これらの映画の主人公は恋愛を通して、それを超えた向こう側にたどり着きます。それは「他者」です。人は人を恋すること、愛することで、自分以外の人の気持ちをどうしても知りたいと願います。そのためには自分の心も開かねばなりません。それによって、今まで知らなかった本当の自分自身を知ります。
そして変わります。自分として生きるため。
人は自分自身では変わることができません。そのチャンスをくれるのが恋であり、愛なのではないでしょうか。
(町山智浩『恋する映画』スモール出版、2021)
こんにちは。先日、話題の映画『偶然と想像』を観ました。監督は、前作の『ドライブ・マイ・カー』で第79回ゴールデン・グローブ賞(作品賞)をはじめとする数々の賞を受賞した濱口竜介さんです。濱口さんは、映画『CURE』などで知られる黒沢清さんのお弟子さんとのこと。
もう一度、観たい。
映画『偶然と想像』は3つの物語からなる短編集で、偶然と想像を結び付ける紐帯は「恋」です。第1話の「魔法(よりもっと不確か)」も、第2話の「扉は開けたままで」も、第3話の「もう一度」も、タイトルからして「恋」を想像させます。つまりこれは、
恋する映画。
町山智浩さんの『恋する映画』を読みました。紹介されているのは以下の8本の恋愛映画です。
①(500日)のサマー
② マリッジ・ストーリー
③ 美女と野獣
④ 愛がなんだ
⑤ SHAME-シェイム-
⑥ 汚れた血
⑦ COLD WAR あの歌、2つの心
⑧ ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから
町山さんがそれぞれの映画を解説するにあたってつけた小見出しは、以下。
①「これはラブストーリーではない」。では、いったい何?
② 誰かを本気で愛したらその愛を消すことはできない。
③ 女と男の寓話二千年の進化
④ 生きるために誰かを愛する
⑤ セックス依存症の男にとって「恥」とは何か?
⑥ 恋と革命のために燃えつきたいという衝動
⑦ 猛スピードで描かれる国境も時代も超えた愛
⑧ 人はどうして人を好きになるのか?
人はどうして人を好きになるのか。クラスの子どもたち(小学6年生)にも訊いてみたい問いです。生涯未婚率が年々上昇し、若者の性的退行が進んでいる(『青少年の性行動』第8回調査報告)といわれている世の中です。性感染症とか、恋愛はコスパが悪いとか、そういった負の情報ではなく、義務教育の段階で「恋すること」と「学ぶこと&生きること」がイコールの関係にあることを教えるのは、国算理社に負けず劣らず、とっても大切なことだと思うのですが、どうでしょうか。町山さんは「おわりに」に次のように書いています。
誰かを好きになったとき、なぜだろうと考えました。その人のどこに惹かれたのか、と。それは自分と似ているからだったり、逆に自分とまったく違うからだったり、自分がそうなりたい理想だったりします。そして、その人と生きる人生を考えた時、自分の人生の目的も見えてきたりします。『愛がなんだ』のテルコが象を撫でる自分を見たように。
だから、人を好きになることは、他者への扉、自分の扉を開けるチャンスじゃないか。
そっくりそのまま子どもたちに贈りたい言葉です。教育を語るにあたって、他者への扉、自分の扉を開けること以上に本質的なことはありません。ちなみにこの『恋する映画』を教室で読んでいたら、多感な女子が怪訝な感じでタイトルを口にして「先生、いい歳して何読んでるの」みたいな表情をしたのでちょっとうけました。
この中に書かれている映画、ひとつも観たことないんだけどね。
その事実は伝えませんでしたが、それでもおもしろく読めたのは、教育と似て、恋というテーマは誰もが経験者として語ることができるからでしょう。教育格差、あるいは恋愛格差という言葉に広げれば、町山さんの『それでも映画は「格差」を描く』が読みやすかったわけもわかります。世界中の人々がその渦中にいるから、というのがその理由でしょう。
それでも映画は「恋」を描く。
トムも子どもの頃の「おとぎ話」を信じ続け、つまり歳を取ることを拒否してきましたが、そのままではドリアン・グレイやホールデンと同じです。でも、サマーとの別れで一気に歳を取り、大人になれたんです。
恋愛を通して、トムとサマーはお互いに自分にないものを相手から受け取って、成長しました。本当の自分自身に気づいたんです。
これは『(500日)のサマー』(マーク・ウェブ 監督作品)からの引用です。主人公のトムがサマーという女性に恋した500日を「非・時系列」に描いた映画で、その構成は、町山さんが指摘するにウディ・アレン監督の『アニー・ホール』に強く影響を受けているとのこと。ちなみにこの構成は、町山さんの文体にも通ずるところがあって、本好きであれば上記の引用を一読してわかるように、ドリアン・グレイとかホールデンとか、念のために書いておくとオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』とかJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』とか、つまりは小説や他の映画がそれこそ「非・時系列」に参照されつつ「恋」の本質が語られていく、町山さんらしさとも似ているというわけです。
「これはラブストーリーではない」。では、いったい何?
小見出しに対する答えとして『アニー・ホール』に登場するアルビーの言葉が紹介されます。
「恋をしても辛いことが多いのに、それでもなぜ人は恋をするんだろう? 恋することには価値があるんだ。たとえそれが悲しい結果に終わっても、必ず何かの ”卵” が得られるんだ」
これまた子どもたちにそのまま贈りたい言葉です。恋する映画を観て、意見や考え、感想等をシェアして、最後に担任が町山さんのように語る。総合的な学習の時間などを活用してコンスタントにそういった授業ができれば、恋愛格差の解消やストップ少子化も期待できるかもしれません。そもそも学校における性教育の延長線上に「恋愛」があるのは、感染症医の岩田健太郎さんも同様のことを書いていますが、自明でしょう。
このへんも『クレイマー、クレイマー』に似ています。家を出ていった妻が仕事で評価されて元気になっていくいっぽう、夫は妻に逃げられたショックで落ち込むし、子育ての仕事もダメになっちゃうんですね。
これは『マリッジ・ストーリー』(ノア・バームバック 監督作品)より。実話を基にした離婚の話であり、例によって別の映画が参照されているわけですが、例えばロバート・ベントン監督の『クレイマー、クレイマー』なんて、高校生くらいのときに観て、考えて、友達と一緒に「うちはね~」と語り合う経験を積むことができたら、間違いなく勉強になります。ちなみに離婚の話なのにタイトルが『マリッジ・ストーリー』となっているのはなぜだろうと思ったそこのあなた。ぜひ本を手にとって読んでみてください。深イイ話です。
ここに少しだけ紹介した2つの映画以外にも、例えば『美女と野獣』(ビル・コンドン 監督作品)では、『美女と野獣』と同じように、『鶴の恩返し』や『雪女』が夫婦円満の秘訣を民話のかたちで私たちに伝えているということが学べたり、『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』(アリス・ウー 監督作品)では、主人公の父親が口にする《誰かを本当に愛したら、その人に変わってほしいなんて思わないんだよ》なんていう素敵な言葉を学べたりします。さて、
人はどうして人を好きになるのでしょうか。
明日、子どもたちに訊いてみます。