田舎教師ときどき都会教師

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畠山理仁 著『黙殺』より。映画『NO 選挙,NO LIFE』(前田亜紀 監督作品)とセットで、ぜひ。

 2017年に行われた衆議院議員総選挙では、被選挙権を持つ25歳以上の有権者のうち、立候補した人の割合は「約7万5千人に1人」だった。2019年の参議院議員通常選挙(被選挙権30歳以上)では「約25万人に1人」の計算だった。この数字を見れば、立候補した人はそれだけで「選ばれし者」といえるだろう。
(畠山理仁『黙殺』集英社文庫、2019)

 

 こんにちは。最近は、その「選ばれし者」がなかなかいないようで、畠山理仁さんが言うには《政治家のなり手不足は深刻》だそうです。政治家も教員も、なり手不足。とはいえ、同じ「なり手不足」でも、様相は全く異なります。令和5年度の東京都の教員採用試験(小学校)の倍率は、

 

 1.1倍。

 

 2280人が受験し、2009人が合格しています。もしもこの2280人が「選ばれし者」であれば、何の問題もありません。でも、おそらくは違うでしょう。年齢制限を撤廃し、教員免許状がなくても「受験可」として受験生をかき集めているわけですから。畠山さんが取材したくなるような「スーパー」な人は、

 

 いない。 

 

マック赤坂さん(2012年東京都知事選挙、政見放送)

 

 マック赤坂さん曰く「東京都民を救うために、スーパーマンになって還ってまいりました」。政見放送には検閲がないそうです。畠山さんの代表作であり、第15回「開高健ノンフィクション賞」を受賞している『黙殺』を読んで初めて知りました。公職選挙法第150条には「日本放送協会及び基幹放送事業者は、その録音し若しくは録画した政見又は候補者届出政党が録音し若しくは録画した政見をそのまま放送しなければならない」とあります。マック赤坂さんは法律を熟知しているんですよね。つまり、

 

 賢い。

 

 単なるコスプレではなく、そこにはねらいがあるということです。では、どんなねらいがあるのでしょうか。クラスの子どもたち(小学5年生)にこの画像を提示し、政見放送について簡単に説明してから「なぜこのマック赤坂という人はスーパーマンの衣装を着ているのでしょう?」と訊ねたところ、「そうでもしないと目立たないから」という秀逸な答えが返ってきました。マック赤坂さんに負けず劣らず、子どもも、

 

 賢い。

 

 立候補しても報じられないんですよね、マック赤坂さんのような、畠山さんを魅了する「無頼系独立候補」たちは。ちなみに2016年の東京都知事選挙では、民放テレビ4社の看板ニュース番組が立候補者たちの報道に割いた放送時間の割合が「97%対3%」だったそうです。97%が「主要3候補(小池百合子、増田寛也、鳥越俊太郎)」で、3%が「その他の18候補」です。2012年に続いて立候補したマック赤坂さんは、当然「その他の18候補」です。供託金を300万円も支払い(供託金制度がない国が大半で、あったとしても10万円程度の国が多い)、対等な立場で立候補しているのにもかかわらず、そして畠山さん曰く《無頼系独立候補は「変わった人」「目立ちたがり屋」「怖い人」などと捉えられがちだ。しかし、実際に会ってみると、人間的にもユニークでパワフル、チャーミングで真面目な人が多い》にもかかわらず、です。

 

 1ミリもフェアじゃない。

 

 一方で、マックは声を大にしては言わないが、2011年3月の東日本大震災の際、日本赤十字社を通じてすぐに億単位の寄付をした。これは私が「お金持ちなのに寄付とかしていないのですか?」と聞いたところ、しぶしぶ答えたものだ。その他にも老人ホームへの慰問や駅前のゴミ拾いなど、社会貢献活動もしている。しかし、そのことを自分からは言わない。
「そんなの自慢することじゃない。当たり前のことをしただけだ」
 それがマックの持論だ。

 

 私はマック赤坂さんの支持者でもファンでもありませんが、どうでしょう。スーパーマンに負けず劣らずの持論ではないでしょうか。では、マック赤坂さんのような「報じられない無頼系独立候補」、いわゆる「泡沫候補」の取材を20年以上も続けている、

 

 畠山さんの持論とは?

 

 

 畠山理仁さんの『黙殺』を読みました。もしかしたら「メディアの沈黙」という意味で、遠藤周作さんの『沈黙』を意識しているのかもしれません。立候補した人たちにとって、メディアは選挙結果を左右する「神」のようなものですから。

 

 目次は以下。

 

 はじめに
 第1章 マック赤坂という男
 第2章 選挙報道を楽しく変えてみた
 第3章 東京都知事候補 21人組手
 おわりに
 あとがき
 文庫版あとがき
 解説 三浦英之

 

 三浦英之(!)。そうなんです。解説をあの三浦さんが書いているんです。第13回開高健ノンフィクション賞を受賞した『五色の虹』や、第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞した『南三陸日記』で知られる、ルポライターの三浦英之さんです。映画『NO 選挙,NO LIFE』のアフタートークにて、畠山さん曰く「『黙殺』を読んだ知人から解説がいちばんよかったって言われる(笑)」云々。

 

前田亜紀さん(監督)、畠山理仁さん、三浦英之さん

 

 畠山さんのことは、映画『NO 選挙,NO LIFE』で知りました。三浦さんがアフタートークに登場するという情報をキャッチし、急遽観に行ったんです。その話は以下のブログに書きました。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 畠山氏が『黙殺』で描いていたのは、無名の立候補者たちだけではなかった。彼もまた自らの信念を貫きながら、この生きにくい世の中を少しでも変えようと命を鉋のように削ってきた「無頼系独立候補」ではなかったか。被写体のモデルの瞳に時折、接写するカメラマンの姿が写り込んでいるように、この『黙殺』には確かに、筆者である畠山氏の姿が映り込んでいる。彼は20年間、そんな立候補者たちを追い続けることによって、彼自身の姿を描き続けてきたのではなかったか――。

 

 三浦さんの解説より。その映り込んでいた畠山さんを主人公にしてつくられたのが、映画『NO 選挙,NO LIFE』(前田亜紀 監督作品)というわけです。映画を観た後に『黙殺』を読んだら、もう一度観たくなりました。ちなみにノンフィクションの映画は3回観なければわからないそうです。アフタートークのときに、畠山さんが誰かの言葉を引いてそう話していました。

 

 で、畠山さんの持論とは。

 

 別言すると、なぜ畠山さんは無頼系独立候補を追い続けているのか。なぜならばの答えは書きませんが、ヒントは「もったいない」です。映画を観るか、あるいは『黙殺』を読むかして、ぜひ、何が「もったいない」のかを探究してみてください。観なければ、或いは読まなければ、

 

 それこそもったいない。

 

 最後に、遠藤周作さんの『沈黙』から言葉を引きます。フェレイラ神父曰く《この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる》云々。この生きにくい世の中を少しでも変えようと命を鉋のように削っている「無頼系独立候補」や「無頼系独立ジャーナリスト」や「無頼系独立教員」は、根が腐りはじめている《この国》を憂えて、こう思っているかもしれません。

 

 神は本当にいるのか。

 

 沈黙。