田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

田内学 著『お金のむこうに人がいる』より。お金の話を突きつめて考えたら、道徳の話に近づいた。結局、人。やっぱり、教育。

 年金問題を話すときには、「1人の高齢者を⚫人の現役世代で支えている」という話をよく聞くのに、「1人の子どもを⚫人の現役世代で支えている」という数字を目にすることがほとんどない。1人の女性が産む子どもの人数しか気にしない。
 現代の社会では、高齢者の生活は社会が助けるものだと考えても、子育てについては社会全体で助け合うという発想がなくなってしまったように感じる。
 子育ての負担が減っているというのは、「親」の話ではなく、「社会」の話だ。社会が子どもを育てなくなってしまった。
(田内学『お金のむこうに人がいる』ダイヤモンド社、2021)

 

 おはようございます。たぶん、コロナでしょう。終業式が終わった20日の夕方から喉の調子がおかしくなり、その晩に発熱。ホッとして気が抜けたせいかと思っていましたが、翌日、朝から晩まで寝たのに治らず。おそらくは学期末のオーバーワークで免疫力が低下していたことが原因だと考えます。昨年度末に「通知表の所見の回数を減らして年1回にしましょう。勤務時間外のただ働きを前提とした仕事はおかしい」って提案したのに、通せなかったことが悔やまれます。もしもあのとき「そうしよう」ってなっていたら、こんなことにはならなかったのに。

 

 

 昨日、病院に行って、PCR検査を受けてきました。結果は今日。せっかくの夏休みなのに、陽性だったら7月いっぱいは自宅療養となりそうです。アドルフではなく、全国の校長に告ぐ、

 

 労務管理をしてください。

 

 

 田内学さんの『お金のむこうに人がいる』を読みました。きっかけは、神保哲生さんと宮台真司さんのマル激トーク・オン・ディマンド(第1108回)です。ゲストが田内学さんでした。感銘を受けたのは、マル激も『お金のむこうに人がいる』も、経済の話に始まり、最後は教育の話で終わるという流れだったこと。田内さんは《純粋に経済を突き詰めて考えたときに見えてきたのは、お金ではなく「人」だった》と書きます。お金のむこうに人がいる、経済のむこうに教育があるというわけです。

 

 

 目次は以下。

 

 第1部  「社会」は、あなたの財布の外にある。
 第2部  「社会の財布」には外側がない。
 第3部 社会全体の問題はお金で解決できない。

 

 第1部の「『社会』は、あなたの財布の外にある。」では、お金の価値が語られています。なぜ、わたしたちはお金を使っているのか。それはお金が「交渉力」と「伝達力」という2つのコミュニケーション力をもつから。お金を払えば相手に働いてもらうことができるというのが「交渉力」。お金を流せば自然に労働が集積され、新国立競技場のような複雑なものも作り上げることができるというのが「伝達力」。つまりお金には、見知らぬ人に働いてもらったり、見知らぬ人同士をつなげたりする「糸」としての力があるというわけです。学校でいうところの『学び合い』がもっている価値と似ています。お金でつながる社会、学びでつながる教室。問題は、コミュニケーションをお金に任せすぎると、お金のむこうにいる人が「壁」に隠れて徐々に見えなくなってしまうということ。そうならないために、田内さんは《「誰が働いて、誰が幸せになるのか」を考えることが重要》と書きます。

 

お金によって、見知らぬ人に働いてもらうことが可能になった。社会を地球規模にまで広げた。多くの人が結びつき、多くの人が支え合う社会を実現してくれた。
 ところが、現代社会においてのお金は、他の人の存在を隠す「壁」のような存在になってしまった。「自分ひとりの世界を生きている」と感じてしまっている。この壁を取り払って他の人の存在に気づかないと、自分のことだけを考えがちになり、社会全体で支え合うことができずに、結果的にみんなが困ってしまうことになる。

 

 学校でいうと、支え合うことよりもテストの点数に価値を置く子が多くなると、クラスの雰囲気が悪くなってイヤな思いをする子が出てくるという話と同じです。

 お金に惑わされると「お金のむこうにいる人」が見えなくなるという問題点を受けて、第2部の「『社会の財布』には外側がない。」では、現在の「お金中心の経済学」ではなく、本来あるべき「人中心の経済学」で経済や社会を見つめ直すという試みがなされます。

 

 わかりやすい例をひとつ。

 

 この件で責められるべきはマスクを買い占めていた人たちだ。このとき、マスクの高騰によって、彼らが大量に保有するマスクの資産価格は増えたが、多くの人がマスクを使えなかった。多くの人から効用を奪ったのだ。

 

 コロナ禍におけるマスク問題より。人中心の経済学では《モノの効用が、誰かを幸せにする》ということを羅針盤にしています。具体的には、お金が流れることによって労働力が結びつき、モノが作られ、そのモノがもたらす効用によって人々が幸せになるという理路です。だから当然、資産価値の増大を目的としたマスクの買い占めはNGです。多くの人の幸せを奪っているからです。人中心の経済学の目指すところは、

 

 みんなの生活を豊かにすること。

 

 では、みんなの問題、すなわち社会全体の問題を解決していくためには、どうすればいいのでしょうか。その問いに対する答えが、第3部「社会全体の問題はお金で解決できない。」に描かれています。例えば、年金問題や政府の借金問題にもかかわる次の問題。

 

 僕たちの抱える老後の不安を解消する方法は次のうちどれだろうか?

 

 A  他の人よりも多くのお金を貯めておく
 B  外国に頼れるように外資を貯めておく
 C  社会全体で子どもを育てる

 

 当然、答えはわかりますよね。冒頭の引用がヒントです。田内さんは「僕たち」とは誰なのか(?)と、その範囲を問います。そして次のように書きます。

 

 だけど、社会全体の問題は、お金では解決できない。お金で解決できる気がするのは「僕たち」の範囲が狭いからだ。「僕たち」の外側に問題のしわ寄せがいっている。

 

 お金で解決できるのは分配の問題だけで、換言するとそれは《政府ができるのは「困る人を変えること」でしかないのだ》となります。だから「僕たち」の範囲が狭くなればなるほど、困っている人が見えなくなっていって、宮台真司さんいうところの「寄る辺なき個人」や、ひろゆきさんいうところの「無敵の人」が増えていくことになります。つまりは『学び合い』でいうところの「一人も見捨てない教育」が目指す社会とは違った社会になってしまうということです。

 

 僕は、とことんお金の話をしてきた。
 だけど、お金の話を突きつめて考えたら、道徳の話に近づいた。それは、「僕たち」の範囲を社会全体に広げたからだ。

 

 巻末の「おわりに」の冒頭より。アダム・スミスの「神の見えざる手」は人々の道徳心を前提としているという話を思い出します。

 3%くらいしか紹介できていませんが、《とことん》の中には「預金大国=借金大国」という話や、投資とギャンブルは何が違うのかという話、それから膨大な借金を抱えているはずなのになぜ日本は破産しないのかという話など、経済に対する見方・考え方が変わる内容がてんこ盛りです。人中心の経済学の基本である「誰が働いて、誰が幸せになるのか」を考えられる人が一人でも増えるよう、そして社会がよりよくなるよう、興味があったらぜひ『お金のむこうに人がいる』を買って、お金を流してください。

 

 喉の痛みと咳がひどいです。

 

 たぶん、コロナだなぁ。