「本ちゅうのはな、この地球に生きてきた何億、何十億ちゅう人らの悩みを解決するために作られてきたんやで」
――確かに、ガネーシャの言うとおりかもしれない。
この世界には、過去に僕と同じ悩みを抱えていた人がたくさんいて、僕の方から手を伸ばしさえすれば、いつでもその人たちは僕の助けになってくれる。
そのことに気づいたとき、僕は自分の抱えている悩みが少しずつ和らいでいくのを感じた。
(水野敬也『夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神』文響社、2020)
こんにちは。昨晩のマル激トーク・オン・ディマンド(第1100回)は、見田宗介(=真木悠介)教授追悼特別番組「われわれ一人ひとりが翼を持てば自由を手放さずとも社会を変えることはできる」でした。ゲストは大澤真幸さん。見田さんや大澤さん、それから宮台真司さんの読者(ファン)にとっては神回です。
翼をもつことの欲求。
根をもつことの欲求。
これは見田さんの言葉です。人間の根源的な2つの欲求。ペンネームの真木で書かれた代表作『気流の鳴る音』に出てきます。見田さんの功績のひとつとして、弟子のひとりである大澤さんが取り上げていました。曰く《見田先生にとって、どちらがより根源的かといえば、おそらく翼の方。少なくとも翼を先に考えなければいけない》云々。同じく弟子のひとりである宮台さんは、次のようにパラフレーズしています。
翼をもつ、しかし根をもたない状態を、僕は「開かれへの閉ざされ」と呼んでいる。こういう人たちはたくさんいる。開かれに閉ざされている人たち。ここではないどこかを希求するという意味で、ハイデガー的にいえば、本来的なものに向かおうとする「傾き」といえる。しかし本来的なものは、ハイデガーによれば「ない」し、ここではないどこかが「ここ」になった瞬間に、人間は理性的にここではないどこかを想像する存在だから、開かれれに閉ざされることは非常に危ない。
根をもつことは、ある種のあえてする閉ざされに開かれること。それはニヒリズムとエゴイズムを乗り越えるためにはおそらく必須の構え。ロバート・ケネディのいう「理想主義的であるとは現実主義的であり、真の現実主義は理想主義である」と似た方向性をもっている。
開かれへの閉ざされ。
宮台さんがよく使っている「開かれへの閉ざされ」という言葉が、見田さんの「翼をもつこと、根をもつこと」にヒントを得たものだったなんて知りませんでした。翼をもつこと、根をもつこと、そして師をもつこと。どれも大事です。宮台さん曰く《見田先生の言葉をいろんな人がいろんな形でパラフレーズしていくことが大事だと思う》云々。水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ』も、もしかしたら「翼をもつこと」をパラフレーズしたものかもしれません。
水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ2』を読みました。前回の主人公は夢をなくした会社員の僕、今回の主人公は売れないお笑い芸人の僕です。夢を取り戻したい。売れたい。言い換えると、
翼をもちたい。
翼をもつために、今回もまた、夢をかなえるゾウことガネーシャが登場し、偉人のエピソードをフックに説得力のある課題を提示していきます。例えば、以下。
・図書館に行く
・人の意見を聞いて直す
・締切りをつくる
・失敗を笑い話にして人に話す
・優先順位の一位を決める
・やりたいことをやる
・楽しみをあとに取っておく訓練をする
・プレゼントをする
・他の人が気づいていない長所をホメる
・自分が困っているときに、困っている人を助ける
・欲しいものを口に出す
・日常に楽しさを見出す
・自分と同じ苦しみを持つ人を想像する
例えばと書きながら、ほとんど全部の課題をピックアップしてしまったのは、お笑い芸人という仕事が教員のそれと似ているからかもしれません。前回の「1」は子どもに伝えたい課題、今回の「2」は教員に伝えたい課題です。
お客に「笑い」をプレゼントするのがお笑い芸人。
児童・生徒に「学び」をプレゼントするのが教員。
笑いの質や学びの質を高めるために、お笑い芸人も教員も、日々「自己研鑽」に励んでします。そのための課題が、例えば冒頭の引用につながる「図書館へ行く」だったり、チャップリンのように「人の意見を聞いて直す」だったりするというわけです。
「ええか? チャップリンくんはな、自分が撮った映画の試写でずっと観客の反応をメモしてたんやで。それくらい他人の反応のちゅうのを大事にしたんや。それやのになんや自分は。ちょっとおもろない言われたくらいで『あなた書いてくださいよ』て。そんなんで優勝できるほどゴッド・オブ・コントは甘くないで!」
教員は図書館や書店に行って、もっと本を読んだ方がいい。教員は授業を開いて、もっと同僚の意見を聞いた方がいい。ちなみにゴッド・オブ・コントというのは「M-1グランプリ」みたいなものです。ゴッド・オブ・コントでの優勝を目指して、売れないお笑い芸人の「僕」に翼を与えるべく、その相方をガネーシャが務めるというシンプルなプロット。日本一読まれている自己啓発小説だけあって、わかりやすく、そして読みやすい展開です。
根をもつこと。
前作の『夢をかなえるゾウ1』との違いといえば、副題にも名を連ねている貧乏神が登場することでしょう。名を「幸子さん」といいます。主人公の僕と幸子さんの「恋愛」が描かれているんですよね。おそらくは前作があまりに売れすぎたために、開かれ(夢)に閉ざされることは非常に危ないと感じた著者が、根を持つことの大切さを教えるために挿れたものだと想像します。マル激で宮台さんが語っていたマルクスの物象化論を援用すれば、夢への疎外を防ぐためにはどうすればいいのか、ということ。ヒントは性愛。
翼をもつこと、根をもつこと。
どちらもかなえるゾウ。