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岩尾俊兵 著『世界は経営でできている』より。これまで読んだ中で最高のエッセイ!

 経営するのは企業だけだと思い込むのは無知と傲慢のなせる業だ。学校経営、病院経営、家庭経営・・・・・・はどこに消えたのか。むしろ世の中に経営が不足していることこそが問題なのである。現代の学校や病院や家庭が不合理の塊なのは誰もが知っていることではないか。
(岩尾俊兵『世界は経営でできている』講談社現代新書、2024)

 

 こんばんは。私の本棚にある近内悠太さんの『世界は贈与でできている』には、著者のサインが入っていて、そこにはラテン語で「Credo quia absurdum」と書かれています。意味は、

 

 不合理ゆえにわれ信ず。

 

世界は贈与でできている(2024.5.12)

 

 夢うつつの状態がまだつづいているんだろうか、それとも現実なんだろうか。合理的に考えれば、あり得ない。でも、不合理ゆえに信じてみようかな。詳細は省きますが、最近、そんなふうに思うことがありました。

 

 不合理ゆえにわれ信ず。

 

 信じよう。とはいえ、近内さんの著書のタイトルのパロディであろう『世界は経営でできている』の著者である岩尾俊兵さんにいわせれば、

 

 不合理ゆえにわれ疑う。

 

 そうなるでしょう。だって経営は、合理の塊ですから。贈与は不合理というか、合理ではない。でも経営は合理である。そう考えると、この『世界は経営でできている』は、近内さんの『世界は贈与でできている』のオマージュなのか、それともアンチテーゼなのか、或いはどちらでもないのか。

 

 惑います。

 

 

 岩尾俊兵さんの『世界は経営でできている』を読みました。斎藤幸平さん曰く《資本主義から仕事の楽しさと価値創造を取り戻す痛快エッセイ集》です。あの「ゼロからの『資本論』」の斎藤さんが推薦しているのだから「知的におもしろい」に違いない。そう思って購入しました。結果はといえば、

 

 これまで読んだ中で最高のエッセイ。

 

 

 岩尾さんにいわせれば、貧乏も家庭も恋愛も勉強も虚栄も心労も就活も仕事も憤怒も健康も孤独も老後も芸術も科学も歴史も「経営」でできている。つまり、日常も経営でできているし、人生も経営でできている。15のエッセイの各タイトルと、はじめにとおわりにのタイトルを合わせると、そうなります。

 

 一つだけ例を挙げます。

 

 幸福な家庭はどれも似ているが不幸な家庭はそれぞれ不幸だ。
 夫婦喧嘩が絶えない、親子関係が良好でない、兄弟同士でいがみ合っているなど家庭内に紛争を引き起こす要因は複数ある。
 そもそも家庭内の人間関係は、夫と妻、父と息子、父と娘、母と息子、母と娘、兄と弟、兄と妹、姉と弟、姉と妹・・・・・・など複線化しているのだから、その数だけ紛争の種があるのは当然だ(祖父母や親戚が入ると、この組み合わせはさらに入り組んでいく)。
 冒頭にトルストイを不正確に引用するまでもない。

 

 家庭は経営でできている、の冒頭より。本好きにはたまらないユーモアです。どのエッセイにもユーモアがちりばめられているのですが、この《トルストイを不正確に引用するまでもない》っていうのは、特にツボでした。もちろんこれは『アンナ・カレーニナ』の有名すぎる出だしの一文をもじったもの。ちなみに「家庭」のところを「学級」に置き換えるとこうなります。

 

 幸福な学級はどれも似ているが不幸な学級はそれぞれ不幸だ。

 

 どうでしょうか。教員のみなさんならピンとくるのではないでしょうか。不幸な学級というのはすなわち、経営に失敗した学級のことです。幸福な学級というのはすなわち、経営に成功した学級のことです。学級経営の成功に必要なのは、

 

 手立て。

 

 特に《複線化している》子どもたちの関係性の質を高めるための手立てが必要です。関係性の質が高まれば、ダニエル・キムが「成功の循環モデル」で示したように、思考の質が高まり、行動の質も結果の質も高まるからです。まさに、

 

 経営。

 

 何が言いたいのかといえば、学級には手立てを講じるのに、なぜ家庭には手立てを講じないのか。なぜ学級経営と同じ熱意をもって家庭経営をしないのか。

 

 してこなかったのか。

 

 学級と同様、人間関係が《複線化している》家庭にも、関係性の質を高めるための手立てが必要なのに。学級よりも長く続く家庭には、学級よりもたくさんの手立てが必要なのに。うん、後の祭りです。詳細は省きますが、最近、そんなふうに思うことがありました。

 

 いまこそ、家庭は経営の場なのだということに気が付くべきだろう。

 

 気が付かないまま20年近くの歳月を積み重ねてしまったいま、家庭は経営でできていると言われると、しんどい。世界は経営でできていると言われると、しんどい。合理だけでは、しんどい。だからこう思いたい。世界は合理だけでなく、不合理でもできている。

 

 世界は贈与でもできている。

 

 不合理ゆえにわれ信ず。