田舎教師ときどき都会教師

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イザベラ・ディオニシオ 著『平安女子は、みんな必死で恋してた』より。異次元の少子化対策のために、草食男子よ、『竹取物語』を読め!

「男同士は本来、お互いに無関心なものだが、女は生まれつき敵同士である」とは、何につけても悲観的な哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーが残した名言の一つだが、確かに思い当たる節がある。女同士の関係は、グループ内の派閥が激しく、男性が絡むと非常に面倒、陰口が多いわりに必死に褒め合うことが鉄則、どう振る舞っても遅かれ早かれ地雷を踏んでしまう。なんて怖い生き物だ……。
 時代や文化は違えど、女性の本性を知り尽くした清少納言姐さんもショーペンハウアーと同じようなことを思ったようで、『枕草子』の中の「ありがたきもの」という段を以下の文章で締めくくっている。
(イザベラ・ディオニシオ『平安女子は、みんな必死で恋してた』淡交社、2020)

 

 こんばんは。恋をしたり遊んだりすると、セレンディピティが起きたり、中島岳志さんいうところの「思いがけず利他」が生まれたりする蓋然性が高くなるそうです。先日、東京は品川にある隣町珈琲のイベントで、『世界は贈与でできている』の著者である近内悠太さんがそのように話していました。

 

 わかる!

 

 感覚的に「わかる!」と思ったあなた。あなたはきっと、近内さんや清少納言姐さんやイザベラ・ディオニシオさんと同じように、被贈与者としての「ありがたき」経験があって、具体的には必死で恋をしたり必死で遊んだりした経験があって、さらにそのことを適切に物語ることができる人なのでしょう。

 

 

 

 イザベラ・ディオニシオさんの『平安女子は、みんな必死で恋してた』を読みました。副題に「イタリア人がハマった日本の古典」とあるように、著者は生粋のイタリア人です。ボーイ・ミーツ・ガールならぬ、

 

 イタリア人・ミーツ・平安ガール φ(..)

 

everythinghasastory.jp

 

 ムラサキシキブという名前を初めて知ったのは(=日本の古典文学に初めて出会ったのは)、ヴェネツィア大学の1年生のときだったというイザベラさん。それから約20年後に、その紫式部のことを次のように評するようになるなんて、しかも超訳 ”古典エッセイ” として日本語で表現するようになるなんて、おそらくは1ミリも想像していなかったことでしょう。草葉の陰から見守っているであろう紫式部もびっくりです。

 

 例として『紫式部日記』を挙げてみよう。そこには、作者が属していた小さなコミュニティの中で繰り広げられる泥沼の人間模様がはっきりと記録され、現代社会の様々な場面に通ずるところがたくさんあって、ページをめくるなり、平安京の給湯室を覗いているような気持ちになる。噂あり、嫉妬あり、悔し涙あり、そしてときには共有スペースでの歯磨きや爪切りというような許すまじき行為をする人も現れ、職場における大人の世界のディープなところまでがイキイキと描写されている。

 

 どうでしょうか。平安京の給湯室が、小学校の職員室のように見えてくるのではないでしょうか。こんなふうに、平安女子の営みを、令和女子のそれとして読み替えることができるところに、この本の魅力があります。そしてその魅力は、以下の目次にそれこそ《イキイキと描写》されています。

 

 平安京を騒がせたプロ愛人
 和泉式部『和泉式部日記』

 ヲタク気質な妄想乙女
 菅原孝標女『更級日記』

 儚げ? バリキャリ? ミステリアス女王
 小野小町『古今和歌集』

 女であることを誇れ! カリスマ姐さん
 清少納言『枕草子』

 ハイスペック ✕ 素直になれない = 鬼嫁
 藤原道綱母『蜻蛉日記』

 語り継ぎたい破天荒カップルたち
 『伊勢物語』の女たち

 ダメ男しか掴めない薄幸の美女
 二条『とはずがたり』

 給湯室ガールズトークの元祖
 紫式部『紫式部日記』

 ふたつの顔を持つ日本最古のヒロイン
 かぐや姫『竹取物語』

 イタリアの超奥手こじらせ男子
 ダンテ『新生』VS 平安女子
 

 すぐにでも読みたくなりますよね。古典という「聖」なるものと、プロ愛人という言葉に代表される「俗」なるものが、渾然一体となっているこの目次。例えば、小学生でも知っている『竹取物語』は、肉食男子が群がってあの手この手でかぐや姫を口説こうとする俗なる物語として「超訳」されています。もしかしたら異次元の少子化対策にも役立つかもしれません。イザベラさん曰く、

 

草食男子よ、『竹取物語』を読め

 

 冒頭の引用は「女であることを誇れ! カリスマ姐さん」、ではなく「ハイスペック ✕ 素直になれない = 鬼嫁」からとったもので、次のように続きます。

 

 男、女をば言はじ、女どちも、契り深くてかたらふ人の、末まで仲よきこと、難し。

(イザベラ流  超訳)
 男と女は言わずもがな、女同士でもなんでも話せる人と、ずっと超仲良しということはほとんどあり得ない。

 

 こんなふうに、原文と超訳がところどころに挟み込まれ、知的に痴的に(?)楽しめるところもこの本の魅力です。

 本年度、6年生の担任になったあなた。この本の一部を子どもたちに読み聞かせてみてください。子どもたちが平安時代の日本文化に興味をもつこと間違いなしです。高学年女子のややこしいトラブルだって、昔からずっと続いているものだと思えば、肩の力を抜いて指導にあたることができるのではないでしょうか。それにしても、まだ新年度が始まったばかりだというのに、

 

 職員室がしんどい。

 

 おやすみなさい。