田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

猪瀬直樹 著『東京レクイエム』より。教員レクイエム。僕たちは昔もっとおおらかだった。

猪瀬 村山、武村がかついでいるのは、天皇制的なもの、朝日新聞的なもの、つまり吉本さんのおっしゃる皮膜が実体のような世界。そういうものに小沢はきっと殺される。
吉本 そうか……。とてもよくわかるなあ。僕も身にこたえる(笑い)。
猪瀬 吉本さんも僕も、けっこうナショナリストなんですよ(笑い)。友だちが殴られたら、助けなきゃという信念を割に愚直に持っている。何かを解決しなければならないときは、やっぱり小沢のように怨まれてもやるほうですよ。
(猪瀬直樹『東京レクイエム』河出文庫、1995)

 

 おはようございます。先週、社会の授業のときに猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』を子どもたち(6年生)に紹介したところ、翌日に「先生、あれ買いました」と言ってきた子がいて嬉しくなりました。総力戦研究所の話がおもしろかったようです。小学生にはまだ早いかもしれませんが、読まなきゃという直感をすぐに行動に移せるのは才能です。その子にはおまけとして「修学旅行のときに立ち寄ったサービスエリアのトイレがめちゃくちゃきれいだったのもこの猪瀬直樹さんのおかげなんだよ」という話もしておきました。近い将来『道路の権力』も手にとってくれるかもしれません。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 せっかくだからと思い、授業だけでなく、職員研修でも『昭和16年夏の敗戦』を取り上げ、教育の話につなげるかたちで紹介しました。まずは「つかみ」。なぜ昭和16年夏の敗戦なのか。昭和20年の間違いではないのか。タイトルだけですぐに知的なモードへと突入できるところ、さすがの名著です。

 

 なぜ昭和16年夏の敗戦なのか。

 

 帝国政府が立ち上げた「総力戦研究所」が、昭和16年の夏に「日本必敗」というシミュレーション結果を出したからです。だから昭和16年夏の敗戦。ちなみに「総力戦研究所」というのは官や民の若き精鋭を集めた模擬内閣のことです。彼らは自分の所属する組織から持ち寄った一級の情報をあらゆる角度から分析し、日本必敗という確かな未来を描きます。石油が残らず、日本は敗れる。しかし残念なことに、本当に残念なことに、その予測は本物の内閣によって一蹴されてしまいます。

 

 石油は残る。

 

 同年秋の大本営政府連絡会議に出されたシミュレーション結果は「石油は残る」というものでした。試算したのはもちろん若きエリートたちではありません。空気に従う人たち、言い換えると《友だちが殴られたら、助けなきゃという信念を割に愚直に持って》いない人たちです。間違った試算を根拠に日本が真珠湾攻撃を始めたのは昭和16年12月8日の未明。

 

 今から80年前のことです。

 

 そこまで話したところで、以下の「公立小学校教員・田中まさおさんの残業を裁判所が『仕分け』」の表を提示しました。

 

f:id:CountryTeacher:20211204200331p:plain

AERAdot.  11月25日(木)より

 

 AERAの記事には「『授業準備は5分』に『小学校をなめているのか』」とあります。最初は私も「なめているのか」と思いましたが、よく考えた結果、なめているのは裁判所ではなく私たち教員だと思うようになりました。裁判所は総力戦研究所、空気に従っているのが現場です。

 司法は「ファクト」を指摘しているに過ぎません。勤務時間から逆算すると、保護者対応や小テストの採点などをゼロカウントにしたとしても、翌日の授業準備は1コマ5分しかとれませんよねという「ファクト」です。石油すら確保できないのに日本必勝を謳ったのが間違いであったように、5分しか確保できないのに授業力向上を謳うのも間違っている。アナロジーとしてはそうなります。司法はきっと、時間を確保し「教員に安息を」というメッセージを贈っているに違いありません。つまりは、

 

 教員レクイエム。

 

 

 猪瀬直樹さんの『東京レクイエム』を読みました。初版は89年(当時のタイトルは『Invisible Cityー東京、ながい夢』)。87年に『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した猪瀬さんが、昭和天皇の崩御(89年)にあたって《日本人と東京という巨大都市の生態を観察するために》エッセイとしてまとめた一冊です。目次は以下。

 

 文庫版のための〈まえがき〉
 prologue
 フィールド・ワーク 1989冬
 メディアの儀式空間
 アジアのなかの人口都市
 epilog

 epilogの後に吉本隆明さんとの対談「三島由起夫と『戦後50年』」が収録されています。冒頭の引用はそこからとったもの。猪瀬さんの《何かを解決しなければならないときは、やっぱり小沢のように怨まれてもやるほうですよ》という言葉が嘘じゃなかったことは、道路公団民営化を成し遂げた事実が示しています。

 先月、猪瀬さんのバースデー・パーティーに参加した際、同じテーブルに座っていた建設関係の方が、当時の猪瀬さんのことを振り返って「殺されてしまうんじゃないかと思っていた」というような話をしていました。小沢一郎と同様に、皮膜が実体のような世界に殺されかけていたということです。ちなみにここでいう皮膜とは、猪瀬さん曰く《一種の天皇制的な無責任システム》のこと。昭和天皇崩御の際に起きた「自主規制」も《天皇がタブーであるかぎり、権威は〈空虚な中心〉に在る。誰もいない場所に、集団主義の責任はあずけられ放置されたままなのである》という猪瀬さんのロジックにピッタリ重なります。東京という巨大都市は、その中心に「無」を抱えている。そのことが私たち日本人のスタンダードをかたちづくっている。空虚な中心とはもちろん「皇居」のことです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 ある日突然天皇が崩御することで時間が更新されるという事態は、人知を超えた力として受け止められやすい。僕は日本人の意識の奥底に、無常感とカタストロフィ願望が共存している気がしてならない。あたかも大きな台風がやってくるのを待っているように。この ”天災史観" は、日本人の集団主義とどこかでつながっている。そこからは、人為的解決に期待を抱かない習性が生まれやすい。

 

 prologueの次の「フィールド・ワーク 1989冬」より。分析が冴え渡り、天災史観ではなく”天才史観” に目を通しているかのような気分になります。当時、猪瀬さんはまだ40代。道路公団民営化であったり、東京都知事であったり、猪瀬さんのその後の活躍を知っているファンの一人としては、人生のつながり具合に「人知を超えた力」さえ感じてしまいます。五輪招致の舞台裏を描いた猪瀬さんの『勝ち抜く力』に、次のような一節があります。

 

作家として、日本人とは何か、東京とはどんな都市かをずっと考え続けてきた結果が実を結んだ。これまでの僕の人生は、このためにあったのかと思うぐらいの、これこそが東京の魅力と知ってもらうための、僕なりのやり方だった。

 

 招致活動の際のプレゼンテーションを振り返っての感想です。素晴らしきかな人生。東京レクイエムに耳を傾けていると、五輪招致のときの都知事が猪瀬さんだったという奇跡に改めて驚かされます。東京の敵さえいなければ、別の未来が待っていたかもしれないのに。世の中の一切は無情であるとはいえ、ホント、残念です。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 僕たちは昔もっとおおらかだった。働きすぎも、たかだか百二十年の歴史でしかない。

 

 日曜日なのに、安息日なのに、今日はこれから通知表の所見を書かなければいけません。司法の見立てだと児童39人✕40分で26時間かかります。通知表は法廷表簿ではないので、トップが決断すれば「廃止」できるのですが、日本人がもっている《人為的解決に期待を抱かない習性》のためにそういったこと(働き方革命)は起こりそうにありません。《日本人の働きすぎの原因をさぐっていくと日本の近代社会の成り立ちが別の角度から見えてくる》とは「アジアの中の人口都市」に書かれた猪瀬さんの言葉です。読まなきゃという直感を抱いた方は、ぜひ『東京レクイエム』を手にとってみてください。

 

 もっとおおらかに。