ものを書くという営みの時間は、恋の時間とは、まったく別物だ。
けれども、ペンを執った時点では、書くのは、まさにあの、見る映画の選択から口紅選びまで、何もかもが同じ方へ、ある人の方へ向かって流れていた時間の内にとどまるためだった。最初の数行から、ごく自然に「・・・・・・していた」「・・・・・・するのだった」という書き方をしたのは、そういう書き方が、時の言い表し方として、私が終わらないでほしいと願っている持続に、「あの頃、人生はもっと美しかった」といった思いに、また、同じモチーフの永遠の反復にふさわしいからだった。
(アニー・エルノー『シンプルな情熱』早川書房、2002)
こんばんは。先週末、銀座にある吉井画廊に足を運んで、女優で画家の蜷川有紀さんの個展『薔薇の神曲Ⅱ』を見てきました。作家でありパートナーでもある猪瀬直樹さんに、再婚するにあたって「恋する日常をしましょう」と囁かれたという蜷川さんです。アニー・エルノーの『シンプルな情熱』を引きつつ、ドレスアップした蜷川さんに「絵を描くという営みの時間は、恋の時間とは、まったく別物なのでしょうか」なんて洒落た質問を……、できるはずもなく、情熱の塊のような巨大なアートを前に、ただただ圧倒されるばかりでした。
スタバなう。アートは自由にする。 pic.twitter.com/YJOlK6nYYv
— CountryTeacher (@HereticsStar) November 12, 2022
とはいえ、たった一度の人生です。ダンテの『神曲 ~煉獄篇~』をテーマにしたという超大作「魂の巡礼者」に圧倒されつつもチャンスをうかがい、職業病的な質問を試みてみました。
小学生にはどのように教えたらよいと思いますか?
図工の授業についての質問です。蜷川さん曰く「子どもの頃、ブロンズ粘土で顔の像をつくったときに、クラスの男の子3人に笑われてしまった。私のつくった像だけが、みんなとは違って、ピカソのような作品(おそらくはキュビズム的なそれ)になっていたからだ。笑われて落ち込んだものの、母はその作品をとてもほめてくれた。素晴らしいと言ってくれた。だから子どもたちには自由に伸び伸びと描かせてあげて。最低限の手法を教えたら、後は好きなように描かせてあげて。そしてたくさん褒めてあげて」云々。
母、素晴らしい。
子どもの頃のエピソードをもとに、そのようなお話をいただきました。坂本龍一さんに『音楽は自由にする』というタイトルの本があります。それに倣えば、蜷川さんのメッセージは「アートは自由にする」となるでしょう。
アートは自由にする。
恋愛も自由にする。
今年のノーベル文学賞を受賞した、アニー・エルノーの『シンプルな情熱』を読みました。離婚した女性が、妻子ある若い男性と恋に落ちるという、シンプルなストーリーです。その女性とは著者自身のことであり、情熱とは passion のこと。訳者の堀茂樹さんは、この passion には「受難」の意味があるといい、《語源に遡れば、受け身の状態であり、苦しみであるということだ》と書きます。つまり、
受難としての恋。
受難としての恋は、まぁ、A・エルノーのケースは不倫ゆえ、蜷川さんがテーマにした煉獄篇に登場する「7つの大罪」のひとつの「淫欲」に当てはまるかもしれません。淫欲の罪を浄化すべく、A・エルノーは自身の体験を赤裸々に綴ります。
例えばこんなふうに。
彼の車ルノー25(大型の高級車)の二つの音、ブレーキをかけて停車する音とふたたび発進していく音に区切られた時間の持続の間、私は確信していた。これまでの人生で、自分は子供も持ったし、いろいろな試験にも合格したし、遠方へも旅行したけれど、このこと――昼下がりにこの人とベッドにいること以上に重要なことは何ひとつ体験しなかった、と。
例えばこんなふうにも。
私はしばしば、彼にとって、セックスをして過ごすああした午後はどんな意味を持っているのだろうかと自問した。おそらく、セックスをするという、まさにそのこと以外に意味などなかったのだろう。いずれにせよ、そこに補足的な理由を探すのは徒労だった。結局、私が確信できることはただ一つ、彼が欲望しているか、していないか、そのことだけだったのだから。疑問の余地のない唯一の真実は、彼の性器を見れば一目瞭然だった。
同じような体験をしたことはあるでしょうか。同質の激しい恋に落ちたことのある読者は、自分の体験に言葉を与えられることでカタルシスを得られるかもしれません。
A・エルノーは《贈り物に対する一種の返礼》としてこの小説を書いたといいます。受難としての恋は、贈り物だった、と。これ以上の贅沢はなかった、と。受難としての恋を、不倫を、贅沢な贈り物だったと言い切れるところ、
さすがフランス人です。
村上春樹さんの描く恋愛とは、違う。リアリティーという意味で、違う。おそらくA・エルノーは、4月のある晴れた朝に100パーセントの男の子に出会うことについて、なんてメルヘンなことは書かない。
だからノーベル賞なのでしょう。
アニー・エルノーの『シンプルな情熱』は、本猿さんのブログを読んだことがきっかけで手に取りました。人を愛する自分自身をも愛するというのは、A・エルノー然り、蜷川さん然りで、シンプルな情熱をもっている女性には「自由」という共通点があるように映ります。
アートも恋愛も、自由にする。
教育も、自由にする。