田舎教師ときどき都会教師

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尾登雄平 著『「働き方改革」の人類史』より。映画『NO 選挙,NO LIFE』をもじれば「NO 労働,NO LIFE」。それって、本当?

 ビジネス書は読者を啓発するためのものなので、ネガティブなことにはあまり触れません。あなたはどうすれば成功するのか、生き残れるか、といったことを書きます。「できない」人は想定読者ではないので、当たり前と言えば当たり前です。ただ、同じ社会の構成員である「できない」人に対しての視線を忘れてしまうと、今後大変な分断が生まれてしまうのではないではないか。そんな思いを強く持ったため、本書では弱い立場にある労働者の視点を強調して記述しています。
(尾登雄平『「働き方改革」の人類史』イースト・プレス、2022)

 

 おはようございます。昨日、日本橋まで行って、映画『NO 選挙,NO LIFE』(前田亜紀 監督作品)を観てきました。前日に「作家の三浦英之さんが応援にやって来る!」という情報をキャッチした故の、急遽の東京行きです。ちなみに三浦さんは盛岡からやってきたとのことで、上映後のトークショーの冒頭、東京のキラキラ感が眩しい、というようなことを話していました。以前、三陸海岸沿いの漁師町にある小学校で働いていたときに、東京に帰省するたびに同様のことを思ったので、

 

 ちょっとした親近感です。

 

 

www.countryteacher.tokyo

 

 三浦さん目的で足を運んだので、映画『NO 選挙,NO LIFE』のことも、映画の主役である畠山理仁(みちよし)さんのことも、全く知りませんでした。

 

 上映後には興味津々。

 

 以前、乙武洋匡さん目的でトークイベントに足を運んだところ、対談相手の吉藤オリィさんがあまりにもおもしろくてすぐに本を注文した、ということがありました。今回も似たような感じです。帰路、すぐに畠山さんの『黙殺   報じられない “無頼系独立候補” たちの戦い』をポチッとしました。第15回開高健ノンフィクション賞を受賞している作品(解説は三浦英之さん!)です。この報じられない “無頼系独立候補” たち(いわゆる泡沫候補)を熱心に取材している畠山さんの LIFE を撮ったのが、ドキュメンタリー映画『NO 選挙,NO LIFE』というわけです。小学生にも伝わる言い方をすれば、畠山さんは要するに「選挙オタ」です。もちろんただの「選挙オタ」ではありません。

 

 やさしい「選挙オタ」です。

 

 三浦さんも「この業界、半分くらいはいい人だけど、半分くらいはそうじゃない。リジン(畠山さんのこと)はもちろんいい人。いい人の中でも最上位に属するやさしい人」というようなことを話していました。やさしいから、大手のメディアが取り上げない泡沫候補に目を向けている。冒頭の引用にある『「働き方改革」の人類史』を書いた尾登雄平さんが、「できない」人に目を向けているのと同じです。

 

 尾登さんもやさしい人なのでしょう。

 

 

 尾登雄平さんの『「働き方改革」の人類史』を読みました。この本を読むと、畠山さんのような働き方、つまり選挙を「いきがい」とした生き方すら、連綿と続く「働き方改革」の人類史によってつくりだされたものなのではないか(?)と勘ぐってしまいます。それはちょうど「母性愛」というものはつくられたものにすぎないのではないか(?)という歴史とパラレルです。

 

 目次は以下。

 

 第1章 働き方の世界史
 第2章  「労働時間」
 第3章  「生産性」
 第4章  「やりがい」

 

 シンプルで、わかりやすい。第1章で働き方の視点から労働者たちの歩みを概観した上で、働き方のポイントとなる「労働時間」「生産性」「やりがい」の3つの個別テーマについて、西洋史を中心に個々の歴史が綴られています。未来の働き方を考える上で、著者は《歴史を俯瞰して今の「当たり前」を疑う、マクロな視点を持っておく必要があります》と書きます。

 

 歴史は繰り返す。

 

 読むと、そのことがよくわかります。農業革命、産業革命、情報革命と「革命」が繰り返されるたびに生産性が飛躍的にアップし、消費への欲求と勤労意欲の結び付きが強化されていった。その反面、副作用として格差が広がっていった。労働者はその都度、搾取と戦ってきた。逆に、国家であったり資本家であったりは、その都度、何とかして労働者を懐柔しようとしてきた。母性愛という概念が形づくられ、家事労働が家族(女性)に押し付けられるようになったのも、おそらくはその流れの中にある。そもそも古来、労働は卑しいものとされ忌み嫌われてきたのに、今では「NO 労働,NO LIFE」なんていうように、仕事が「いきがい」として人生に組み込まれてしまっているのはなぜか。私たちはこの本を読みながらゆっくりと考えた方がいい。20世紀以降についていえば、それはおそらくマネジメントの手法が発展していく中で、労働者のモチベーションや現場のイノベーションが重要だとわかってきたから。労働者が「やりがい」をもって働くのは、国家にとっても資本家にとって都合がいいということ。だから、映画『NO 選挙,NO LIFE』というタイトルは考えさせられる。選挙が、畠山さんにとっての「やりがい」になっているから。教員でいえば「NO 学級,NO LIFE」。或いは「NO 授業,NO LIFE」。

 

 子どもはおもしろい。

 

 泡沫候補もおもしろい。しかしだからこそ、教員も畠山さんも働き過ぎなのかもしれない。「やりがい」を搾取されているのかもしれない。なぜなら教員も畠山さんも、

 

 やさしいから。

 

 

「働き方改革」の人類史が築き上げた風景

 

 今日はこれから富士山の5合目まで行ってきます。大学生の長女と長女の友だち(留学生)を連れて行きます。長女曰く「運転よろしく」とのこと。「やりがい」はありますが、パパ搾取かもしれません。

 

 NO 家族,NO LIFE。

 

 行ってきます。