田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

ジョン・ハンター 著『小学4年生の世界平和』より。エンプティー・スペース(考える余地)をたっぷりと生み出す。

母は私に――それどころか誰にも――答えを与えてはくれなかった。その代わり、私たちが探求者、探検者、開拓者になれるだけの余地を創り出してくれた。こうして私はわずか9歳の小学生ではあったが、あのエンプティ・スペースに秘められたパワーのすごさに気づいていた。そしてそんな幼い頃の体験は、後に東洋の宗教や思想から学んだことによっていっそう強固なものになった――空っぽであることは充溢に劣らぬ価値を持ち得るということだ。
(ジョン・ハンター『小学4年生の世界平和』角川書店、2014)

 

 こんばんは。2ヶ月くらい前に、ジョン・ハンターさん(米国人)をめちゃくちゃ「推し」ているお姉さんと知り合いました。で、上記の本と、下記の TED を勧められました。読んだら当然&観たら当然、また話を聞きたくなります。で、つい最近、そのお姉さんと再会して、ビールを片手に大いに盛り上がったんですよね。おそらくは神様が「やれ」って言っているのだと思います。変な意味ではありません。

 

 世界平和ゲームを、です。

 

digitalcast.jp

 

 岩瀬直樹さん率いる軽井沢風越学園でも、日本初のイエナプランスクールとして知られる大日向小学校・中学校でも、昨年の9月に開校した全寮制の白馬インターナショナルスクールでも、それから埼玉にある自由の森学園でも、ジョン・ハンターさんが開発した「世界平和ゲーム」が行われています。つまり、日本の教育の「ホットスポット」とでも言うべきところで、軒並み「ウェルカム」されているということ。

 

 WORLD PEACE GAME!

 

 広島県でも行われていて、広島県教育委員会のホームページには《主に小学校高学年から中学生を対象とした教育型シミュレーションゲームです。参加者は、仮想国家や国際機関のリーダーの役割を担って、世界が抱える複雑な問題の解決に挑みます。チームの仲間と助け合い、交渉を重ね、試行錯誤しながら正解のない問いに向き合うことを通じて、これからの時代に必要なスキルを伸ばす教育プログラムとして世界各国で支持されています》とあります。

 なぜ広島県で行われているのかといえば、それはもちろん、教育長である平川理恵さんの目の付けどころがシャープだからでしょう。

 

 ディープでもあります。

 

 ちなみに平川さんは横浜市立中川西中学校の校長だったときにもワールド・ピース・ゲームを開催しています。『あなたの子どもが自立した「大人」になるために』などの著書があり、民間から学校へ、横浜の校長から広島の教育長へと転身した凄腕のキャリア・ウーマンをも魅了し続けるなんて、このゲームの魅力たるや、

 

 Nothing.

 

 ジョン・ハンターさんは、自分を「推し」てくれる人たちに対してまずそう言うそうです。正確には「Game is nothing.」。ジョン・ハンター「推し」のそのお姉さんが教えてくれました。肝心なのはゲームではない。『小学4年生の世界平和』を読むと、そのことがわかります。

 

 

 ジョン・ハンターさんの『小学4年生の世界平和』(伊藤真 訳)を読みました。小学校の教員である著者の生い立ちやワールド・ピース・ゲームの実践記録、それから小学4年生の子どもたちと一緒に訪ねた国防総省(ペンタゴン)でのエピソードなどが綴られていていて、最初にも書きましたが、読むと、めちゃくちゃやりたくなります。

 

 目次は以下。

 

 プロローグ 可能性の宝庫
 第1章 教師としての第一歩
 第2章 すべてを見抜いたパブロ
 第3章 ブレナン、世界を救う
 第4章 デイヴィド、勝利の怖さを知る
 第5章 暴君に立ち向かう
 第6章 武器商人たちは勢力よりも正義を選択した
 第7章 ギャリーが起こした環境破壊の大惨事
 エピローグ ワールド・ピース・ゲームの仲間たち、国防総省へ行く
 付録 ワールド・ピース・ゲームと「テストのための教育」

 

 各章のタイトルから想像できるように、第2章から第7章までがワールド・ピース・ゲームの実践記録です。

 

 Game is nothing.

 

 肝心なのはゲームではない。だからプロローグと第1章、それからエピローグだけでも、多くの人、特に教育関係者に読んでほしい。そう思いました。風越だったり大日向だったり平川さんだったりが興味を示す理由がよくわかるからです。ワールド・ピース・ゲームの「肝」は、

 

 Empty Space にあり。

 

 正直なところ、私はこれまで一生の間、要約したり指示を出したりさせられることに力いっぱい抵抗してきた。私はむしろ簡単なエピソードを語り聞かせたり、質問を投げかけたり、それにエンプティー・スペースを生み出したりする方がずっと好きなのだ――そして生徒たちや聴衆にそれぞれ自分の答えを見つけてもらう。だが強いて説明するとすれば、ワールド・ピース・ゲームは圧倒的な無秩序に直面させられた一人ひとりの物語だ、とでも言っておこう。

 

 プロローグより。どうでしょう、この指導観というか教育観。マイクロマネジメントで子どもたちをコントロールする感じではありません。環境を適切に整えた上で、学びのコントローラーを子どもたちに委ねる感じです。風越や大日向や平川さんっぽい。頭の中では私も完全にそっちです。ちなみにジョン・ハンターさんの母も小学校の教員だったそうで、曰く《母はこちらが考える余地をたっぷり残すような教え方をした》とのこと。その余地こそが、英知の源となる、

 

 エンプティー・スペース。

 

35年ほど教師をやっている間に、私は徐々に生徒に主導権を引き渡す方法を学んできた。会話や応答の一つひとつを逐一管理する必要なんてない。私ひとりが持ち得るどんな知恵よりも、生徒たちの集合的な英知の方が偉大であるし、私は堂々と生徒たちにそう認めている。

 

 これもプロローグより。どうでしょう。ジョン・ハンターさんの教育者としての立ち位置が改めて伝わってくるのではないでしょうか。

 エピローグに書かれている次のエピソードも印象的でした。ワールド・ピース・ゲームを体験した子どもたちを連れて、ジョン・ハンターさんが国防総省(ペンタゴン)を訪ねたときの話です。

 

 子供たちに対する長官のやさしさと、はっきり見てとれる思いやり、そして自分と同じ平和という目標を目指した子供たちの努力を評価してくれる姿勢に、私は心を動かされた。だがその一方で、どうしようもない違和感を覚えていた。

 

 世界平和という同じ目標を掲げているのに、ワールド・ピース・ゲームと国防総省の接点がつかめない(!)。別々のものにしか見えない(!)という「違和感」です。教室という小さな視点と、国防総省という大きな視点を交わらせるためにはどうすればいいのか、その方法を考え続けているんですよね、ジョン・ハンターさんは。だからワールド・ピース・ゲームのつくりも「現実」に即したものになっています。

 

 第1章に次のようにあります。

 

すべての危機は互いに関連していなければならず、ひとつの危機的状況が変化または解決すると、ほかのあらゆる状況にできるだけ大きな影響が及ぶようにすること。このゲームの世界ではあらゆることが相互に絡み合っていなければならない。なぜなら、当然ながら、現実も実際にそうだから。

 

 当然ながら、このゲームをやるにはお金がかかるそうです。えっ、1クラス40万円(?)。えっ、学年4クラスだったら160万円(?)。現実の厳しさに酔いが覚めます。はたして「考える余地」は残っているのでしょうか。

 

 世界平和は遠い。

 

 おやすみなさい。