしまう。
学級でも起こる。ニュアンスは少し異なるものの、そう思いました。実際、担任に力があって個性的にすぎると、宗教っぽいクラスができるんですよね。力はないものの、私も「宗教っぽくなっていた」と言われたことがあります。管理職に、です。で、持ち上がりを希望したものの、叶いませんでした。ますます宗教っぽくなることを危険視されたのでしょう。
ほめ言葉のシャワーもやっていたし。
ラブシャワーという言葉を知っていたら、やっていなかったかもしれません。やはり、大切なのは知ることです。エホバの証人のことも、統一教会のことも、摂理のことも、創価学会のことも、親鸞会のことも。横道さんの『あなたも狂信する』には、それぞれの教団を脱退した宗教1世と宗教2世が登場します。宗教被害を受けたと考える脱会済みの1世信者と2世信者、トータル10人。彼ら彼女らの「内側からの体験世界」を宗教2世である横道さんが解き明かし、インタビューをつうじて《あなたが宗教1世になるとしたら、どのような内発的かつ外発的契機によってなのか》ということを説明してくれます。
あなたも狂信する。
読むと、その意味がわかります。横道さんが〈叱る〉を憎んでいることもわかります。もしかしたら教え子の中にもいたのかもしれないな、宗教2世が。そんなふうにも読めます。
信仰から解放されない子どもたち。
読みます。