田舎教師ときどき都会教師

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小川さやか 著『「その日暮らし」の人類学』より。今を豊かに生きるには? キリギリスの世界線を覗いてみる。

 日本では、終身雇用や年功序列賃金制度が期待できなくなっても、仕事をやめないことを美徳とするのが主流である。このような価値観は、景気が悪化し、非正規雇用やワーキングプアなどの格差問題が顕在化した現在、ますます強くなっているようにも感じる。しかし世界的に見ると、農業や漁業をのぞいて、一つの仕事を老いるまで続ける人のほうが圧倒的なマイノリティである。
(小川さやか 著『「その日暮らし」の人類学』光文社新書、2016)

 

 こんばんは。自宅療養6日目。ようやく熱が下がってきました。咳はまだ続いていますが、それほどひどくありません。昨日次女が届けてくれたプリッツが効いてきたようです。

 

 

 普段は生意気で、私が「中3にもなって」というと、すかさず「中年にもなって」と返してくる次女ですが、おそらくはコロナの効用でしょう。今回ばかりは思春期の鎧を脱いでくれたようです。

 

 

 小川さやかさんの『「その日暮らし」の人類学  ~もう一つの資本主義経済~』を読みました。2週間ほど前に大学の先生から勧めてもらった全3冊(下の写真)の中の1冊です。注文したのがいつだったのかは忘れましたが、その日暮らしのひきこもり生活を予期していたかのようなタイミングで自宅に届いたので、熱も下がってきたことだし、これはもう読むしかありません。

 

 小川さんの本を読むのは初めてです。

 

 Wikipediaで「小川さやか」と検索したところ《チョンキンマンション(重慶大厦)に滞在しつつ香港のタンザニア人組合について調査を行った》とあって、もとバックパッカーとしては興味津々。私も97年と01年にちょっとだけ滞在していました。懐かしいなぁ。そういえば、チョンキンマンションの近くのお店で「喉痛咳止茶」っていうお茶が売っていて、魔法のようによく効いたなぁ。いま飲みたいなぁ。

 

大学の先生から推薦された夏の課題図書?

 

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香港。懐かしの重慶大厦/チョンキンマンション(01)

 

 目次は以下。

 

 プロローグ Living for Today の人類学に向けて
 第一章 究極の Living for Today を探して
 第二章 「仕事は仕事」の都市生活
 第三章 「試しにやってみる」が切り拓く経済のダイナミズム
 第四章 下からのグローバル化ともう一つの資本主義経済
 第五章 コピー商品/偽物商品の生産と消費にみる Living for Today
 第六章 〈借り〉を回すしくみと海賊的システム
 エピローグ Living for Today と人類社会の新たな可能性

 著者のメッセージを私の土俵に引きつけて勝手に解釈すれば、「学校にもっと多様性を」となります。『「その日暮らし」の人類学』のキーワードは、目次でも繰り返されている、

 

 Living for Today

 

 その日その日を生きる、という意味です。子どもは子どもを生きている、と似ているでしょうか。子どもの頃はその日その日を生きていたのに、気がついたらフォーマルな資本主義経済に呑み込まれてしまって、 未来のために現在を犠牲にする暮らし(Living for Tomorrow、Living for Future、etc.)を余儀なくされている。受験生なんて典型です。夏季休業中に2学期の準備をしている教員も、寓話でいえば「アリとキリギリス」のアリも典型です。

 

いまの日本社会では、その日その日を生きることを正当化することは難しい。安定した仕事をやめ、好きなことを探そうとすると、「そんな生き方をしていて将来、社会に迷惑をかけるな」と非難される。「そんな生き方をしていて、わたしに迷惑をかけるな。わたしを不安にするな」と。

 

 世界には「そんな生き方」の方がスタンダードなエリアもたくさんあって、そういったエリアでは Living for Today を前提として組み立てられた「もう一つの資本主義経済」(インフォーマル経済)が回っているというのが著者の見立てです。小川さんがフィールドにしているタンザニア然り、中国然り。見田宗介さんが『社会学入門』で話題にしているメキシコなんかもそうでしょうか。小川さんは《インフォーマルな交易が活性化しつつある原動力、世界各地のインフォーマル経済の住人たちの生きぬき戦術、生活の論理を Living for Today の視点から論じる》ことで、こちら側の世界を逆照射し、私たちの人間観や社会観は今のままでOKか(?)と問いかけます。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 具体的をひとつ挙げると、例えばこれ。

 

「子ども時代に豊かな暮らしを両親から与えられ、学校に通え、大人になって良い仕事を得た人がある日とつぜん仕事をクビになると、身動きがとれなくなってしまう。だが行商人は違う。商品をすべて盗まれても、翌日から歩き始める。そんな経験には慣れっこだからだ」(衣類の路上商人、男性、三〇歳)。

 

 第二章より。前段がこちら側の世界の典型で、後段があちら側の世界の典型です。タンザニアの都市部においては、様々な職種を渡り歩く行商人的な人々が社会のマジョリティを形成しているとのこと。多くの人々が気まぐれに仕事を変え、「仕事は仕事」と割り切りつつ、ジョブ・チェンジを契機に新しい仲間をつくり、予定表のない「前へ前へ」の暮らしを楽しんでいるとのこと。キリギリス的、狩猟民族的、フリーター的、あるいはバックパッカー的な生き方ともいえるでしょうか。仕事に就く、友達をつくる、やめる、別の仕事に就く、別の友達をつくる、やめる……。このサイクルを繰り返すことで、彼ら彼女らは「経験」と「ネットワーク」を手に入れ、《職を転々として得た経験(知)と困難な状況を生きぬいてきたという誇り、自分はどこでもどんな状況でもきっと生きぬく術を見出せるという自負》をもつようになります。

 小川さんはそのような自負をもった人々が生きている「もう一つの資本主義経済」のことを「インフォーマル経済」、あるいは「下からのグローバル化」という言葉で表し、その特徴を次のように説明します。

 

その特徴は、効率化のために労働者を切り捨てるのではなく無数の雇用を生み出す経済、知識や技能の独占で繁栄するのではなくその共有を推進する経済、序列的な分業体制を持つ経済ではなく水平的なネットワークで動く経済といったものである。

 

 私たちが所与のものとしてイメージしている資本主義経済(フォーマル経済、上からのグローバル化)とは180度異なるというわけです。もちろん、どちらもそれほど単純なモデルではありませんが、小川さんの『「その日暮らし」の人類学』を読み、タンザニアの人々の暮らしを目の当たりにすることで、別の世界線、別の可能性があるんだなということは十分にわかります。無数の雇用を生み出す経済だからブラックな労働環境が放置されるなんてことがなくて、知識や技能を共有する経済だから格差に苦しむことがなくて、水平的なネットワークだから《失敗しても誰かの稼ぎでくいつなぐ》ことができる、

 

 キリギリスの世界線。

 

 この本を勧めてくれた大学の先生(教員養成系)が「30代40代の社会人に、会社をやめて教員になろうって思ってもらうためにはどうすればいいだろう」というような話をしていました。大卒からずっと同じ自治体でずっと同じ仕事をしている教員が学校現場のマジョリティを形成しているという多様性のなさを何とかしたいという意味での発言です。言い換えると Living for Today の教育学。様々な分野での経験とネットワークをもった教員を増やしいていくためにはどうすればいいのか。

 

 チョンキンマンションのボスなら知っているかもしれません。

 

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