田舎教師ときどき都会教師

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辻仁成 著『アンチノイズ』より。無音を含め、あらゆる音を肯定する。

 フミがぼくの地図の中心だった。どこが好きなのかしら、と言ったフミの言葉がふいに蘇ってきた。ぼくこそフミのどこが好きだったのだろう。自分の気持ちを知りたかった。ぼくは自身に問いたいがために地図を作ってきたのかもしれない。
(辻仁成『アンチノイズ』新潮文庫、1999)

 

 こんばんは。今日の子どもたちは落ち着きがなかったなぁ。うまくチューニングすることができず、調律することもできず、教室のそこかしこからノイズが聞こえてきてなかなかに大変でした。その発達過程の特徴からギャング・エイジと呼ばれる小学3年生。明日はアンチノイズといきたいところです。

 

 アンチノイズ。

 

 騒音の排除ではありません。騒音の防止でもありません。騒音の苦情調査の仕事をしながら、音の地図づくりという一風変わったこともしている、小説『アンチノイズ』の主人公・荒田の見方・考え方を働かせれば、それは「あらゆる音を肯定する」という意味に昇華します。つまり、明日はアンチノイズといきたいところです ≒ ギャングたちの出すあらゆる音を肯定していきたいところです。

 

 無理だなぁ。

 

 

 辻仁成さんの『アンチノイズ』を読みました。先日このブログで紹介した『ワイルドフラワー』と同様に、いつかまた読もうと思っていた一冊です。どちらも、

 

 20年ぶりくらいの再読。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 その『ワイルドフラワー』でも、そして『アンチノイズ』でも解説を書いている文学者の巽孝之さんは、この『アンチノイズ』について、前者では《辻文学のなかではむしろ例外的ともいえる高度に思索的な実験作品》と評し、後者では《まぎれもなく小さな傑作》と評しています。『ワイルドフラワー』に負けず劣らず、ちょっとというかかなりエロティックな描写があるけれど、

 

 まぎれもなく推薦したい小説。

 

 推薦理由は2つ。別言すると、再読するにあたってはっきりと覚えていたことが2つ。1つは、主人公の荒田が音の地図をつくっていたこと。もう1つは、ジェットコースターの頂点たるクライマックスにおける荒田とフミの切なすぎるやりとりのこと。

 

「なんだい、これ」
 音の環境地図だよ、とぼくは呟いた。
「自分が住んでいる街で、どんな音がどういうふうに聞こえているのか気になってね」
 そういうと、彼は、これも仕事なの? と聞いてきた。ぼくは首を左右に強く振り、趣味みたいなものかな、と答えた。

「面白いことをするな」
 柏木郁夫は、長いことその音の地図を眺めた後でそう呟いた。

 

 音の地図、面白いアイデアだな。ミュージシャンだった辻さんならではの発想ですよね。ちなみに再読するまで完全に忘れていましたが、主人公の旧友である柏木郁夫も、当然ですが、切ないくらいにいい味を出しているんです。柏木はピアノの調律師。彼は、こんなことを口にします。

 

ピアノの調律には、これが正しいなんてものはないんだ。チューニングメーターなんかで合わせたものでも、完全ではない。

 

 学級づくりにも、これが正しいなんてものはないんだ。だから研究と称して、あるいは学年や学校で揃えると称して、何のエビデンスもない「やり方」を押しつけてくるのはやめてください。って、胸を張って言いたいところですが、クラスの子どもたちが落ち着いていないと説得力に欠けるので、がんばろう。

 

 話が逸れました。

 

 つなげつつ戻すと、今の「話の逸れ方」とは比較にならないくらい、そういうレベルの話ではないくらい、荒田とフミの人生は劇的に、否、悲劇的に逸れていくんです。

 

 フミとは大学で知り合った。一目惚れだった。フミはぼくの理想の恋人像に何もかもがぴったりだった。美人だとか、優しい人だとか、そういうレベルの話ではない。自分の恋人になる人とはこういう人だと思い描いていたそのものだった。

 

 あんなに好きだったのに、あんなに肌を重ねたのに、人生が絵画だったとしたら、君との時間を重ねることでしか出せない色が好きだったのに、主人公曰く《いつもそうやって、僕たちは電車が来るまでのほんの数分間、ささやかなコミュニケーションを持った。それがもしかしたら嘘で塗れているとしても、ぼくにとっては笑顔で手を振る彼女の存在が全てだった》のに、

 

 それなのに!

 

 

 クライマックスの荒田とフミのやりとりの場面では、音が消えます。直截的にそう書かれているわけではありませんが、私には、あらゆる音が消えたように感じました。そして、それこそが「アンチノイズ」というタイトルの意味するところのように思えました。無音を含め、あらゆる音を肯定する。みなさんはどう読むでしょうか。

 

 ぜひ、一読を。

 

 おやすみなさい。