田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『ペルソナ 三島由紀夫伝』より。これを読まずして、三島由紀夫を語ることなかれ。

 原敬の暗殺を予期した人物がいた。
 殺される八ヶ月ほど前、原は日記に、暗殺の危機を説く男の来訪を記している。大正十年二月二十日夜の来訪者は岡崎邦輔と平岡定太郎である。
(猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』文藝春秋、1999)

 

 こんばんは。今日は運動会でした。短距離走と演技だけの Stylish な運動会。残業も、朝練もない、Smart な運動会。教員の家庭にも、普段の授業にもしわ寄せのいかない、Sustainable な運動会。次年度以降もこのスタイルで十分だなぁ。子どもたちも全集中の呼吸で「走る、踊る」をやりきり、Smile だったし。ちなみに高学年はソーラン節を踊りました。ソーラン節といえば、

 

 ニシン漁。

 

 そしてニシン漁といえば、戦前、《浜辺に打ち上げられたニシンを拾うこと、すなわち「拾いニシン」すら禁止された》という樺太の雑漁民の悲哀を思い出します。思い出さないけど。樺太庁長官として、雑漁民の「内地の裕福な建網漁業者のために、俺たちは雑魚しかとることができない。何とかしてくれ」という声に《期待に添えないかもしれないが、誠意をもって解決にあたる》と応じたのが、冒頭の引用に出てくる平岡定太郎です。原敬の暗殺を予期した人物のひとりとされる、

 

 内務官僚。

 

 平岡定太郎は平岡公威、すなわち三島由紀夫の祖父です。

 

ペルソナ 三島由紀夫伝 (文春文庫)

ペルソナ 三島由紀夫伝 (文春文庫)

  • 作者:猪瀬 直樹
  • 発売日: 1999/11/10
  • メディア: 文庫
 

 

 猪瀬直樹さんの『ペルソナ  三島由紀夫伝』を再読しました。来月の25日は三島由紀夫の没後50年だから、というわけではなく、猪瀬さんの新刊の『公』と、新版の『昭和16年夏の敗戦』を読んでいたら、久し振りに猪瀬さんの文章に浸りたくなったからです。まずはエッセイ集の『僕の青春放浪』を読み返し、肩慣らしをしてから、いざ、大部の評伝『ペルソナ  三島由紀夫伝』へ。

 

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 すごいなぁ、どうやったらこんな評伝が書けるのだろう。そんなふうに思った十数年前と同じように、今回もまた、すごいなぁ、どうやったらって思ってしまいました。解説を書いている鹿島茂さん曰く《本書は、割腹自殺を大団円に置いた『近代日本と官僚制』という題の大河小説と見てよい》云々。そうなんです。まさに大河小説なんです。そして大きな河となっているのが、

 

 官僚制。

 

 金閣寺の庭園が、衣笠山の景観を取り込み、いわゆる「借景」を構成することで金閣寺の存在を際立たせているのと同じように、猪瀬さんは官僚制を取り込み、それを借景とすることで、三島由紀夫の生涯を詳らかにしようとします。家庭環境という借景を抜きにしては児童理解は進まない。ときに大きく間違うこともある。学校教育に置き換えれば、そういった話と同じです。

 

 地縁、血縁によって結ばれた関係は温かい。地縁や血縁には共同体の観念が宿っているからだ。だがある地域だけが、ある系統だけが優遇されるなら全国家的観点から見れば、公平ではない。地遠、血縁を精算すれば、冷たく乾いた合理的なシステムが生まれる。ひとつが政党である。もうひとつは、近代的な官僚機構である。
 この二つをすり合わせひとつのシステムを練り上げようとする革命を、原は目指した。

 

 目的達成のために合理的に行動した結果、原敬はどこかで誰かの恨みを買い、暗殺されることになります。少し脱線しますが、猪瀬さんの新刊の『公』に《一年後、参議院宿舎計画は完全に白紙撤回となった。だがこの清水谷公園一帯は「都議会のドン」内田茂都議の選挙区・千代田区であり、ドンの神経を逆なでしていることに僕は気づかなかった》とあり、ちょっと似ているなぁと思いました。総理大臣だった原敬も、もと東京都知事の猪瀬さんも、同じように「理のないこと」を嫌っているからです。合理的だからこそ誰かの虎の尾を踏み、理のないしっぺ返しを食らうことになってしまった。猪瀬さんが描く原敬が悲劇のヒーローっぽいのは、そのためかもしれないなぁ。

 戻ります。

 三島由紀夫の祖父は原敬の暗殺を予期していた。確かな筋から情報を得ていた。ここで「問い」が生まれます。二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?

 

 

 間違えました。ただの「御指摘」ですが、御本人からのコメント付きのリツイートが嬉しくて嬉しくて、前回のブログに引き続き載せてしまいました。ファン冥利に尽きます。

 

 平岡定太郎はなぜ原敬の暗殺を予期できたのか。

 

 これです。この「問い」によって『ペルソナ  三島由紀夫伝』は駆動します。官僚制を借景とした大河小説のはじまりです。うまい。うますぎる。さらに『仮面の告白』から《その十年まえ、祖父が植民地の長官時代に起った疑獄事件で、部下の罪を引受けて職を退いてから(私は美辞麗句を弄しているのではない。祖父がもっていたような、人間に対する愚かな信頼の完璧さは、私の半生でも他に比べられるものを見なかった。)私の家は、殆ど鼻歌まじりと言いたいほどの気楽な速度で、傾斜の上を辷りだした。》という文章を引き、疑獄事件って何だ(?)、その祖父というのが平岡定太郎なんだな(!)と読者に思わせて惹きつけるところも、うまい。うますぎる。

 そもそも私を含め、三島由紀夫が自決した後に生まれた世代にとっては、三島由紀夫の祖父や父が官僚だったということ自体、よく知らないというのが本当のところではないでしょうか。だからつかみはOK。三島由紀夫って、やはりそんじょそこらの作家とはレベルが違うんだなって、いやが上にもそう思います。高校生の長女と中学生の次女にも、この『ペルソナ』をきっかけとして「三島由紀夫」を知ってほしい。パパが勧めると嫌がるけど。ちなみにプロローグとあとがきに挟まれた第一章から第四章までのタイトルは以下の通り。

 

 第一章 原敬暗殺の謎
 第二章 幽閉された少年
 第三章 意志的情熱
 第四章 時計と日本刀

 第一章では原敬と平岡定太郎が、そして第二章では岸信介と三島由紀夫の父である平岡梓が登場します。昭和の妖怪と呼ばれた岸信介と三島由紀夫の父は東京帝大、そして農商務省と、ずっと同期なんですよね。これまたびっくり。平岡定太郎は原敬に重用されるも、その後挫折。平岡梓は成功した岸信介とは真逆のコースを進み、挫折。ちなみに大蔵省に9ヶ月間だけ在籍していた三島由紀夫に対しては、大蔵省の同期で、やがて「大蔵のドン」と呼ばれるようになる元大蔵事務次官の長岡實が配されています。鹿島茂さん曰く《挫折した官僚一族である平岡家三代の「私」に対して、これら功なり名を遂げた副主人公三人は「公」を代表している》云々。平岡家三代の「私」を浮かび上がらせるための、借景としての「公」、すなわち「官僚制」です。猪瀬さんのこの対比も、うまい。うますぎる。ちなみに第二章のタイトルにある「幽閉された少年」というのはもちろん三島由紀夫のことで、幽閉していたのは祖母である夏子(定太郎の妻)です。夏子の血筋を辿っていくと徳川家康に繋がるそうですから、なんというか、とんでもない。

 

『仮面の告白』も、『金閣寺』も、いわゆる私小説ではない。だがどちらも「私」が投影され、「私」の自己回復のために書かざるを得なかった作品の系列に属する。
 園子に対して、素直に、肉体として迫れなかったのにX嬢を得たいまは、「生きよう」という結論に達したのだ。
 では燃やさなければならなかった金閣とは、作者にとって何だったのか。

 

 とんでもないとはいえ、対「女性」についていえば、ちょっと、わかるなぁ。天才も凡人も、異性のことについては同じように悩み、同じような感情に囚われるようです。違うのは、天才は第三章のタイトルにある「意志的情熱」をもってそれを作品に昇華させるところ。猪瀬さん曰く《『金閣寺』は、女に対して自信を持った三十一歳の三島が、二十四歳で女に自信を持てなかった時代に書いた『仮面の告白』をもう一度リメイクし深化させたもの、と僕は考えている》云々。凡人の私からすると、猪瀬さんも三島由紀夫に負けず劣らずの天才で、引用の最後にある《では燃やさなければならなかった金閣とは、作者にとって何だったのか》なんて、うまい。うますぎる。

 

 これぞ探究の力。

 

 子どもたちにつけさせたい力です。官僚制という借景に、女性というある意味わかりやすい借景も加えた上で、第四章「時計と日本刀」では、燃やさなければならなかった金閣に迫りつつ、いよいよ、割腹自殺という大団円につながる話が展開されていきます。これがまた、うまい。うますぎるんです。おそるべし、猪瀬直樹。映画『三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実』と合わせて、ぜひ読んでみてください。

 

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 ニシンが来たぞ~。

 

 ソーラン節、よかったぞ~。

 

 

仮面の告白 (新潮文庫)
 
金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)