田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

猪瀬直樹、田原総一朗 著『戦争・天皇・国家』より。モデルチェンジ日本。教育も、是非。

猪瀬 黒船来航からこれまでの歴史を見ればわかるように、アメリカは敵国を徹底的にやっつける国だということです。日本についても、アメリカの占領が終わった後もいまにいたるまで軍事的支配が続いているという現実を認識しないといけない。学校で教えられていないし、国民の多くが知らないでいる。
田原 教えられてないね。
猪瀬 沖縄をはじめ基地のある町ではつぶさに現実を直視できるけど、日本国がアメリカの軍事的な支配下にあることを意識しない構造、つまり「ディズニーランド」は基本的に変わっていない。
(猪瀬直樹、田原総一朗 著『戦争・天皇・国家』角川新書、2015)

 

 おはようございます。今日は勤労感謝の日です。お父さんお母さん、ご苦労さん。そう言いたくなるところですが、子どもたちには「もともとは宮中祭祀のひとつである新嘗祭の日でした」と教えました。天皇の行事のひとつだったんだよ、と。名称が変わったのは1947年、戦後です。では、なぜ「勤労感謝の日」と言い換える必要があったのでしょうか。

 

 戦後論ではみえない「日本の正体」。

 

 

 私たちはどこから来たのか、私たちは何者なのか、私たちはどこへ行くのか。時間軸を「戦後」ではなく「黒船以降」というスパンで見なければ、それがわからない。日本の近現代史を研究し続けてきた猪瀬直樹さんの見解です。私たちはどこから来たのか、私たちは何者なのかがわかって初めて「私たちはどこへ行くのか」が見えてきます。昨日、民間臨調「モデルチェンジ日本」を立ち上げ、そこで取りまとめた気候変動対策(≒ カーボンニュートラル革命)に関する政策提言を岸田総理に直接行った猪瀬さん。75歳とは思えない活躍振りに心底エンカレッジされます。教師のバトンではなく、日本国のバトンを受け継ぐ家長としての責任感たるや「田原総一朗」のごとし。

 

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猪瀬さんのバースデー・パーティーにて

 

 75歳でも驚くのに、こちらは87歳の田原総一朗さん。拳を振り上げつつ「岸田は~」って熱く語っていました。猪瀬さんは《戦後史の中に田原総一朗というジャーナリストが存在しているということ、まさに余人をもって代えがたいといえる》と書きます。猪瀬さんも、余人をもって代えがたい。そんなお二人が対談する姿を生で見ることができてしあわせだったな、という話は以下のブログに書いたので、是非。

 

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 朝鮮戦争(1950-)が勃発する直前、日本を訪れたアメリカ国務省顧問のジョン・フォスター・ダレルは、当時の首相・吉田茂のことを《まるで不思議の国のアリスのような感じがした》と評したそうです。戦後日本のことを「ディズニーランド」と評している猪瀬さんと重なります。ディズニーランドは夢の国。しかしこのままでは、さらなる長期衰退が危ぶまれるこのままでは、悪夢の国に変わってしまう。

 猪瀬さんが民間臨調「モデルチェンジ日本」を立ち上げたのは、そのような危機意識があってのことでしょう。アナロジーとしては、力のある学級担任がクラスの危機を誰よりも速く察知し、崩壊しないよう、手立てを講じて未然に防ぐのと同じです。別の言い方をすれば、日本国についての解像度が高いということ。なぜ猪瀬さんの解像度が高いのかといえば、最初に戻って繰り返すと、時間軸を「戦後」ではなく「黒船以降」というスパンで見ているから。猪瀬さんの解像度に近づくためにも、学校でしっかりと教えるためにも、私たちは、特に教員は、近代化150年を全方位的に問いなおし、学びなおす必要があります。

 

 

 猪瀬直樹さんと田原総一朗さんの共著『戦争・天皇・国家』を読みました。社会科の授業で歴史を教える先生にとっては必読の一冊といえるのではないでしょうか。序章「『戦後レジーム』ではなく『黒船レジーム』で考えよ」(by 猪瀬さん)に続く目次は以下。

 

 第一章 近代国家「日本」の誕生
 第二章 意思統合不能が戦争を起こした
 第三章 戦後日本はこうして形づくられた
 第四章 「ディズニーランド」化した日本
 第五章 黒船の呪縛を乗り越える

 

 第一章~第五章はすべて対談です。終章には田原さんによる「アメリカにできない交渉で力を発揮せよ」が収録されています。

 以下、序章と対談、終章から一つずつ、もしかしたら教えてもらっていたかもしれませんが、学校で教えてほしかったこと。

 

猪瀬 中略。立法は国会の専権と憲法で規定されながら、実際には官僚が法律をつくっているわけだ。状況は戦前と変わらない。戦前の日本は「天皇主権」、戦後は「主権在民(国民主権)」と教えられているが、実際には戦前も戦後も「官僚主権」なのである。

 

 猪瀬さんによる序章(田原さん曰く《猪瀬史観》)より。ことほどさように重要なのに、小学校の教科書には「官僚」という言葉が出てきません。権力闘争に明け暮れる政治家さんたちが「政策」のための「勉強」を疎かにせざるを得ないのと同じように、過重労働に明け暮れる先生たちは「授業」のための「勉強」を疎かにせざるを得ません。だから小学校の先生の多くは「官僚主権」のことなんて知らないし、知らないから教えられないし、載っていないから教えないし、教科書通りに「主権在民(国民主権)」を説くことしかできません。しかも選挙の低投票率を見るに、この「主権在民(国民主権)」ですらきちんと教えられていないのでは(?)と思ってしまいます。

 

田原 昭和天皇がなぜ「戦争に反対だ。戦争を回避したい」と言わなかったかというのは有名な話で『昭和天皇独白録』の最後でこう述べている。
「私が若し開戦の決定に対して『ベトー』(拒否権の発動)をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命の保証出来ない、それは良いとしても結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつ(た)であらうと思ふ」
猪瀬 熱河作戦のときには鈴木貫太郎侍従長も重傷を負わされた。その都度、異を唱えてきたけどダメだったわけだから、その恐怖感というのはあったでしょうね。

 

 第二章より。もともとは天皇も異を唱えていたというわけです。しかしその都度イヤな出来事、応用行動分析でいうところの「嫌子」が出現した。だから異を唱えるという「行動」が減った。学校現場でよく使われる別の言葉でいえば「学習性無力感」です。天皇も人間です。しかも当時はまだ若かった。小学生でいうところの「不安・こわい気持ち」と上手に付き合う方法がわからなかったのでしょう。最近、子どもたちに『かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった』という絵本の読み聞かせをしました。そういった気持ちとの付き合い方を学べる本です。聞くところによると、著者の新井洋行さん曰く「人類を救うためにつくった」云々。公の意識です。大人も、是非。

 

 

 こういった絵本を含め、本を読めば読むほど、人に会えば会うほど、子どもたちに伝えたいこと、教えたいことが増えていきます。定額働かせ放題に甘んじている場合ではありません。ひと昔前の先生たちにはもっと余裕があったと聞きます。猪瀬さんをはじめとする民間臨調「モデルチェンジ日本」の方々(中室牧子さん、松田公太さん、他)には教育についての政策提言も期待したいところです。

 

 そもそも、日米安保条約に基づく行政協定によって、日本はアメリカに「基地を止めてくれ」と言う権利を持っていない。また、日米原子力協定があるために脱原発をすることもできない。こうした事態について、たとえば矢部宏治は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で報告し、本書を読んで作家の池澤夏樹は「日本が対米従属状態にあることを理解した」と新聞のコラムに書き記した。

 

 田原さんによる終章より。そうか、原発が止められないのは日米原子力協定のためなのか。知りませんでした。学校が「通知表」や「部活動」を止められないのも、ひっくるめて「時間外労働」を止められないのも、何か理由があるのかもしれない。何はともあれ、

 

 モデルチェンジ日本。

 

 期待します。