田舎教師ときどき都会教師

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三浦英之 著『五色の虹』より。かつて「日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人」が寝食を共にした大学があった。

満州国は日本政府が捏造した紛れもない傀儡国家でしたが、建国大学で学んだ学生たちは真剣にそこで五族協和の実現を目指そうとしていた。私が建国大学を振り返るときに、真っ先に思い出されるのはそういうところです。みんな若くて、本当に取っ組み合いながら真剣に議論をした。我々に足りないものは何か、我々は何を学べばいいのか。私は朝鮮民族でしたから、他の同窓生とはちょっと感想が違っているかもしれませんが、日本人学生たちはいかに日本が満州をリードして五族協和を成功させるのかについて熱くなっていたような気がします。中国人学生は、満州はもともと中国のものなのに、なぜ日本が中心となって満州国を作るのか、という批判が常に先に立っていました。その点、朝鮮人学生たちは最も純粋な意味で、五族協和を目指していたと言えるのかもしれません。
(三浦英之『五色の虹』集英社文庫、2017)

 

 おはようございます。建国大学というのは「幻の大学」と呼ばれた「満州建国大学」(1938年5月開学、1945年8月閉学)のことです。どれくらい幻かというと、おそらくは小中学校の教員で知っている人はほとんどいないのではないかというくらいに幻です。私もこの本を読むまで知りませんでした。日本人として、教員として、知らなければいけないのに、知っているべきなのに、知らないことがまだまだたくさんあります。ホント、残業なんてしている場合ではありません。もっと読んで、知って、子どもたちに伝えないと。ちなみに著者である三浦英之さんも、遡ること12年前、85歳の老人から「私はこれでも建大生の端くれですから」と直接その言葉を聞くまで知らなかったとのこと。

 

 ケンダイセイ?

 

 

 三浦英之さんの『五色の虹』を読みました。日中戦争の最中に設立された最高学府「満州建国大学」の真実に迫った傑作で、2015年に第13回開高健ノンフィクション賞を受賞しています。タイトルにある「五色」とは、日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人のこと。すなわち満州国が国是としていた「五族協和」の「五族」のこと。『五色の虹』の「虹」は、多民族国家の実現を目指した故ネルソン・マンデラの「レインボー・ネイション」という言葉に著者が想を得たという「虹」です。

 

 目次は以下。

 

 序 章 最後の同窓会
 第一章 新潟
 第二章 武蔵野
 第三章 東京
 第四章 神戸
 第五章 大連
 第六章 長春
 第七章 ウランバートル
 第八章 ソウル
 第九章 台北
 第十章 中央アジアの上空で
 第十一章 アルマトイ
 あとがき 

 

 目次からわかるように、三浦さんは、五つの国に散らばっている建国大学の卒業生を訪ね歩き、彼らの話を聞くことで、戦後の日本という国の自画像を捉えなおそうとします。それも大急ぎで。というのも、ほとんどの卒業生がすでに鬼籍に入るか入りかけていたからです。だから序章は、

 

 最後の同窓会。

 

 冒頭の引用は第八章の「ソウル」より。話し手は、1990年に南北初の首相会談を実現させた、韓国の元首相姜英勲(1922ー2016)です。

 建国大学には、姜英勲のように、一国の首相に上り詰めるくらいのスーパーエリートが集まっていました。解説を書いている作家の梯久美子さんによると《創立当時は合格定員150名に対し、日本領および満州国内から2万人以上の志願者があった》というのだから驚きです。その倍率たるや、2倍前後という現在の教員採用試験(小学校)とは比べものになりません。建国大学を設立した人々は、教育は国の礎であるということをよく理解していたのでしょう。令和の為政者にもわかってほしいところです。だって、

 

 かたや倍率133倍超、かたや倍率2倍前後。

 

 倍率2倍前後では、建国大学の学生のような「パブリックマインド」をもった人材を「公」教育の現場に集めることはできません。当時としては珍しく「言論の自由」を許されていたという建国大学では、姜英勲が語っているように、学生たちは議論に明け暮れ、真剣に「公」のことを語り合っていたとのこと。同様のことを他の卒業生も語っています。

 

「そして、それは何も我々日本人学生だけじゃなかった。中国人も朝鮮人もモンゴル人もロシア人も、誰もが当時、どんな世の中を作るべきか、そればかりを考えていた。この先の自分の人生がどうなるのかということは、取るに足りないことだった。もっと大きなこと、もっと果てしないことを考えていた・・・・・・」

 

 第四章「神戸」より。一期生の百々和(どどかず)さんの言葉です。そんなパブリックマインドに溢れていた建大生たちが、1945年8月15日、つまり日本の敗戦を境にどうなったのかといえば、

 

 ブラックそのもの。

 

 教員の労働環境の比ではありません。過労死ではなく、拷問死が多々。韓国は違ったそうですが、非日系の学生たちの多くが、日本帝国主義への協力者とみなされ、徹底的に糾弾・弾圧されたとのこと。第五章の「大連」、第六章の「長春」に登場する中国人の卒業生なんて、未だに監視されているんです。

 

「私はこれまで、本当に辛い人生を歩んできました」と谷は涙声になってすがるように話した。「努力しても、決して報われることがない。そして今もまた、こういう経験をさせられる。私を日本の記者に会わせないということは、『彼ら』がまだ私を危険分子としてみなしているからなのでしょう? どうして・・・・・・。私はこんなにも努力しているのに・・・・・・」
「盗聴されているかもしれませんから」と私が告げても、谷は電話を切ろうとはしなかった。電話口の向こうで一人の老人がむせぶように泣き続けていた。

 

 三浦さんも中国政府から嫌がらせを受けます。不都合な事実は絶対に記録させない、記録したものだけが記憶され、事実としていかようにも使うことができるということを、中国政府は経験上よくわかっているんですよね。三浦さんは身の危険を感じながらもインタビューを続けます。作家の猪瀬直樹さんに《記録する意思こそ問われねばならぬ》という言葉がありますが、まさにそれでしょう。このブログで取り上げた本でいえば、日垣隆さんの『「松代大本営」の真実』なども、記録する意思、あるいは意志を感じさせます。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 三浦さんの『五色の虹』を読み終えた後に、沢木耕太郎さんの新刊『天路の旅人』を読みました。建学生と同時代を生きていた先人、第二次大戦末期に中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した日本人・西川一三の話です。どちらも子どもたちに読ませたい、

 

 記録。

 

 日本の近代史を真面目に学ぶことでしか、パブリックマインドや公の意識は生まれないからです。読めば、テレビでサッカーのワールドカップを楽しむことができるような「平和」が、先人からの贈与であることに気づきます。そして気づけば、「今」に対する見方・考え方が変わるでしょう。

 

 祝日ですが、今日はこれから出勤です。

 

 贈与を意識しつつ。