田舎教師ときどき都会教師

読書のこと、教育のこと

灰谷健次郎 著『わたしの出会った子どもたち』より。林竹二とのやりとりが載っていて嬉しい。

 本質的に子どもはそういうものなのだ。子ども本来の姿が、そのまま通らないところに、社会の罪があるというふうに考えられはしまいか。
(灰谷健次郎『わたしの出会った子どもたち』新潮文庫、1984)

 

 こんにちは。昨日、横浜にある情報文化センターまで足を運んで、神奈川過労死等を考える家族の会が主催するシンポジウムに参加してきました。お目当ては、妹尾昌俊さんによる記念講演「教員の過労死等から、学校は、行政は、私たちはなにを、どれほど学んでいるだろうか」です。教員のケースに限らず、過労死から学ぼうとしないところに、

 

 社会の罪があるというふうに考えられはしまいか。

 

www.countryteacher.tokyo

 

帰路、酔り道(2025.5.10)

 

 妹尾さんが言うには、学校でいじめ重大事態が起きたときには検証報告書や再発防止策が出てくるのに、教員が過労死してもそれらは出てこないケースがほとんどというか一度しか見たことがないそうで、それはおかしい、と。児童生徒の命を大切にするように、教員の命も大切にしてほしい、と。まともな企業、例えば東芝デジタルソリューションズ株式会社が《当社は、従業員に対し、安全健康に関するトップメッセージを繰り返し発信するとともに、特に所定労働時間外80H超過者ゼロ化(1ヶ月の法定労働時間外上限よりも低い時間を設定したもの)の施策、職場内でのコミュニケーション活性化などの施策に加え、社員個人のセルフケア向上施策にも引き続き取り組み、社員の心身の健康維持増進を図ります》(ホームページより)と謳っているように、それから航空会社が失敗からめちゃくちゃ学んでいるように、学校もちゃんとしろ、と。

 

 冷たい会社だと思った。

 

 妹尾さんの講演の後に、2019年に過労自殺した東芝デジタルソリューションズの社員・安部真生さん(当時30)のケースについて、ご遺族(ご両親)の話を聞きました。その中で印象に残っているのが、お子さんが亡くなった直後の会社の対応については冷たく感じたものの、その後、検証や再発防止についての件で社内の人たちと話し合っていくうちに、会社に対する冷たいという印象が薄れていった、というご遺族の話です。印象が変わったのは、会社の中にもいろいろな人生があるって、コミュニケーションを通して、そう感じることができたからでしょう。

 

 学校も然り。

 

 冷たい学校だと思われないように、学級通信を活用するなどして教員個々の人生を知ってもらう機会を増やした方がいい。研究ごっこなんてしている暇があったら、保護者と一緒に読書会でも開いた方がよほどいい。そうしないと、また「東京都立川市の小学校で男2人が暴れて教職員5人がけがをした」(2025.5.9)みたいなことが起きてしまうのではないかって、そう思います。例外的な事件だとは思いますが、それくらいしか再発防止策が考えられません。

 

 

 ご遺族(ご両親)の話の中で印象に残ったことがもうひとつ。私たち親の責任も考えなければいけない。最後にそう話していたんです。わかる人にはわかると思います。その一言に、

 

 救われる。

 

 

 灰谷健次郎さんの『わたしの出会った子どもたち』を読みました。灰谷健次郎(1934ー2006)の自伝とでもいうべき一冊です。教員になる前か、なった直後か、もういつ読んだのかは覚えていませんが、再読してよかったと心から思いました。最初に読んだときと今では、「わたしの出会った子どもたち」の数が全く異なるからです。気がつくと、経験年数は、灰谷さんよりもベテランに。

 

 17年間。

 

 灰谷さんは17年間、神戸市内で小学校の教員として働き、その後沖縄へと旅立っていきます。

 

「学校の先生をやめます。きょうから、ただのオッサンになります。さようなら」
 そういって、ぼくは学校をやめてきた。

 

 カッコいい。ここだけ読むとそう思うかもしれませんが、違うんです。

 

 ぼくはそのとき混沌としていた。
 混沌の中で教師をつづけることはできなかったと、そういうより仕方ないだろう。
 兄が死に、母が死に、そして、ぼくの胃に二つ穴があいた。

 

 兄の死は、それこそ今の社会でいうところの「過労死」に該当するように読めます。灰谷さんは、自身の家族のことを次のように書きます。

 

 長兄だけが、勤務態度も生活ぶりも堅実な優等生だった。しかし、そのことが後年の精神障害とそれに伴う自殺の原因の一つとなるのである。
 典型的な崩壊家族であった。

 

 典型的な崩壊家族で育った灰谷さんだからこそ、子どもたちの《せんせい、三年せいで、いちばんきらわれとるのは、ぼくです》だったり、《あたらしいおとうちゃん ぼく きらいやねん》だったり、《きゅうにてがみがかきたくなった ていでんなので ろうそくのあかりでかいている いまごろ先生どうしてる》だったりといった「つづり方」に宝物がつまっていることに、

 

 気づける。

 

 おれ
 もう先生きらいじゃ
 おれ
 きょう 目だまがとびでるぐらい
 はらがたったぞ
 おれ
 となりの子に
 しんせつにおしえてやっていたんやぞ
 おれ
 よそみなんかしていなかったぞ
 先生でも手ついてあやまれ
「しんじちゃん かんにんしてください」
 といってあやまれ

 

 小学2年生のおおつかしんじさんが書いた「先生」より。素敵な関係性だなと思います。それにしても、「わたしの出会った子どもたち」の数は、おそらく灰谷さんと同じか、それ以上になった気がするものの、その質がかなり違うような気がするのは気のせいでしょうか。

 

 

 この差は何だろう。

 

 重い人生を背負っている子どもほど楽天的だった。苦しい人生を歩んでいる子どもほど優しさに満ちていた。それは何だろうとぼくは思いはじめていた。

 

 教育に大切な「欠如感」を、図らずとも社会が与えてくれた時代と、物質的な豊かさによってその「欠如感」を社会が与えられなくなった時代。その差でしょうか。もちろん物質的に豊かになったとはいえ、精神的に豊かになったかどうかはわかりません。いずれにせよ、この本を読むと次のように思えます。

 

 生きるということはなんとすばらしいことだろう。
 人間は自分の幸福のために生きるのではない。人間が幸福を求めるのは、他人の不幸にがまんならないからである。

 

 他人の不幸にがまんならないという意味で、妹尾さんも灰谷さんも、やさしい。

 

なんとすばらしい(2025.5.9)

 

 灰谷さんの代表作『兎の眼』と『太陽の子』も再読したくなりました。そうそう、『わたしの出会った子どもたち』の後半には、林竹二(1906ー1985)とのやりとりが載っています。えっ、林竹二を知らない(?)。小学校の教員のみなさん、

 

 読みましょう。

 

 目から鱗です。