現在では、大学でも「アィティブ・ラーニング」が標榜され、一斉の講義型授業を脱していこうという動きがある。講堂で行わざるを得ない大規模な人数での授業ならともかく、それ以外ではゼミ形式の少人数討論型の授業が多くなっている。
小学校でも、この流れに乗っていきたいところである。例えば私の学級では、次ページの写真のような「アイランド型」と呼ばれる机の配置を基本にして学級運営をしていた時期がある(本書を執筆中の2022年6月現在、感染症対策の関係で、この机の配置はできなくなっている)。4人組で1つの班にし、それを時計周りに8つ、円状に配置し、中央を空けた形である。
(松尾英明『不親切教師のススメ』さくら社、2022)
こんばんは。引用にある《次ページの写真》の代わりに、10年以上前の私の学級の写真を貼ります。私も、コロナ禍になる前まで、『不親切教師のススメ』の著者である松尾英明さんと同じように、アイランド型と呼ばれる机の配置を基本にして学級運営をしていました。そろそろ、
この型に戻したい。
アイランド型にすると、黒板は主役ではなくなります。教員の世界でいうところの「板書計画」なんてどうでもよくなります。指導案は板書計画から始めよう(!)なんていう話もどうでもよくなります。黒板は、子どもたちに解放すればいい。松尾さんも書いていますが、型を変えれば、現象が変わり、
授業観も教育観も変わります。
子どもたちの雰囲気も変わります。どう変わるのかは、ぜひ試してみてください。ちなみに「アイランド型」はインフルエンザに弱く、油断しているとあっという間に学級閉鎖になります。一般的な「スクール型」に比べて、コミュニケーションの量が圧倒的に多くなるからです。松尾さんも同様のことを話していて、
親近感。
ラッキーなことに、先日、松尾さんの隣で珈琲を飲む機会に恵まれました。さらにラッキーなことに、貴重なお話だけでなく、サインまでいただく機会に恵まれました。さらにさらにラッキーなことに、おっと、これ以上は書けません。きれいは汚い、汚いはきれい。親切は不親切、
不親切は親切。
松尾英明さんの『不親切教師のススメ』を読みました。タイトルから想像できるように、そして「不親切は親切」というサインからも想像できるように、やりすぎですよ、という一冊です。きめ細かな指導も、個に応じた指導も、やりすぎればそれは、単なるサービス過剰ですよ、と。だから長時間労働になるんですよ、と。しかも子どもたちの力を伸ばすどころか逆に奪ってますよ、と。
我が意を得たり。
目次は以下。
一、「楽しい授業」をやめる
二、習字の掲示をやめる
三、「してあげる」をしない
四、「揃える」をやめる
五、「きちんと座りましょう」のナンセンス
六、かわいい子には……
七、子どもの家庭を覗かない
読み始めてすぐに、言い換えるとタイトルと目次を見ただけですぐに「この人はわかっている」と思いました。読み終えたときもそれは変わりませんでした。
この人はわかっている。
学びの共同体の佐藤学さんとか、『学び合い』の西川純さんとか、それから軽井沢風越学園の岩瀬直樹さんとか、そういった人たちの本を読んだときと同じ読後感です。
松尾英明さんの『不親切教師のススメ』読了。親切過剰で、すなわちサービス過剰で自らの首を絞めている教育現場に、子どもの主体性を奪っている教育現場に、「不親切こそ親切」という見方・考え方を働かせるきっかけを与えてくれる一冊。その親切は子どもの主体性向上につながっていますか?#読了 pic.twitter.com/VzJ0sroST0
— CountryTeacher (@HereticsStar) June 30, 2024
楽しい授業をやめる。
楽しい授業をやめるというのは、西川純さんが「分かる授業やおもしろい授業には限界があり、10年後、50年後の子どもたちを救えない」ことを実証的データに基づく学術研究によってすでに証明しているという話とつながります。簡単にいえば、楽しい授業というのは YouTuber を見ているのと変わらないということです。楽しければ楽しいほど、わかりやすければわかりやすいほど、おもしろければおもしろいほど、子どもたちは受け身になる。
それは親切とはいえないでしょう。
では「楽しい授業」「面白い先生」を捨てて、これからの授業では、何を目指せばよいのか。
知りたいですよね。でも、ここでは教えられません。不親切教師のススメですから。ぜひ手にとって読んでみてください。
もう一つ。
習字の掲示をやめる。
私の教室でも習字の掲示はしていません。たしか岩瀬直樹さんも習字の掲示はしないって、何かに書いていたような気がします。とはいえ、掲示している教室の方が圧倒的に多いというのが日本の小学校の現状でしょう。勤務校でも掲示していないのは私の学年だけです。では、なぜ習字の掲示をやめるのか。
ヒントは人権です。
えっ、人権(?)。具体的に知りたいですよね。でも、やはりここでは教えられません。繰り返しますが、不親切教師のススメですから。ぜひ手にとって読んでみてください。
そもそも教師がやたらと「親切」なのはなぜか。子どもへの愛情という面ももちろんあるかもしれないが、その実はただ「がんばっている」ことの確認によって自己満足を得たい場合や、クレームを恐れての過剰サービスであることもある。つまりは自信のなさからくる「バリア」「体面」「予防線」のような面が見え隠れしている。あらゆる業界において、過剰サービスに慣れた顧客は、相手への要望ばかりが高くなり、受動的かつ自己中心的になっていく。有難いはずの恩恵は、やがて当然の権利に変わっていくのである。
長時間労働の問題は、子どもが大けがをしたわけでもないのに、ちょっとしたことで保護者に電話をかけてしまうような、しかも勤務時間外に電話をかけてしまうような、やたらと「親切」な教師が生み出しているのではないか。不親切教師は、その時間をもっと別なことに使って、例えば『聞き上手なクラスのつくり方』を読むなどして、自信をつけているのではないか。そんなふうに思います。
この人はわかっている。
おやすみなさい。