田舎教師ときどき都会教師

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和田靜香、小川淳也 著『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』より。残業はいつも賃金ゼロ、これって私のせいですか?

 さらに日本では、「平均的な収入」の人のうち、税の負担を、「高すぎる」「どちらかというと高すぎる」と回答する人が5割にのぼるんだそう。高い負担で知られる北欧でも3割程度というから、日本は北欧と較べても「税金高い!」という声が大きい。でも、実際のところ、日本ほど長く減税国家だった国は他にないという。
 その理由が怖い。
「他国では政府が無償、ないしは安価で提供するような財・サービス、例えば住宅、教育、育児・保育、養老・介護等の獲得に必要な資金を日本では減税で還付したわけである」(『日本財政転換の指針』井手英策/岩波書店)
 つまり日本は「減税」することで、「自ら働き、自ら助ける社会」を築いてきた。増税を拒否し、減税に喜びながら、実は自助に追い込まれてきた。なんてことだ!
(和田靜香、小川淳也 著『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』左右社、2021)

 

 こんばんは。木金と修学旅行、そして昨日は土曜授業と、あまりの過密さに「なんてことだ!」と叫びたくなるここ数日でした。コロナで延期になっていた宿泊行事が無理矢理この時期にねじ込まれた故のハード・スケジュールです。とはいえ、過密だろうとスカスカだろうと、宿泊行事は楽しい。

 

 でも、しんどい。

 

 残業代ゼロとは思えないくらいしんどい。下見は自腹だし担任は朝から晩まで神経を尖らせ続けなければいけないし、ついでにいえば翌日の土曜授業なんて子どもも教員も望んでないし、要するに子どものためと口にしながら、実は自助に追い込まれているというシステムエラー。

 

 これって私のせいですか?

 

 

 和田靜香さんと小川淳也さんの『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』を読みました。1965年生まれの和田さんは、著書『世界のおすもうさん』(岩波書店)や『東京ロック・バー物語』(シンコーミュージック)で知られるライターさん。1971年生まれの小川さんは、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』(大島新 監督作品)の主人公として知られる、立憲民主党所属の衆議院議員です。

 

 

 構成の基本はQ&A。

 

 タイトルが「問い」になっていることからもわかるように、和田さんが問い、小川さんが答えるというかたちで進んでいきます。市民が素朴に問い、政治家が真摯に答える。そうすることによってはじめて民主主義が可能になる。和田さん曰く《私の物語として政治を語り合いたい。それが私には、何より大事なことだと思った》云々。政治を教育に置き換えると、アナロジーとしては、保護者が問い、教員が答えることで学校の民主主義が可能になると読めます。目次は以下。 

 

 第1章 生きづらいのは自分のせい?
 第2章 耳タコの人口問題が生活苦の根源
 第3章 「なんか高い」では済まされない税金の話
 第4章 歳をとると就職できない理由
 第5章 見て見ぬふりをしてきた環境、エネルギー、原発問題
 第6章 自分を考える=政治を考える

 冒頭の引用は第3章より。和田さんの言葉です。第1章のタイトルを借りれば、生きづらいのは自分のせい(?)ではなく、「減税 ≒ 自助」という構造のせいというわけです。

 

 減税による自助。
 増税による公助。

 

 中澤渉さんの『なぜ日本の公教育費は少ないのか』(勁草書房、2014)に《日本人の国民負担はその経済規模に比して著しく少ないと言ってよい》や《つまり国民負担増抜きの福祉・教育サービスの充実の議論は考えられない》と書かれていたことを思い出しました。和田さんの言葉につなげると、勉強ができないのは自分のせいではなく「少ない公教育費 ≒ 自助」という構造のせいとなります。増税して公教育費を増やさない限り、一人ひとりに合った教育は実現しません。例えば39人クラスに外国籍で日本語に課題を抱えている子が転入してきたとしても対応するのは担任一人です。その子が低学力になったり自暴自棄になったりするのは自分のせいでしょうか。或いは担任のせいでしょうか。市民は増税を嫌がりますが、減税=ラッキー、増税=アンラッキーのような単純な話ではないというわけです。もちろん増税するのであれば、その前提は「まともな政府」ですが。

 前回の衆議院選挙のときに減税やばらまきを叫んでいる政党がいくつもありました。私たち市民はその意味をよく考えた方がいい。小中高の授業でもこういったことをもっと取り上げた方がいい。

 

 そうです。いちばんしんどいのは、社会の激変期です。僕は1971年生まれで、人生の前半を日本で最後の人口上昇曲線の中で過ごしてきました。そして80歳で死ぬとしたら、人生の後半は史上初の急激な下降曲線の中で生きます。
 だから、長らく上昇曲線の中で作られた政治と社会を、下降曲線に耐えられるものに作り替える、その歴史的な使命と世代的な宿命を背負っているんです。その認識、歴史観、政治観、社会観の下に歩んでいかなきゃいけないと思っています。

 

 第2章より。これは「耳タコの人口問題」についての小川さんの言葉です。藻谷浩介さんの『デフレの正体』(角川新書、2010)を思い出します。デフレの正体は「人口の波」にあり。生きづらさや生活苦の正体も「人口の波」にあり。より正確には生産年齢人口の減少にあり。現在は「人口が増えていく社会 → 人口が急激に減っていく社会」という激変期にあるのだから、デフレや生きづらさや生活苦をなんとかするためには日本の社会モデルを作り替える必要があるということです。前回のブログに猪瀬直樹さんらが民間臨調「モデルチェンジ日本」を設立したという話を書きましたが、その背景にあるのは、歴史的な使命と世代的な宿命を背負っているという、小川さんと同様の認識でしょう。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 ちなみに猪瀬さんらは第5章に書かれている「環境、原発、エネルギー問題」を梃子にしたモデルチェンジを提言しています。

 

 実は小川さんも『日本改革原案』で、最も重要なテーマは気候変動/環境問題にあると書いていた。

 

 第5章より。政治家は権力闘争をしているから政策について勉強している暇がない、とは猪瀬さんの言葉です。政策ばかりやって権力闘争をしなかったから私はやられちゃった、というのも猪瀬さんの言葉です。明後日に控えた立憲民主党の代表選。権力闘争よりも政策に力を入れていそうな小川さんの運命や如何に。

 

 猪瀬さんは75歳、小川さんは50歳。

 

 第4章の「歳をとると就職できない理由」に、定年制は廃止すべきとあります。小川さん曰く《今の定年制が強制退職の側面が強いのに対して、当時は逆、技術のある職工さんたちが辞めないよう、足止め策だった》云々。定額働かせ放題と揶揄されている教員の給特法もそうですが、その「策/法律」がそもそも何のためにできたのかを忘れてしまうと、現場は天国から地獄となります。学校がまさにそう。残業はいつも賃金ゼロ、これって私のせいですか?

 

 そうかもしれない。

 

 どうすれば、私の不安は解消されるのか? 幸福な明日を迎えられるのか?
 それを考えるために政治家である小川さんと対話を重ねてきて、最後に分かったのは、「政治」そのものが幸福へ導く可能性を秘めているということ。明日の幸福を築くには、政治が欠かせない。まるでメビウスの輪というか、青い鳥は家にいたという。

 

 第5章より。和田さんの言葉です。クラスの子どもたちによく伝えている「わたしが場をつくり、場がわたしをつくる」という理路でいえば、「市民が政治をつくり、政治が市民をつくる」となるでしょうか。教員も和田さんを見習って政治を語った方がいい。主体的・対話的で深い学びを自ら実践した方がいい。和田さんは《政治を語ることが、私の物語になった》と書きます。そして、和田さんと語り合うことで小川さんも成長したとのこと。

 

そう、これが民主主義なんだ。

 

 教員と保護者の関係もこうありたい。

 

 おやすみなさい。

 

 

東京ロック・バー物語

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