田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

沢木耕太郎 著『天路の旅人』より。沢木耕太郎 meets 西川一三。『深夜特急』meets『秘境西域八年の潜行』。

 西川が疲れからついついうつらうつらしかかると、「寝るな」と揺り起こされてしまう。それは蒙古に帰ってからの土産話になるよう、できるだけ多くのものを見させようとする親切心からなのだった。
 バルタンのこの幼児のような振る舞いに、西川も心を動かされないわけにはいかなかった。自分はついに本来は敵地であるインド亜大陸に足を踏み入れたという抽象的なことに感動しているが、バルタンは見るものすべてに感動している。それは旅をするということの最も根源にある喜びを体現しているようでもあった。
 やがて、夜明け近くに、汽車は巨大なカルカッタの東の玄関口であるシアルダー駅に着いた。
(沢木耕太郎『天路の旅人』文藝春秋、2022)

 

 こんにちは。昨日、20代の頃に旅をしていたときの写真をクラスの子どもたちに見せました。他者理解をテーマにした総合的な学習の時間「結局、人。やっぱり、生き方。~オリパラ編~」の一コマです。単元全体を通して、子どもたちに蒔きたい種は、生きるということの最も根源にある喜びは、

 

 他者だよ!

 

 ということ。第二次世界大戦末期に中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入していた、西川一三(にしかわ かずみ、1918-2008)も感じ取っていたであろう喜びです。西川の生き方に惹かれ、共鳴した『深夜特急』の沢木耕太郎さんも同様でしょう。見るもの全てに感動していたバルタンだって、そもそもの喜びは西川との出会いにあったはずです。

 

 結局、人。やっぱり、生き方。

 

カンボジアのアンコールワットにて(2001)

 

 

 沢木耕太郎さんの新刊『天路の旅人』を読みました。天路の旅人こと西川一三を描いたノンフィクションです。前回のブログで取り上げた「満州建国大学」と同様に、小学校の教科書には載っていませんが、Wikipedia で検索すれば《日本の諜報部員。日中戦争下に内モンゴルより河西回廊を経てチベットに潜行。戦後インドを経て帰国》と出てくるくらいには有名な人です。

 

 そして、知っておくべき人。

 

 南満州鉄道(満鉄)大連本社を退社した後に、駐蒙古大使館が主宰する情報部員養成機関である興亜義塾に入塾。1943年、同塾を卒業後、数え年で26歳のときに内蒙古を出発。モンゴル僧「ロブサン・サンボー」と身を偽り、日本の敗戦後も密偵としての活動を続ける。帰国したのは8年後。その軌跡については、自身の手でまとめられ、大部の著作『秘境西域八年の潜行』として出版されています。26歳のときに旅を始めたという共通点があるとはいえ、すでに当人によって一冊の本として世に送り出されているにもかかわらず、

 

 なぜ沢木さんは西川の旅を描こうと思ったのか。

 

 私が西川一三という人物に興味を覚えたのは、密偵や巡礼としての旅そのものというより、日本に帰ってきてからの日々をも含めたその人生だったかもしれない。
 戦争が終わって五年後に日本に帰ってきた西川は、数年をかけて『秘境西域八年の潜行』を書き上げると、あとはただひたすら盛岡で化粧品店の主としての人生をまっとうしてきたという。
 そこには、強い信念を抱いて生きてきたに違いない、ひとりの旅の達人、いや人生の達人がいるように思えた。

 

 沢木さんが同じ旅人として、旅そのものではなく、その後の生き方も含めた人生全体に興味を覚えたのは、西川のその後の生き方が沢木さんのそれとは随分と違ったものに映ったからでしょう。共通点があると同時に、違いもあるからこそ「他者」はおもしろい。他者理解をテーマにした総合的な学習の時間『結局、人。やっぱり、生き方。~オリパラ編~』でも、他者を理解するための最初の一歩としては共通点を見つけること、そして次の一歩としては違いをおもしろがることを教えています。

 興味を覚えた沢木さんは、あと2、3年で80歳になろうかという西川に連絡を取って、盛岡まで会いに行きます。そして、定期的に酒を酌み交わすようになります。

 

 だが、出てこなかった。

 

 定期的に会ってインタビューを繰り返し、西川が著した『秘境西域八年の潜行』には書かれていない新鮮な話を引き出そうとしたものの、出てこなかったとのこと。

 

 で、挫折。

 

 インタビューを中断し、約10年間、西川の描き方を考えつつ、インタビュー再開のタイミングを待っていたところ、訃報が届きます。西川が死んでしまうんですよね。出会った時点で80歳近くだったというのだから仕方がありません。

 

 これで西川について書くことはできなくなった。
 諦めよう、と私は思った。

 

 諦めたらそこで試合終了ですよ(!)という漫画『スラムダンク』の安西先生の言葉が届いたのかどうかは知りませんが、その後、西川の遺族(夫人、娘さん)との縁や、カットされた部分の多かった『秘境西域八年の潜行』の生原稿の発見という僥倖に恵まれ、試合が再開されます。

 

 その五十時間近いテープにおいて、私は旅の細部ではなく、そのときどのように思ったのか、どうしてそのような行動を取ったのか、といった心の動きを中心に訊ねていた。私は、すべてが終わり、すべてがわかったところからの視点ではなく、まだ何もわからず、何も経験していない、旅の初心者、新人のところから、徐々に経験し、徐々に理解し、徐々に逞しくなり、真の旅人になっていくプロセスが知りたかったのだ。
 私は、そのテープを、最初からあらためて聞き直してみた。
 そこには、当時の私が気がつかなかっただけで、実は西川の旅を深く理解するための鍵のような言葉がちりばめられていた。
 生原稿とテープの中の言葉。その二つを突き合わせることで、あの八年に及ぶ旅が立体的に見えてくるようになってきた。

 

 さて、どんな言葉に出会えたのでしょうか。西川は、どんな旅をして、どんな旅人になったのでしょうか。沢木さんによって新しい風が吹き込まれた、令和の『秘境西域八年の潜行』。西川の壮大な旅のプロセスを沢木さんの文体で追体験できることに加えて、なぜ西川が帰国後の人生を淡々と過ごすことになったのかという問いに対する答えも得られます。

 

 結局、人。やっぱり、生き方。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 西川は、多くを求めることなく、ただ、旅を生きた。

 

 私も、そうありたい。