恐らく、いまの子供たちは、岩井海岸に臨海学校に行っても、栗駒山に林間学校に行っても、いや行かなくても、私や理髪店の主人のように強い思いを抱くことは少ないような気がする。家族と泊まりがけの他の旅行と紛れて、淡い記憶しか残らないのではないかという気がするのだ。
(沢木耕太郎『旅のつばくろ』新潮社、2020)
おはようございます。ゴールデン・ウィークですね。家族と泊まりがけの旅行にでも行きたいところですが、長女や次女から「パパ、馬鹿じゃないの」って言われそうなので黙っています。語りえぬものについては、沈黙しなければならない。なにせ緊急事態ですからね。それにしても、ゴールデン・ウィークのありがたみをこんなにも感じることのできない4月末日は、物心ついてからはじめてです。ステイ・ホームとはいえ、せめて旅行記でも読んでトラベル気分を味わいたいものです。
そんなわけで、沢木耕太郎さんの新刊『旅のつばくろ』を読みました。沢木さん「初」の国内旅行記です。JR東日本の新幹線車内サービス誌『トランヴェール』での連載エッセイが単行本化されたものなので、東北や北陸、北海道などを訪ねたときに目にしたことのある人も多いのではないでしょうか。
収録されているエッセイは41編です。主な行き先は沢木さんの住む世田谷から見て北や東に位置する町々、或いは街々。わらしべ長者みたいな展開がおもしろい「旅の長者」など、旅先でのほっこりとしたエピソードに混じって、ときおり高校生の旅人が顔を出します。国鉄の均一周遊券を買って、東北一周のひとり旅を成し遂げた16歳の沢木少年です。当時の旅について、沢木さんは《いや、もしかしたら、それは単に旅の仕方だけでなく、生きていくスタイルにも深く影響するものだったかもしれないと、いまになって思わないでもない》と書いています。深夜特急の、そして沢木耕太郎さんの人生のベースとなった旅が『旅のつばくろ』の通奏低音となっているというわけです。
鳥海山、宮城、築館、栗駒山、雲場池、花巻、鎌倉、奥多摩、浄土ヶ浜、多摩川、箱根、築館、斜陽館、輪島、奥入瀬、塩竈、軽井沢、宮古、盛岡、北上、等々。JR東日本ということで、舞台のほとんどは関東と東北です。わたしは関東と東北に《面として知っている土地》をいくつかもっているので、『旅のつばくろ』に出てくるそれらの固有名詞にしばしば懐かしさを覚えました。
たとえば、ある子供が、自分の住んでいる家というひとつの「点」から、もうひとつの「点」である学校に通うとすると、そこに一本の「線」が引かれることになる。放課後、その学校から遊び場である近くの公園に寄るとすると、点と点を結ぶもう一本の線が引かれる。そのようにして引かれることになった無数の線が交錯して「面」ができるようになる。
面として知っている土地をいくつくらいもっているか。そのことは《人生の豊かさということに直結しているような気がする》と沢木さんは書いています。旅を続けている沢木さんは線が多いのでしょう。だから面をいくつかもつ人生に対する憧れのようなことを「点と線と面」と名づけられたエッセイに書いています。でも、線も間違いなく人生の豊かさにつながっていますよね。沢木ファンはみんなそう思うのではないでしょうか。だって「沢木耕太郎」の人生にみんな憧れを抱いているわけですから。豊かなラインを描く、旅のような人生に。
面と線。
面と線の話で上の2つのブログに書いたことを思い出しました。上段の「田舎教師のすすめ」は「面をもつことのすすめ」です。下段の「磯野真穂さん&古田徹也さんの対談」にはイギリスの文化人類学者ティム・インゴルドの著書『ラインズ』の話が出てきて、それが沢木さんの「線」(ライン)とつながります。時間があればのぞいてみてください。
冒頭の引用に出てくる栗駒山の山頂で撮った写真です。当時担任していた5年生の子どもたちと一緒に登りました。2泊3日の宿泊体験学習。男子5人、女子3人、計8人の夢のようなクラスでした。懐かしいなぁ。今でも「鮮烈」にあのときのことを覚えています。でもきっと、そう思っているのは私だけで、子どもたちの記憶はもう、淡いものになっているでしょう。
淡い記憶。
沢木さんや、冒頭の引用に出てくる理髪店の主人が小学生だった頃は、どの家もまだ経済的にはそれほど余裕がなく《家族旅行はあまり一般的なものではなかった》そうです。だから宿泊体験学習の経験は《鮮烈だった》とのこと。沢木さんが書いているように、今の子どもたちにとっては、学校で行く臨海学校や林間学校のような宿泊体験学習は、家族で行く泊まりがけの旅行と紛れてあまり記憶に残らないのかもしれません。ある経験を鮮烈なものとしてデザインするためには、その前段階において、ある種の「足りなさ」がどうしたって必要になるからです。もと陸上選手の為末大さんも、子育ての文脈で同じようなことを言っています。
強い思いを抱くために。
ゴールデン・ウィークはもちろんのこと、今後しばらく、例えば2年間くらい「新型コロナウイルスの感染拡大予防のために、基本的にはステイホームが望ましい」的な状況が続くとしたら、16歳だった沢木少年のように、旅に対して「強い思いを抱く」人がたくさん出てくるような気がします。沢木さんが「絵馬の向こう側」というエッセイの中で《ちょっとした危機感を覚えた》と書いている「日本の若者の内向きさ」も解消されるかもしれません。
燕を眺めつつ。
今は充電期間。