小川さんは何度も、自分の政策を語ることよりも、みなさんの声を聞くことが大事だ、と言っていた。本当にそうだと思った。選挙の本来の意義はそこにあるんだと、私も心から思った。でもって、そんな大事なことを、これまで長い人生で何度も「選挙」を体験し、選挙期間の街頭演説にも遭遇したことがあるにもかかわらず、一度も体験したことがなかったことに今さらビックリする。いつも、いつも、一方的に候補者の話を聞くばかりで、対話する選挙なんて、初めてだった。そうか、選挙にあるべく民主主義と、私は初めて出くわしたんだ!
(和田靜香『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』左右社、2021)
おはようございます。上記の内容を義務教育の授業に置き換えると、教師が語ることよりも、子どもたちの声を聞くことが大事だ、という話になります。教師の語りももちろん大事。でも、学校の本来の意義は対話を学ぶところにあるんだと、それが民主主義のベースになるんだと、心からそう思います。そうじゃなかったら、スタディサプリやカーンアカデミーの権威主義的な動画でOKということになりますから。いつも、いつも、一方的に教師の話を聞くばかりで、対話する授業なんて、なかった。そんなふうに感じている子どもが減っていけば、タイムラグはあれど、選挙に行かない人も減っていくかもしれません。
和田靜香さんの新刊『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』を読みました。取材協力&国会議員の小川淳也さんをして《和田さんはもう今までの和田さんとは違う所に立っていることを自覚しないと》と言わしめることになった大ヒット作『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』の姉妹本です。前作同様、めちゃくちゃ素晴らしい一冊!
みんな読んで欲しい!
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— 和田靜香#石ころ (@wadashizuka) January 2, 2022
めちゃくちゃいい人です。小川さんを交え、小泉今日子さんと一緒にインスタライブで鼎談をしてしまうくらい「時の人」なのに、わざわざリプをしていただけるなんて、いつか和田さんが立候補することになったら、私もビラ配りからお手伝いしたい。
教員だからNGだけど。
ライターだからOKな和田さんが、小川淳也さんの選挙活動に参加し、それもノープランで参加し、ビラ配りや電話かけやその他もろもろを通して民主主義を実践したというのが『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』の内容です。和田さん曰く《民主主義を一緒に考えて本を作った衆議院議員・小川淳也さんの香川1区での選挙にくっついたり離れたりしながら、民主主義をやったり、見たりした記録です》とのこと。
繰り返しますが、教員だからNGなので、羨ましく思います。選挙なんて行っても何も変わらないでしょ、だから行かない、などと平気で口にしてしまう同僚がけっこうな割合で存在するのが小学校のリアルです。国会見学のときにお世話になった地元の議員さんのことを学級通信に書いたところ、管理職が墨塗り教科書のようにして該当箇所を消してしまうくらいに政治の話がタブーになっているのも小学校のリアルです。政治への無関心は学校教育によってつくられているといっても過言ではありません。もしも教員が和田さんのような経験をして、政治のこと、民主主義のことを子どもたちに体験ベースで話すことができたら、或いは和田さんがゲスト・ティーチャーに来てくれたら、希望がつくれるのに。
小川さんは、スーパーの前での青空対話集会に小学6年生7人が自分たちだけで来てくれて、話を聞いてくれたことがステキだったと自慢していた。それ自体が希望だ、って。この社会を信じてはいたけど、捨てたもんじゃないって。
佳話です。
なぜ佳話に感じられるのかといえば、それは顔の見える範囲で民主主義をやっている感じがするからです。
元旦に視聴した「年末恒例マル激ライブ」(無料公開)で社会学者の宮台真司さんが語っていたことを思い出します。曰く、コロナ後の世界では民主主義を回すサイズを小さくしていく必要がある。人類学者のデイビッド・グレーバーや言語学者のノーム・チョムスキーも同じ処方箋を提示している。そうしないと民主制を支えるのに必要な感情の豊かさが失われてしまう。このままでは権威主義とメタバースに取り込まれてしまう、云々。
和田さんが香川1区で経験した民主主義って、まさにそれだな、と。読めばわかりますが、対話が可能なサイズだからこそ、和田さんや小川さんをはじめとする「私たち」の感情が豊かに、そしてダイレクトに伝わってきます。宮台さんやグレーバーやチョムスキーが言っていることを、和田さんたちが身をもって体現しているというわけです。世界の最先端は、
香川1区にあり。
小川さんの対立候補であった平井卓也さんが公民館や大きなホールなどでの個人演説会をメインにしていたのに対して、小川さんはスーパーマーケットや駐車場などを舞台にした顔の見える距離感での対話をメインにして選挙活動を行っていたそうです。和田さんはそれを《スーパーVS個人演説会》と表現しています。教育に置き換えれば「児童中心主義VS教師中心主義」、授業に置き換えれば「対話型の授業VS講義型の授業」となるでしょうか。
勝者はご存知の通り。
炎天下で眩しかったですね、ごめんなさいね。さっき女性の方が、「小川さん頑張れは違うと思った。頑張るん私らや」言うてくださって。ありがとう、ほんまに。
青空対話集会と名付けられた、対話型の街頭演説の際に小川さんが語った言葉です。がんばるのは先生じゃないから、きみたち一人ひとりだから、という教室における担任と子どもたちとのやりとりに似ています。がんばるのは子ども一人ひとり、がんばるのは市民一人ひとり。カリスマ教師なんて要らない。カリスマ的なリーダーも要らない。対話する授業と対話する選挙で小さな民主主義を回そう。
選挙の主役は有権者だ!
日ごろ疑問に思う社会の問題を、みんなが伸び伸びと語り合う。私が『時給はいつも最低賃金~』で書いて、願っていたありようがここで実現されているじゃないか! これぞ民主主義じゃないか! 選挙事務所という場でそれが実現することは、本当に望ましい、あるべき姿だと思う。
ジェンダーの問題について和田さんが小川さんに物申し、ガチンコ政治問答を繰り返すシーンがあります。周囲が引くくらいに主張し合ったとのこと。でも、それが対話。和田さんのいう《本当に望ましい、あるべき姿》だと思います。ガチンコの後に関係が壊れたりしないのは、感情の豊かさがベースにあるからでしょう。日ごろ疑問に思うクラスの問題を、みんなが伸び伸びと語り合う教室。日ごろ疑問に思う学校の問題を、みんなが伸び伸びと語り合う職員室。3学期の目標です。
伸び伸びと、そしてユルユルと、
がんばろう。