現在の日本は、巨大カルトが登場しにくくなる一方で、霊能者や占い師などの個人が、別の個人や家族、あるいはせいぜい20~30人以下といった小さな集団をマインド・コントロールする事件が増えていることも、強調しておきたいと思います。
(紀藤正樹『マインド・コントロール』アスコム、2017)
おはようございます。昨日、東京は駒込にあるチェリッシュフーズというキャロットケーキの専門店に足を運んできました。ケーキが目的ではなく、お店の2階にあるイベントスペースで行われていた「Cinema Party」が目的です。上映されていたのは10本のショートフィルムと1編の中編ドキュメンタリー。イベントの主催にかかわっていた知り合いが話していたように、映画館のような非日常の空間ではなく、こういった日常の何気ないところに映画があるのって、
よい。
ご近所シアターというアイデアが振るっています。日常に映画を。ダンサーの三東瑠璃さんが出演しているムービーもあって、贅沢。 pic.twitter.com/RF3uIs2lqw
— CountryTeacher (@HereticsStar) June 7, 2025
日常に映画を。
学校に置き換えると、日常に工夫を、となるでしょうか。研究発表のような非日常の授業ではなく、日常の何気ない授業に工夫があるのって、
よい。
日常の何気ない授業に工夫を凝らすためにも、長時間労働をどうにかしてほしいものです。現状の持ちコマ数では、小学校の学級担任が勤務時間内に全ての授業の工夫を考えるのは、
無理。
無理が通れば道理が引っ込むとはよく言ったもので、道理が引っ込んでしまった結果としての「学校現場は労務管理の無法地帯」(by 内田良さん)でしょう。実質の休憩時間は0分に近く、時間外勤務は労働時間として認めてもらえない。いわば、
法規範からの逸脱です。
弁護士の紀藤正樹さんは、マインド・コントロールかどうかを見極めるときのものさしとして、「法規範や社会規範からの逸脱の度合い」を挙げています。そのものさしをあてれば、私たち教員は為政者によってマインド・コントロールされていることになるのではないでしょうか。マインド・コントロールされているからこそ、休みなく働き続けてしまう。マインド・コントロールされているからこそ、時間外勤務( ≠ 労働時間)も当たり前のようにこなしてまう。以前、マルクス主義の研究で知られる斎藤幸平さんが「日本の教育システムは為政者にとって本当に都合のいいものになっている」と話していました。都合のいい存在から抜け出すためにはどうすればいいのか。言い換えると、マインド・コントロールから抜け出すためにはどうすればいいのか。
先ずは、知る。
紀藤正樹さんの『マインド・コントロール』を読みました。著者の紀藤さんは、主に消費者問題と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)による霊感商法などのカルト宗教問題を専門とする弁護士さんです。旧統一教会だけでなく、オウム真理教や、X JAPANのToshlさんがひっかっかった自己啓発セミナー団体のホームオブハートなどとも闘ってきたことが知られています。本には書かれていないことですが、カルトと対峙している(してきた)ということで、紀藤さんは普段、防弾チョッキを着用しているとのこと。
昨夜の読書会で知りました。
紀藤正樹さんの『マインド・コントロール』読了。今夜の読書会の課題図書。曰く《社会には宗教の衣をまとう危険なカルトがいろいろとあるのだということを、学校できちんと教えるべきだ》&《他人から何かを要求されたとき、もっときちんと断ることができる人間を育ててほしい》。ごもっとも。#読了 pic.twitter.com/85KDT6WOAv
— CountryTeacher (@HereticsStar) June 7, 2025
目次は以下。
プロローグ 「マインド・コントロール」は決して他人事ではない!
第1章 「マインド・コントロール」とは何か?
第2章 「霊感商法」のマインド・コントロールの手口
第3章 「カルト」のマインド・コントロールの手口
第4章 「脱マインド・コントロール」の手法
エピローグ 「マインド・コントロール被害」を減らすための提言
目次からもわかるように、マインド・コントロールとはどういうものなのか、マインド・コントロールの具体的な手口はどのようなものなのか、マインド・コントロールから逃れるためにはどうすればいいのか、近しい人がマインド・コントロールにかかってしまったらどうすればいいのか、等々、そういったことが書かれています。これまでに数多くの被害者と接してきた著者だからこそ鳴らせる《他人事ではない!》という警鐘であり、警告の書といえるでしょう。ちなみにカルトの定義のひとつとして、次のように書かれており、下手をすると学校もそうなりかねないと思ってしまいました。
信者から主体性を奪い、依存しなければ生きていけない多くの人間を、日々組織的に生み出すのがカルトだ、ともいえます。
低学年のときの指導の成果(?)でしょうか、3年生になってからもう2ヶ月過ぎたのに、未だに「トイレに行ってもいいですか?」なんて聞きに来る子がいて心配になります。
今は休み時間なんだから、自分で考えようね。
この「自分で考える」ができなくなって誰かに依存してしまうのがマインド・コントロールです。恐ろしい。では、そうならないためにはどうすればいいのか。昨夜の読書会でも話題になりましたが、例えば薬物乱用防止教室のように、マインド・コントロールについても「~教室」というかたちの授業を小学校や中学校のときに必ず行えば、個人レベルで、少しは免疫がつくのではないかと思いました。前回のブログで取り上げた東畑開人さんの『野の医者は笑う』に登場する怪しげな(?)ヒーラー達も、ある意味マインド・コントロール的なことをしているわけですから。そして冒頭に引用したように《巨大カルトが登場しにくくなる一方で、霊能者や占い師などの個人が、別の個人や家族、あるいはせいぜい20~30人以下といった小さな集団をマインド・コントロールする事件が増えている》わけですから、「だましの手口を一挙公開、マインド・コントロール教室」(仮)の開催、
必要です。
教育を通して、個人がもっているカルトに対する免疫を高めていけば、集団がもっているカルトに対する免疫、言い換えると日本という国レベルでの免疫も高まるのではないか、と考えるのは脳天気に過ぎるでしょうか。
ようするに、日本という国はカルトの世界的な穴場で、カルトの世界的な吹きだまりになっています。日本がカルトに対してもっとも甘いから、統一教会がもっとも繁栄することができ、オウム真理教が数千人を巻き込む無差別テロを実行できたのです。これは、きわめて深刻な問題です。
深刻な問題です。カルトに限らず、例えば政党の党首が教祖みたいになっている昨今の政治状況を鑑みてもそう思います。学校では、政治のことも、宗教のことも、
語りにくい。
深刻な状況が改まらない理由のひとつは、そういったところにもあると思うのですが、どうでしょうか。教員は、政治のことや宗教のことを、教室外でもっと勉強して、教室内でもっと語った方がいい。もちろん特定の政党を勧めたりするのはNGですが、そういうレベルの低い話をしたいのではなく‥‥‥。それにしても、
レベルの高い読書会だったなぁ。
次回も楽しみです。