田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『ニュースの考古学』より。参議院の「存在感」について。日本人と「新宗教」について。予言の書。

 緑風会が最も勢力を持った時期は、昭和20年代から30年代前半にかけてだった。作家の山本有三らが音頭をとり、参議院の無所属議員が集まって院内交渉団体として成立するのである。名称は五月の新風と英語のミドル(中間)をもじったもので、いずれの党派にも偏らない、がモットーのゆるやかな連合体だった。
 いわゆる55年体制ができて自民、社会の二大勢力の対立がはじまると、拘束のゆるい緑風会は草刈場となり滅んでいくのだが、最大で96名の会員数を誇り参議院の第一会派となった時期もあった。
 一度、滅びたものはそれなりに滅びる理由を持っていたわけで、過去を美化するつもりはない。
 ただ、アイディアは汲み取って損はないと思う。
(猪瀬直樹『ニュースの考古学』文藝春秋、1992)

 

 おはようございます。先日、贅沢なことに、永田町にある参議院議員会館で「勉強する」機会に恵まれました。国会見学で6年生の子どもたちと一緒に来たことはありますが、プライベートで足を運んだのは初めてです。場所を変え、

 

 風景と共に、学ぶ。

 

参議院議員会館(館内撮影禁止)

 

国会議事堂

 

 クラスの子どもたちに「写真を撮ってきてください!」と頼まれていたので、たくさん撮ろうと思っていましたが、うろちょろしていたら守衛さんに止められ、断念。さすがは日本の中枢です。日々ニュースが生まれる場所なので、そういったことには敏感なのでしょう。まぁ、でも、写真はほとんど撮れなかったものの、法制局(内閣法制局、衆議院法制局、参議院法制局)や議員立法のことなど、社会の授業に役立つことを種々勉強することができたのでよしとします。夏休み明け、子どもたちに伝えるのが楽しみだなぁ。東条英機って、総理大臣だったのに国会議員じゃなかったんだよ、

 

 知ってた?

 

 

 猪瀬直樹さんの『ニュースの考古学』を読みました。週刊文春に掲載された同名のコラムを集めたものです。収録されているコラムは1991年8月から1992年7月までの49本。それらのコラムが書かれた当時の時代状況はといえば、ソビエト連邦共産党が解散し、崩壊へのカウントダウンが始まったのが1991年8月だから、

 

 つまりは世界史の大きな転換点。

 

 大きな転換点であっても「一瞬」で消費されてしまう、いわば生鮮食品にも似た「ニュース」という生ものに、真逆の意味の「考古学」という言葉をつなげたのは、著者曰く《一瞬の出来事を長い時間、すなわち歴史の篩にかけてゆすってみる》ためです。

 

 ゆすると、どうなるのか。

 

 ある種の固定観念の罠にはまりにくくなるというのが著者の答えです。曰く《固定観念は心を狭くするし、付和雷同の世論を生みやすい。メディアは、気をつけないと、そういう暑苦しさの先兵になる》。付和雷同の世論が「東京の敵」に騙された結果が現在の「収賄五輪」に関するニュースではないでしょうか。猪瀬さんの『東京の敵』を読んでから、すなわち歴史の篩にかけてゆすってみてからニュースに接すると、考古学教室の作業を通して得られる発見のように《こんな見方だってある、あんなとらえ方だって見つけられる》って、新しい見方・考え方を働かせることができます。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 ニュースの考古学は分冊化されていて、シリーズの「Ⅱ」が『禁忌の領域』、続く「Ⅲ」が『ニュースの考古学3』、そして「Ⅳ」が『瀕死のジャーナリズム』です。今回読んだ『ニュースの考古学』ははじめの一歩の「Ⅰ」。目次を見ていて驚いたことといえば、それは最後に収録されている2つのコラムが、令和の今を予見しているかのようなタイトルだったことです。

 

 参議院の「存在感」について(92.7.30)
 日本人と「新宗教」について(92.8.6)

 

 さすがはニュースの考古学です。学問的見地から、猪瀬さんが参議院議員になることも、旧統一教会が政治に大きな影響力を与えるようになることも、92年の時点でわかっていたのでしょう。いわば予言の書。まぁ、そんなわけはないのですが、とにかくそう思えてしまうくらいにタイムリーかつ古びれないタイトルです。

 

 以下、それぞれのコラムより。

 

 冒頭の引用は「参議院の『存在感』について」(92.7.30)からとったものです。参議院の前身は貴族院で、主に皇族や華族などの偉い人しかなれなかったんだよ。だから良識の府と呼ばれていたんだよ。めっちゃ存在感があったんだよ。6年生の子どもたちにはそんな風に説明します。しかし現在では参議院の存在感は薄れ、良識どころか小学生には見せたくないようなニュースが流れてくるからがっかりです。真剣に国のことを考えている政治家もいるのに、曝露とか恫喝とか、ガーとかシーとかって、娯楽を通り越して、

 

 不快。

 

 参議院選挙は、いつしか有名人のダービーとして定着した。出る人、推す人、比例代表の出場資格はテレビで顔が知られている人にかぎられる。だが有名人について知っていることのほとんどは、顔や雰囲気からくる印象にすぎない。
 だから参議院選速報は、娯楽番組なのだ。それではいけないなどといいってもはじまらないから、ここで記憶の糸をひもといておきたい。

 

 記憶の糸をひもとくと、かつて参議院には、保守系無所属の議員で構成された「緑風会」という院内会派が存在したということがわかります。1947年結成、1965年解散。冒頭の引用にもあるように、音頭をとったひとりは作家の山本有三です。作家の猪瀬さんが「緑風会」のアイディアをもとに、小学生にも胸を張って説明できるようなニュースの発信源になってくれたらいいなって、そう思います。

 

 怪しげな宗教団体の話題が尽きない。人ごとと思っていると、芸能人やスポーツ選手や文化人や政治家など有名人が、つぎつぎと入信していく。

 

 コラム「日本人と『新宗教』について」(92.8.6)の冒頭です。段落を変えて《ほんとうに信じきっている人もあれば、雨宿りのために軒下を借りただけの人もいるだろう》と続き、文章フェチとしては堪りません。うまいなぁ。コラムを締めくくる次の文章も最高です。

 

 政治の世界はリアリズムが支配している。だが日本の政治を語る場合、うわべの近代的制度空間の下底に、神道とか東洋哲学などの茫漠としてとらえにくい世界が控えていることを忘れてはならないだろう。元号も一種の縁起かつぎのようなものだから、日本人全体にも同じことがあてはまる。
 こうした自然観の一部をじょうずにつまみあげると、そのたびに新たな宗教団体がポロッとひとつ生まれるのである。

 

 知的です。

 

 田中角栄に負けず劣らず知的です。 で、じょうずにつまみあげたのが旧統一教会ということでしょう。実際、政治の世界には「禁忌の領域」があるということを、猪瀬さんは《熾烈な権力抗争が繰り広げられる局面で、伊藤はしばしば金光教の導師にお告げを仰ぐのだ》や《大平は追い詰められると、伊藤をつかまえて、「神様の話をしてくれないか」とせがむこともあった》など、具体的なエピソードを交えて説明します。ちなみに大平というのは元首相の大平正芳、伊藤というのは『自民党戦国史』などを書いた政治評論家の伊藤昌哉のことです。

 

 一緒に日本を神様の国にしましょう。

 

 旧統一教会関連団体のイベントにて、元文部科学大臣がそのような発言をしたというニュースが数日前に流れていました。今も昔も神様は大忙し。歴史の篩にかけてゆすってみれば「歴史は繰り返す」ということになるでしょうか。

 

 歴史は繰り返す。

 

 作家の風に期待。