「昔、父親から、日本に帰りたいと思うな。二、三日は親も兄弟も大切にしてくれるが、彼らだって食うにせいいっぱいなんだ。それに朝鮮人と結婚していると差別されるぞ。アメリカ人と結婚して生まれた子供でも石を投げられたりする。差別のないロシアで生きろって、便箋五枚に書いてきたんです。それっきり日本へ帰るのはあきらめたよ」
この発言は、日本人妻たちが寂しさを紛らわすために、仲間うちの家でしばしば開いている日本食パーティの席で出た。彼女たちのほとんどは、大正末から昭和ひとケタ生まれで、韓国・朝鮮人と結婚している。
(猪瀬直樹『ニュースの冒険 「昭和」が消えた日』文春文庫、1993)
こんにちは。自宅療養4日目です。熱は上がったり下がったり、咳はとまらず、やはり普通の風邪ではありません。家族に感染していなければいいのですが。
家族を守るためには戦うだろうな。
猪瀬直樹さんと橋下徹さんの論争(?)を振り返りつつ、そう思いました。参院選後に話題となった、ウクライナの戦争についての一件です。
フジテレビの番組(7月11日)にて、橋下さんは猪瀬さんに「若者が戦いたくないとか、逃げたいとか、そこから避難したいという、そういう自由は認めないということですね?」といい、猪瀬さんは「戦っている場所と、ここにいるときの意識は違う」ということを踏まえた上で、「戦っている場所ではやっぱり戦わなければいけないと思う」と答えます。橋下さんは法律の専門家として、猪瀬さんは《僕たちの日常は過去のうえに乗っている》という日本近現代史の専門家としての発言です。さて、どちらの発言がピンとくるでしょうか。私はやはり、猪瀬さんに軍配が上がるなぁと思います。戦争についての解像度の高さが違うからです。リアリティが橋下さんのそれとは異なるということ。
猪瀬さん曰く「戦う自由も戦わない自由もない」云々。
ウクライナの戦争というニュースを、歴史の篩にかけて揺すってみる。そうすると、戦う自由も戦わない自由もないということがわかる。だから私たちは、歴史を学び、
歴史に学ぶ。
太平洋戦争の渦中で、死にたくない、できるなら逃げたいと考えた若者は少なからずいた。
猪瀬さんの note より。論争の補助線として、戦中派の作家・安岡章太郎のことが書かれています。学徒動員で招集された安岡も、最初は逃げようとした。しかし戦場には、逃げる自由も逃げない自由もなかった。
逃げようとする者は考えるタイプであり、自分には大切なやりたい夢があるのではないかと悩みそのために生き延びようと目的を持っている。同胞を守る使命と自分の生きる目的との間に生じる葛藤を抱えている。そして戦ったのである。
解像度が高いというのは、こういうところです。冒頭の引用もそうですが、こういう実話ベースのエピソードがパッと出てくる教員が増えたら、授業が変わり、若者のパブリックマインドも変わってくるのではないでしょうか。
やはり歴史からの「学び」は大切です。
猪瀬直樹さんの『ニュースの冒険 「昭和」が消えた日』を読みました。扶桑社が発行している「週間SPA!」誌に、約1年にわたって掲載された、昭和のラスト(1988年6月~1989年4月)を飾る39本のコラムを集めた一冊です。数年後に「週刊文春」で始まる『ニュースの考古学』(シリーズとして『ニュースの考古学』『禁忌の領域』『ニュースの考古学3』『瀕死のジャーナリズム』に分冊化)は、このコラムがもとになったとのこと。ニュースという一瞬の出来事を、歴史という篩にかけて揺すってみるとどうなるか。黒船以降の近現代史を専門とする著者らしい方法論です。そういった方法論を確立していくための出発点となったのが、この『ニュースの冒険』というわけです。
目次は以下。
’88 SUMMER 夏
’88 AUTUMN 秋
’88ー’89 WINTER 冬
’89 SPRING 春
歴史や政治や文化、時代を象徴する言葉でいえば「昭和天皇」や「リクルート」や「ミニ四駆」など、春夏秋冬&多ジャンルにわたる39本のコラムの中に、後の猪瀬さんの作品や活躍を連想させる「冒険」がいくつも収録されています。
例えば、冒頭の引用は「’88 SUMMER 夏」の「サハリン ーー 忘れられた北の島」(88.7.7)からとったもので、これは作家評伝三部作のひとつ『ペルソナ 三島由紀夫伝』を連想させます。「サハリン ーー 忘れられた北の島」には、樺太に入植していた日本人と韓国・朝鮮人のその後のことが書かれていて、この樺太にあった樺太庁の長官を務めていたのが、三島由紀夫(平岡公威)の祖父・平岡定太郎だったんですよね。三島の祖父は、原敬の暗殺を予期した人物とされる内務官僚のひとりとしても知られています。安倍元首相の暗殺を予期した人物も、もしかしたらどこかにいるのかもしれません。
当然のことだが、僕たちの日常は過去のうえに乗っている。それを忘れている。祝祭日ひとつにもさまざまなドラマがあったのだ。
皮肉にも、いずれ祝祭日となる十二月二十三日の皇太子の誕生日は、あのA級戦犯東条英機が処刑された日(昭和23年)である。
これは「’88ー’89 WINTER 冬」の「祝祭日のルーツと天皇制」(88.11.24)からとったものです。作家・猪瀬直樹のファンであればすぐにピンとくるのではないでしょうか。そうです、約20年後に出される『ジミーの誕生日』(後に『昭和23年冬の暗号』と改題)のことです。コラムでは《皮肉にも》と書かれている「皮肉」が、実は「皮肉」ではなかったということが、それこそ暗号を解くようにドラマティックに明らかにされていくのが『ジミーの誕生日』です。私たちの日常が乗っている、
忘れてはいけない過去。
アメリカは、忘れるな(!)というメッセージを祝祭日に埋め込むんですよね。しかし、私たちは忘れてしまった。そういったことも「平和ボケ」につながっているのでしょう。
高齢者に対する福祉政策のありかたとして、医療問題だけでなく、独り暮らしの老人に対するケアが浮かび上がってくる。
老人が住み慣れた土地や家でその一生を終えたいと希うのは当然の権利である。今後、老人ホームに住む時代から在宅ケアに移行していくだろう。
行政に求められるのは、老人を地域社会から隔離しないよう配慮することであり、同時に高齢者人口増加で予想されるコスト負担を少しでも軽減する方策を見つけだすことだ。
現代でいうところの「介護福祉」に関するコラムです。これは「’88 AUTUMN 秋」の「地価高騰は老人問題を解決するか」(88.10.27)からとったもの。あとがきに《さまざまな領域にわたる強い好奇心》と書かれていますが、好奇心の守備範囲がほんとうに広くて驚きます。財務省に行き、データを徹底的に詰めて書いたという『日本国・不安の研究 「医療・介護産業」のタブーに斬りこむ!』が世に出されるのが2019年。その間、およそ30年。好奇心の強さも、広さも、そして持続力も、まさに「神」レベルです。
見習おう。
《山本有三のような作家や学者が特定の党派からではなく自由な立場で多数立候補し、しかも高位当選を果たし、政治に新風を巻き起こそうとしていた。》
— CountryTeacher (@HereticsStar) July 22, 2022
猪瀬直樹さんの『ニュースの冒険』より。参議院がまだ「良識の府」として期待されていた頃の話。猪瀬さんは新風を巻き起こすであろう作家議員です。
猪瀬さんが参議院議員として、これまでに蒔いてきた「冒険」や「研究」の種をどのように回収していくのか、福祉政策に限らず、期待が勝手に高まるのは、道路公団民営化などで実際に手腕を発揮してきた実績があるからでしょう。
昭和が消えても、平成、そして令和と著者の冒険は続きます。88年当時、『ニュースの冒険』を書いていたときの猪瀬さんは40代です。今は70代。そう考えるとポスト団塊ジュニアの私だって、
人生これから。
冒険は続く。