田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

横道誠 編・著『信仰から解放されない子どもたち』より。子どもは身近にいる大人の影響から逃れられない。

 マスメディアで何度か取りあげられたのだが、私が小学四年生のときに、「母の日」というものがあることを知って、妹と一緒にお小遣いを使って、カーネーションを買いに行き、母に贈った。小さな花束を買って帰ってきて「お母さん、おめでとう、母の日おめでとう」と言ったら、母はどういうふうにも表現できない奇声を上げて、逃げまわって、落ちついたあとに私たちを厳しく叱った。世の中の一般的な祝い事が、エホバの証人のあいだでは禁じられているからで、そのときは子どもながらに愕然としたことを思いだす。母が喜ぶと思って一生懸命に考えてやったことが、そんなふうな目に遭ったわけで、後年回顧するたびに、そのとき以上に苦しくなる思い出だ。
(横道誠 編・著『信仰から解放されない子どもたち』明石書店、2023)

 

 こんばんは。勤務校の近くにあるフラワー・ショップは、母の日にお店に立ち寄った子どもたちに、カーネーションを一輪、無料でプレゼントしています。オーナーさんが一生懸命に考え、本年度から始まった取り組みです。こんなことを始めます(!)って、事前に耳にしていたので、先月、母の日の前に、教室の子どもたちにもそのことを伝えました。

 

 誠少年のような子どもがいたらどうしよう。

 

 そう思いながら伝えました。横道誠さんの他の著書にも載っている、上記のやるせないエピソード。読むたびに苦しくなります。一生懸命に考えたのに、喜ぶと思ったのに、褒めてもらいたかったのに。

 

 母、ご乱心。

 

 信仰から解放されない子どもたちのひとりである、宗教2世の漫画家・菊池真理子さんは「全員がひとつの教えでまとまるよりも、みんなバラバラなのに平和な方が尊いと今はわかる」と書いています。学級づくりにも言えることではないでしょうか。エホバと、母と、それから私。

 

 みんな違って、みんないい。

 

 

 横道誠さんの『信仰から解放されない子どもたち』を読みました。宗教2世である著者は、同じく宗教2世である山上徹也容疑者が起こした安倍晋三銃撃事件(2022年7月8日)の数日後に、ツイッターで「#宗教2世に信教の自由を」というハッシュタグを見かけ、心を打たれたとのこと。それがそのまま副題になっています。

 

 宗教2世には、信教の自由がない。

 

 宗教2世がどのような人生を送っているのか、どのようなことで苦しんでいるのか、そしてどのような支援を必要としているのか。教室にもいるかもしれない「信仰から解放されない子どもたち」のリアルを知るという意味で、教員にも読んでほしい一冊です。著者の宗教2世体験(冒頭の引用を含む)を描いた「序章」に続く目次は以下。

 

 第Ⅰ部 談話:宗教2世が宗教2世を支援する
 第Ⅱ部 対談:各分野のプロフェッショナルはどう考えるか

 

 第Ⅰ部には5人の宗教2世が登場します。統一教会を脱会して声をあげた、ぷるもさん。オウム真理教を脱会して発信を始めた、まひろさん。天理教教会の五代目、ヨシさん。エホバの証人を辞めてピアサポーターとして活躍する、ちざわりんさん。そして創価学会に所属していた宗教2世マンガの作者、菊池真理子さんです。読むと、各々の半生がわかり、信仰から解放されない子どもたち、というタイトルの意味もわかります。

 第Ⅰ部の談話を受け、第Ⅱ部には各分野のプロフェッショナルが登場します。子ども政策を専門とする末冨芳さん。ソーシャルワーカー兼弁護士の安井飛鳥さん。『やや日刊カルト新聞』代表の藤倉善郎さん。そして宗教社会学者の塚田穂高さんです。で、どうやったら信仰から解放されない子どもたちに具体的な支援を届けることができるのか(?)という大きな問いについて、横道さんとの対談を通して、各々が意見を口にしていくのですが、

 

 難しい。

 

 全てを読み終えたときの感想です。難しさのポイントは、宗教2世の苦しみと、いわゆる「毒親」のもとで育っている子どもの苦しみが、教員の私には、部分的に重なるものとして感じられるというところにあります。小学校の教員ならすぐにわかることですが、ヤバイ家庭にはなかなか介入できない、児童相談所もなかなか当てにならない、だから苦しんでいる子どもがいるとわかっていても、有効な支援ができない。いわんや宗教2世をや。

 

 そういった難しさです。

 

 多くのかたがそうですが、自分の信じていることを子どもも同様に信じてくれたら気持ちの良いものです。親側としては信仰を伝えない選択は非常に苦しいわけです。それなら根気よく伝えていくほうが親の精神衛生上は健全に保たれるわけです。やってる感もありますし。それが子どもとの接し方、愛情表現になっているので、子ども側としては相当な負荷がかかるわけです。

 

 信仰のある親も、子育て観のある親も、指導観のある担任も、質的量的に程度の差こそあれ、天理教教会五代目のヨシさん言うところの《多くのかた》に含まれるのではないでしょうか。子どもは身近にいる大人の影響から逃れられない。そういうことです。だからやっぱり、

 

 難しい。

 

 

 

 

 宗教を18禁にするっていうアイデアは、なるほどなぁと思いました。マルクス曰く「宗教はアヘンである」云々。クラスの子どもたち(6年生)の意見も聞いてみたいところです。

 

横道 私は学校現場で、スクールソーシャルワーカーみたいな人たちがもっとこう活躍できるといいなとは思いながらも、学校現場というのは壁が厚くて、いわゆる貧困の問題にしろ、虐待の問題にしろ、これまで踏みこめなかった。

 

 第Ⅱ部より。壁を極限まで薄くしておくので、ぜひ横道さんに私の学年で授業をしてほしい。義務教育段階でこういった授業をすれば、信仰から解放されない子どもたちを支援することができるかもしれないって、ぜひ踏みこんだかたちで提案してほしい。

 

 神様仏様横道様。

 

 おやすみなさい。