父が松原団地の病院に入院して、私が初めてひとりで看病することになった夜だった。
私は仰向けになって眠っている父の横顔を眺めながらぼんやりと考えていた。父と二人だけの行動というのがどれくらいあったか。父と二人で旅したことは……ない。父と二人で凧を揚げたことは……ある。父と二人で歌を歌ったことは……ない。父と二人で呑んだことは……ある。父と二人で女の話をしたことは……ない。父と二人で野球を見たことは……ある。そして、父と二人で映画を見たことは……あるのだ。
(沢木耕太郎『無名』幻冬舎、2003)
おはようございます。昨夜、次女(12)と一緒にカレーライスを作りました。臨時休校中ということで、クラスの子どもたちにも「週に2回以上、家族と一緒に、或いはひとりで、朝食 or 昼食 or 夕食を作りましょう」という課題を出しています。歓喜のあるところにはどこでも料理がある。料理という行為のクリエイティブな面に着目して、クリエイターの坂口恭平さんは『cook』の中でそう言っています。新学習指導要領における学力の3観点(知識・技能、思考力・判断力・表現力、学びに向かう力・人間性)を網羅する日常的な課題として、この「料理」より相応しいものはないのではないでしょうか。あったら教えてください。美味しいカレーライスをご馳走します。
さて、カレーライスといえば、重松清さんですね。前年度までは6年生、本年度からは5年生の国語の教科書に掲載されることになった文学作品です。カレーライスを通して「ぼく」の成長を描く、典型的な父と子の物語。学年が1つ下がったのは、重松清さんの短編集『小学五年生』のタイトルが影響しているのでしょうか。カレーライスで惹きつけて、『小学五年生』を勧める。ついでにカレーライスが収録されている『はじめての文学』も勧める。そういう目論見なのかもしれません。いずれにせよ、重松清さんの作品を読みまくる、というのも臨時休校中の課題として Good ですね。私が5年生の担任だったら間違いなくそうします。沢木耕太郎さんが《小学校の五年か六年の頃だったろうか。本を読んでいる父に訊ねたことがあった。これまでに感動した本はあるか、と》と『無名』に書いているように、子どもでもなく、かといって大人でもない5年生は、「はじめての文学」に相応しい年齢だからです。
昨日、沢木耕太郎さんの『無名』を読みました。沢木耕太郎さんが、父・沢木二郎の最後を看取る夏から秋にかけての静かな物語です。『カレーライス』はフィクションですが、こちらはノンフィクションの「父と子の物語」。
父と二人でカレーライスを作ったことは……ある。
子どもには『カレーライス』を。
大人には『無名』を。
生涯学習という文脈で「大人」の国語の教科書を作るとしたら、この『無名』のような作品は欠かせません。父の最後を看取るということにリアルを覚える年齢になったということもあって、そう感じました。
友人の医師が「臨終間際の患者さんの家族を見ていると、その『家族のかたち』がわかる」と話していたことがあります。『無名』を読むと、確かにそのことがよくわかります。そしてその「よくわかる」ところに魅せられます。教員としての興味・関心は、やはり「どのような家庭で育ったら沢木耕太郎さんのようなカッコいい大人が育つのだろう」という、親子関係を軸にした「家族のかたち」にあるからです。だから例えば次のような文章に線を引きたくなります。引きたくなるというか、引きます。そしてその頁の右上、或いは左上の端を三角に折ります。ドッグイヤーってやつです。
そして、中学三年生のときに小田実の『何でも見てやろう』を買ってきてくれた。
父が買ってくれたその二冊は私にとって極めて重要な本となった。高校生になった私は、小説を読むこと、推理小説と時代小説以外のものも含めた小説全般を読むことと、旅をすることの二つに熱中することになったからだ。
もう一冊は、文学全集の一巻の『太宰治集』です。我が子にゲームを買い与えた挙句「ゲームばかりやっています。どうしましょう」と相談してくる保護者がいますが、どうしようもないでしょう、としか言えません。もちろん心の中でですが。ゲームに熱中するきっかけをつくったのは、いったい誰なのでしょうか。
買い与えたものがきっかけになる。
もしも沢木耕太郎さんのお父さんがこの二冊を我が子に買っていなかったら。バックパッカーのバイブル『深夜特急』はこの世に存在しなかったかもしれません。深夜特急に感化された私も、その他大勢の旅人たちも、全く異なる人生を歩んでいたかもしれません。ありがとう、沢木二郎さん。
熱中という言葉が出てくる次の文章にも線を引きました。否、長いので四角で囲みました。宿題派の保護者にも伝えようと思います。大事なのは「熱中」と「読書」です。計算プリントではありません。
父は私を自由にさせてくれた。物心がついて以降、こうしろと言われたことがない。命令をせず、禁止をしなかった。だから、もちろん、勉強しろなどと言われたことは一度もない。私は家で宿題以外の勉強をしたことはなかった。いや、その宿題すらきちんとはしなかった。それでも怒られなかった。
私は小学校のときは野球に熱中し、中学高校のときは陸上競技に熱中した。家に帰ると、小学生時代は寝るまで漫画を読み、中高生になると小説を読み続けた。その合い間にはテレビを見ていたから、私の生活に勉強が入る余地などなかったのだ。
計算プリントも時と場合と人によっては必要ですが、やはり基本は「熱中」と「読書」です。そして両親の「愛」でしょうか。母に叱られることになった、沢木耕太郎さんの子ども時代のエピソードの中に《母の厳しい言葉の中にすでに赦しがあるのは子供心に感じることができていた》とあります。
結局、親。やっぱり、育て方。
家族で過ごすことを要請されている、せっかくの機会です。カレーライスを一緒に作るもよし、沢木二郎さんのように「親が書に耽る」後ろ姿を見せるもよし。この機会だからこそ「ゆとり」をもってできることに目を向けていきたいなと思います。いつか我が子に看取られる日を想って。
いまを生きる。