田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『日本の信義』より。上喜撰、はよ。信義の士、はよ。ファクトとロジック、はよ。

猪瀬 昭和天皇が亡くなってちょうど1年になろうとしていますが、昭和天皇は一種の創業者で、いまの天皇はジュニアというイメージですね。
 自民党の国会議員も約40パーセントがジュニア。世襲議員なんです。それに官僚出身の議員も25パーセントいる。世襲議員も、ある意味で自民党という党の官僚みたいなものですね。戦争が終わって、焼け跡・闇市、いろいろあって活性化した社会が、だんだん官僚制というか、そういうものに集約されてきたのではないでしょうか。
梅原 つまり世襲制の問題だな。政治家ばかりか、日本企業でもほとんど世襲制になっているのは、徳川時代の殿様とあまり変わらない。
(猪瀬直樹『日本の信義』小学館、2008)

 

 おはようございます。徳川時代の殿様とあまり変わらないということは、政治も企業も学校も、黒船級の外圧がなければモデルチェンジできないということでしょう。20008年も2022年の「いま」も状況は変わりません。学校に関しては、

 

 完全に悪くなっている。

 

www3.nhk.or.jp

 

 泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず。

 

 昨日のNHKの「職員室で見る朝焼けに涙して  ~教員と家族から500件のSOS~」を見るに、過酷な勤務実態や教員不足の深刻な影響に悩まされている学校はすでに泰平ではありません。一刻も早くモデルチェンジしないと、夜も寝られず、教員はどんどん病んでいきます。上喜撰、はよ。とりあえずは7月10日投開票の第26回参議院議員選挙の結果に期待するしか、ない。

 

 信義の士は、いずこに。

 

 

 猪瀬直樹さんの『日本の信義』を読みました。猪瀬さんが東京都の副知事だったときに出版されたもので、副題は「知の巨星十人と語る」です。

 

サイン入り♬

 サインが「巨星」っぽい。そうです、読めばわかりますが、猪瀬さんも巨星です。つまりは巨星と巨星が「日本を問うた」対談集。以下、目次です。

 

 第一章 江藤淳との対話
 第二章 グローバル化のなかの日本
     会田雄次 日本人の土地神話
     吉本隆明 ナショナリズムと戦後50年
     秦 郁彦 ガイアツと「日米未来戦記」
     江藤 淳 ホワイト・フリートの脅威
     高坂正堯 昭和天皇の「幻の訪米」
     所  功 伝統とモダンの儀式空間
     山折哲雄 天皇は自然的社会の主軸
     梅原 猛 律令制度に支配される日本
     秦 郁彦 国民が求めていた天皇制
     鶴見俊輔 曼荼羅文明の行く末
 第三章 阿川弘之との対話

 

 対談の時期は「バブル崩壊前夜」から「失われた10年」まで。それから20年以上が経ち、秦郁彦さん(1932ー)と所功さん(1941ー)と山折哲雄さん(1931ー)の3人以外はすでに鬼籍に入っています。

 

 巨星墜つ。

 

 対米関係や天皇制、日本人の宗教観などのテーマをもとに、日本の未来を考えるための視点・視野・視座の数々を学ぶことのできる一冊ですが、見方を変えれば、戦後日本を代表する思想界の巨星たちに「日本の信義」を託されたのが作家の猪瀬さんというようにも読めます。10人の中には入っていないものの、同様の文脈で、猪瀬さん曰く「石原慎太郎(元)都知事が亡くなられる前に『猪瀬さん、日本を頼む』と3回言われました」とのこと。信義を重んじる士、換言すると「家長」と知っての「頼む」でしょう。第三章の阿川さんとの対話の中で、猪瀬さんは次のように発言しています。

 

猪瀬 鴎外とか漱石の時代は、作家は家長だったんですよね。ところがそうでなくなった、ということかしら? いつの間にか作家が二男坊三男坊みたいになって、たいへんなことは海軍とか陸軍に任せて俺らは遊んでいればいいんだという感じがあったのではないでしょうか。

 

 冒頭の引用と合わせると、政治家や作家に限らず、ジュニアや二男坊三男坊が「公」よりも「私」を優先して遊んでいるうちに、家長不在の「日本国」はモデルチェンジの機会を逃し、社会は荒廃の一途を辿ったということになります。結果、教員を例に挙げれば、子育て中のママ先生が職員室で朝焼けを見ながら涙するようになった。だから信義の士、すなわち「公」の意識をもったまともな家長が求められているというわけです。家長がいないと、荒唐無稽なものによって「日本国」はさらなる衰退を強いられますから。

 

猪瀬 荒唐無稽なものも多いんですよ。
江藤 その本に、出征中の大佐が所見を書き込んでいた。要するに、宮さまが女連れでサンフランシスコ之料亭にいて酒池肉林、ワシントンはもうすぐ陥落だ、などという記述があるんだけれど、「かかる馬鹿馬鹿しきことあり得ず」なんて書いてある。
猪瀬 僕の手元に古書店で入手した『日米開戦夢物語』というのがあって、これは大正2年刊行ですが、日本がサンフランシスコを占領したところで講和を結び、ハッピーエンド。その〔終〕の脇の余白のところに「ほんとに馬鹿、バカバカ、そんなにうまくはいかないよ」とやはり落書きがあるんです(笑)。

 

 猪瀬さんのいう荒唐無稽なものというのは、日露戦争後に数多く出版されたという日米未来戦記のことです。具体的には、日本とアメリカが戦争をしたらこうなるだろうというシミュレーション小説の一群のことで、猪瀬さんの労作『黒船の世紀』を読むと、その荒唐無稽なものによって「日米開戦」という空気が醸成され、おもしろおかしく消費されていったことがよくわかります。かかる馬鹿馬鹿しきことはあり得ないのに、そんなにうまくはいかないのに、日本はアメリカとの戦争を始めた。結果、教員は教え子を戦場に送り込み、夜も寝られなくなった。そういうことです。現代でいえば、集団極性化したネットに騙されてはいけない、コンテクストをしっかりと推察しなければいけない、というメディアリテラシーに関する警句としても読めます。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 10人の巨星との対談では、この『黒船の世紀』に関することと、猪瀬さんの十八番である「天皇制」に関することが繰り返し話題に上がっています。

 

鶴見 誰の決断でこうなったか、結局、責任者の名前が出ない。要するにウーマンズ・リーズンというやつ。いけないからいけない。話にならない。これが「いま」だな。
猪瀬 らっきょうの皮をむいているみたいになってしまう。結局、中心に何もないから。でも、そういう現実は残ってしまう。これが天皇制ですよね、ある意味で。こんなやりとりをしているとキリがない。
 つまり日本は責任者不在の国なんだよね。僕は、太平洋戦争も責任者不在の戦争だったと思う。

 

 ウーマンズ・リーズンというのは「好きだから好き」というファクト不在の理屈に対してシェイクスピアが名づけた言葉です。教員不足と日本の衰退を見るに、話にならないという状況は2022年の「いま」も続いているといえるでしょう。責任者の見えない国から責任者の見える国へとモデルチェンジするためにも、或いは高速道路のSAの風景がガラッと変わったような、道路公団民営化に相当するモデルチェンジを期待するためにも、

 

 ファクトとロジック、はよ。

 

 信義の士、はよ。