田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『猪瀬直樹の仕事力』より。親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。

 アメリカもフランスも、文盲率は15パーセントなんですよ。中国は50パーセント以上で、日本は文盲率ゼロでしょう。文盲率が15パーセントというのは、その人たちは本を読まないわけですね。それは逆の極にインテリが15パーセントいるということなんだ。インテリが15パーセントいると、正しいベストセラーというのが生まれるけど、日本は逆の15パーセントのところにベストセラーが生まれる可能性があるのだから、二谷友里恵も100万部売れちゃう。
 週刊誌なんかでも、僕の連載があったり、それからヌードの写真があったりして、幕の内弁当みたいに全部ある(笑)。文盲率ゼロというのはそういう状態なんです。
(猪瀬直樹『猪瀬直樹の仕事力』潮出版社、2011)

 

 こんばんは。文盲率に関する猪瀬直樹さんの「見方・考え方」が、教科書通りではなくておもしろすぎます。赤線を引きながら読み進めていくと、猪瀬さんの対談相手を務めていた小説家の小島信夫さん(1915-2006)が、私の気持ちを代弁するかのように《いまの話は、何を書くよりもそのことのほうがおもしろい(笑)。その現象は困ったことだけど。》と返していて、

 

 ほんと、おもしろいなぁ。

 

 もしも日本の文盲率がゼロではなくて、正しいベストセラーが生まれる構造があったとしたら、猪瀬さんの新刊の『太陽の男』も100万部くらい売れていたかもしれません。間違いなくインテリに刺さる一冊ですから。少なくとも同出版社(中央公論新社)から同じようなタイミングで書店に並べられた『安倍晋三  回顧録』よりは売れて然るべきだと思います。ちなみに対談が行われたのは1991年なので、さすがに少しは文盲率が下がって、換言すると初等教育の力で文盲率が下がって、アメリカやフランス、中国でも同じような困った現象が起きている可能性があります。そうすると、

 

 世界中、困ったことに。

 

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 石原慎太郎さん(1932-2022)の一周忌に間に合うよう、夜を徹して『太陽の男』を仕上げたという作家の猪瀬さんは、現職の国会議員でもあり、マスクの件であったりコロナ対策費の件であったりと、国会の質疑の場面でも目覚ましく活躍している「超人」です。御年76歳というのだから、その仕事力は並大抵のものではありません。さらに「恋する日常」をも送っているというのだから、石原さんよりも「価値紊乱者」の名に相応しい生き方をしているのではないかというのが、昔からのファンとしての見解です。いったい、なぜこんなにも中身の詰まったたくさんの仕事を続けることができるのでしょうか。

 

 

 猪瀬直樹さんの『猪瀬直樹の仕事力』を読みました。時評とルポと対談の3つのパートで構成された一冊です。目次は以下。

 

 はじめに 僕はこうやって仕事をしてきた
 第一章 改革の現場から ―― そして東京へ
 第二章 誰も知らなかったコトを見てみたい
 第三章 「日本」と「文明」をめぐって

 

 教科書にはこう書いてあった。
「日本は軍国主義により、無謀な戦争をして負けた」
 こんな簡単な説明で、僕の疑問が解けるはずもない。なぜ日本人は本気で戦争を始めたのか。まさか、初めから負ける見通しで戦争を始めるわけがないだろう。戦争を始めた当初は、勝つ見通しをもっていたに違いない。物量が少ないのに、日本はどうやってアメリカに勝つと考えたのか。

 

 僕はこうやって仕事をしてきた(はじめに)より。中学生だった猪瀬さんの「おや?」「なぜ?」が描かれているところを引用しました。猪瀬さんの仕事力の源泉は、この「おや?」「なぜ?」にあります。国家とは何か(?)とか、「昭和」という元号は、いったい誰がつくったのか(?)とか、作家の仕事とは何なのか(?)とか。小学校の授業でも大切にしたい「自分の問い」です。絵本のタイトルにもなっている「教室はまちがうところだ」(作/蒔田晋治)もいいですが、どちらかといえば「教室は質問するところだ」の方が仕事力の涵養には役立つというわけです。

 

 質問する能力の涵養こそ、教室のレーゾンデートル!

 

 では、その「おや?」「なぜ?」を生むためにはどうすればいいのでしょうか。猪瀬さん曰く《教科書に書かれていない視点に、どうやって気がつくか。そして、浮かび上がった謎にどうやって切り込んでいくか》云々。これ、重要です。

 

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 猪瀬さんのことを知らない人には、この「はじめに」だけでも読んでほしい。例えば《18歳で上京したが、半年で長野に戻り、結局、母親の病気もありながら親孝行でもなく、単なる怠け者にすぎない。そういう自分をもてあましていた。信州大学人文学部に入ると同人雑誌をつくった。石原慎太郎と大江健三郎が最年少で芥川賞を受賞したことだけはしっかりと頭に刻まれており、締め切りは23歳だと決めた》というくだりなんて、読書欲がくすぐられますよね。もちろん、時評(第1章)とルポ(第2章)と対談(第3章)にも読書欲をくすぐられるくだりがたくさんあって、特にルポと対談には伝記的なおもしろさがあるため、インテリではなかったとしても、活字の世界にスッと入り込めるのではないでしょうか。

 

世界的発明の原点が、ひもじさにあったことは記憶にとどめておくべきことだと思う。

 

 粉末酒を発明した佐藤食品工業についてのルポ(第2章)より。世の中にある変わった会社を猪瀬さんが訪れ、その変わった会社の変わった経営者を取材するというのが第2章です。ここでいう「変わった」というのは、本質的に「教科書に書かれていない」と同義です。

 

 これ、重要。

 

 猪瀬さんは、取材した経営者(佐藤食品工業の佐藤仁一や、ワンビシ・アーカイブズの樋口捲三、等々)と「うまが合った」と書きます。なぜならば、彼らもまた、猪瀬さんと同様に『坊ちゃん』のひとりだからです。猪瀬さん曰く《僕は夏目漱石の『坊ちゃん』のような「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」という自覚が半分ぐらい、少年時代からあっ》た、とのこと。

 

 

 幼少期のひもじさが世界的発明の原点になるように、子どものときの「損」は「バネ」になります。だから保護者のみなさんは、「我が子が損をした」的なクレームを学校に入れるのはやめましょう。

 

 無鉄砲さって、大事。

 

猪瀬 ところで、『妻よ!』を読むと、河野さん自身の人生がすでにドラマチックなんですね。河野さんが大学を出た頃は、自由に生きるという時代の気分が出来上がった頃で、河野さんも転々と働いている。年功序列のなかで死ぬまで働くというのとは違うライフスタイル、自由だけれど一貫性がある。警察はそれを「変わったやつだな」と思ったのかもしれない。

 

 第3章の対談より。河野さんというのは、94年の松本サリン事件のときに、被害者でありながら犯人のように扱われた河野義行さんのことです。事件のことは知っていても、河野さんのそれまでの「生き方」を知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。それこそ「損」どころではない事態に見舞われたにも関わらず、河野さんが冷静でいられたのは、猪瀬さんと同じように、河野さんもまた「流されない生き方」をしてきた『坊ちゃん』であり、警察がいうところの「変わった」生き方、すなわち「教科書に書かれていない」生き方をしてきたからです。

 

 これ、重要。

 

 人と違うライフスタイルを確立するためには、自分の頭で考え、自分の体で感じる必要があります。つまり、「変わった」≒「無鉄砲」≒「価値紊乱」≒「教科書に書かれていない」≒「自由だけれど一貫性がある」という「≒」が背景にあって、最初の問いに戻ると、猪瀬さんの仕事力が図抜けているのは、この「変わった」に対する嗅覚が鋭く、すなわち「教科書に書かれていない視点」への嗅覚が鋭く、そこから自分の問いをつくって探究する力が圧倒的に長けているからでしょう。

 

 今日から新年度です。

 

 変わった一年を!