ラブソングと愛の関係を考える本書にとって、トルバドゥールの存在は重要です。トルバドゥールたちが作った詩は、「愛とはこのようになされるものだ」という考えを広める役割を果たしました。つまり、歌が愛の概念を広める役割を果たしたのです。そうすると、現代のラブソングにもその役割があるはずだと考えられます。
(源河亨『愛とラブソングの哲学』光文社新書、2023)
おはようございます。先日、ものすご~く久し振りにカラオケに行きました。なが~い人生で5回目くらいでしょうか。つまり、ほとんど行ったことがないということです。その理由はさておき、思ったことがあります。
歌詞が、よい。
自然と字幕に目が行くからでしょう。画面に流れる字幕が歌詞のよさを強く印象づけているように感じました。トルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人が詩や歌を通して「愛とはこのようになされるものだ」と印象づけたように、です。
好きな色なんか特段ないけど
人生が絵画だったならどうだろう?
君との時間を重ねることでしか
出せない色がきっと好きだ
Official髭男dismの「ビンテージ」より。このラブソングも伝えていますよね、トルバドゥールのように、愛とはこのようになされるものだって。愛とは時間を重ねること。あなたとの時間を重ねることで、立ち現れる色を好きになること。
本当?
源河亨さんの『愛とラブソングの哲学』を読みました。購入のきっかけは、久し振りにカラオケに行ったことと、読みかけの本を学校に置き忘れたので帰路に本屋に立ち寄ったこと。つまり、たまたまです。
愛も、偶然の産物である。
そんなことを言ったら、エーリッヒ・フロムに怒られてしまいそうです。フロムは『愛するということ』に「愛は技術である」という趣旨のことを書いていますから。
愛は、技術である。
さて、正解はどちらでしょうか。ここで登場するのが哲学です。ラブソングです。源河亨さんです。以下、目次です。
第Ⅰ部
第1章 愛は感情なのか
第2章 愛に理由はあるのか
第3章 愛は本能なのか
第4章 愛は普遍的か
第5章 愛に本質はあるか
第Ⅱ部
第6章 愛は音で伝わるか
第7章 愛の言葉はどう響くのか
第8章 失恋ソングは失恋の傷をどう癒すのか
第9章 なぜラブソングは歌われ続けるのか
愛は感情なのか、ノー。愛に理由はあるのか、ノー。愛は本能なのか、イエス&ノー。愛は普遍的か、ノー。愛に本質はあるか、ノー。ここまでが第Ⅰ部の各章の問いに対するシンプルな答えです。
なぜそう言い切れるのか。
なぜならば、著者である源河さんが心理学・脳科学・生物学・歴史学・社会学・人類学など、幅広い分野の研究成果を用いて愛を理解しようとチャレンジし、それにほぼほぼ成功しているように「読める」からです。タイトルにある「哲学」については、著者曰く《本書で取り上げるのは、科学と連続した哲学、科学の研究を積極的に取り入れる哲学です》云々。まずは主として科学で愛に迫り(第Ⅰ部)、
次に哲学でラブソングに迫る(第Ⅱ部)。
源河亨さんの『愛とラブソングの哲学』読了。著者曰く《心理学・脳科学・生物学・歴史学・社会学・人類学など、幅広い分野の研究成果を用いて愛を理解しよう》と試みている学際的な一冊です。真面目な本ということ。所々に顔を出すラブソングの一節が、スパイスとしてきいていて、とてもよい。#読了 pic.twitter.com/8cyTRhlFde
— CountryTeacher (@HereticsStar) July 21, 2024
今、目を細めて恥じらいあって永遠を願った僕たちを
すれ違いや憂鬱な展開が引き裂こうとしたその時には
僕がうるさいくらいの声量でこの歌何度も歌うよ
Official髭男dismの「115万キロのフィルム」より。この先、道徳の授業のように、誰かと愛について考え・議論しようとしたその時には、うるさいくらいの声量でこの本何度も読もうと思いました。
特に、ここ。
愛は感情だと考えられがちですが、そうではありません。愛は、その対象となる人に関するさまざまな感情・知覚・思考・行動のかたちをとって顕在化するものであり、愛そのものは潜在的な心の状態です。
愛は風邪と同じように、症候群として理解できるという話です。熱が出たり、出なかったり。喉が痛くなったり、痛くならなかったり。嫉妬したり、しなかったり。安心したり、不安になったり。ドキドキしたり、ムカついたり。つい見てしまったり、
目を背けてしまったり。
結婚は労働や家門のための関係を存続させるための社会的な制度であり、もともとは愛と別に行われているものでした。しかし、近代になって結婚と愛が結びつき、労働・家門維持のための永続的な関係が愛に求められるようになりました。こうした社会制度は愛の代替不可能性を成り立たせる無合理な仕組みにもなっています。愛には生物学的な側面と社会的な側面の両方があるのです。
ここも何度も読みたい。ちなみに源河さん言うところの《愛には生物学的な側面と社会的な側面の両方がある》という指摘を、結婚という制度に絡めてラブソングのように表現している小説家がいます。辻仁成さんです。
一瞬が永遠になるものが恋
永遠が一瞬になるものが愛
辻さんはミュージシャンでもあるので、うん、さすがだ。詳しくは『目下の恋人』をお読みください。なお、第9章の「なぜラブソングは歌われ続けるのか」に、著者とミュージシャンの原田夏樹さん(evening cinema)との対談が収められています。原田さん曰く《人と人との関係を一番描きやすいというか。それが一番表れるのが恋愛という場なのかなと思って、今は書くようになってます》。うん、さすがだ。学校教育に置き換えると、人と人との関係が一番表れるのは、
教室という場です。
仕事は山ほど残っているものの、子どもたちのいない学校にわざわざ行く気がせず、今日は午前中年休を取って本を読んでいました。宮崎智之さんの『平熱のまま、この世界に熱狂したい』です。午後はどうしようかなぁ。
ビールでも飲みに行こうかなぁ。
そうしよう。