田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

朝井リョウ 著『時をかけるゆとり』より。著者の6年生のときの担任、素晴らしいってよ。

 ひたすら日記を書き続けていた小学六年生の私にとって、世界でたったひとりの読者は当時の担任の先生だった。毎日提出する日記に返ってくる一言コメントが、唯一の感想だったのだ。まるでどこかで連載をしているプロになったかのような勘違いを、私は精一杯楽しんでいた。
(朝井リョウ『時をかけるゆとり』文春文庫、2014)

 

 こんにちは。先日、研修を兼ねて(?)国会見学に行ってきました。子どもたちを連れての国会見学は、都会教師だったときに何度も経験しましたが、プライベートでの見学は今回が初めてです。衛視さん(昔の呼び方で言うところの守衛さん)の話に耳を傾けつつ、ときに質問をしたりしながら、ゆとりをもって見学できるのは、嬉しい。衆議院の議員食堂に入れたことも、そしてそこでゆとりをもってカツカレーにありつけたことも、

 

 嬉しい。

 

政治家さんに大人気というカツカレー(2023.8.17)

 

 案内をしてくれた衛視さんが言うには、1日に3000人とか4000人とか、学期中にはそれくらい大勢の児童・生徒が見学に来るそうです。あまりにも多すぎるため、人数制限のあったコロナ禍のときにはゆっくり説明できたものの、今ではとても無理とのこと。衛視さんにもゆとりが必要というわけです。ちなみに衛視さんは国会に直接雇われている国会職員です。衛視さん以外にも、警視庁の職員とセコムの職員が国会の警備をしています。いわば、

 

 チーム国会。

 

 チーム学校にも「警備」のための人員を少し分けてほしいものです。過労死ラインを超えて働いている教員に不審者対応訓練なんてさせている場合ではありません。不審者対応訓練のための実施案の作成とか、警察への連絡とか、校内における「〇〇先生、不審者役をやってください、よろしくお願いします」みたいな調整とか、そんなことよりも教え子の日記を丁寧に読んだり、精一杯楽しんで書かれた日記に《まるでどこかで連載をしているプロになったかのような勘違い》をさせちゃうような一言コメントを書いたりするゆとりをください。そうすれば「時をかけるゆとり」や「時をかけるさとり」がもっともっと生まれてくるかもしれませんから。

 

 

 朝井リョウさんの『時をかけるゆとり』を読みました。著者初のエッセイ集。今さら感がありますが、朝井さんの本を読んだのはこれが初めてです。で、他の本も「読まなければならない!」と思いました。三島由紀夫的な当為(なければならない、べきだ)です。当為という言葉は平野啓一郎さんの『三島由紀夫論』を読んだときに学びました。前回のブログで取り上げた670頁の大著です。エックス(ツイッター)にそのブログを載せたところ、平野さんご本人がリポスト(リツイート)してくれて、

 

 嬉しい。

 

 

 で、朝井さんの『時をかけるゆとり』ですが、「当為」の対義語である「存在」を使って表現すると、三島的な「当為」に対して、ゆとり的な「存在」を全面に押し出した作品であり、文体でいうと、平野さん的な「芥川賞」っぽいそれではなく、朝井さんが戦後最年少で受賞した「直木賞」っぽいそれであり、要するに、何が要するになのかはわかりませんが、とにかくゆとり世代の代表である著者の素のおもしろさをリーダブルに楽しめる「抱腹絶倒のエッセイ集」になっているんです。

 

 全23編。

 

 学生編が20編、社会人編が3編、学生から社会人へと、時をかけるゆとり。学生編と社会人編から、それぞれ一つずつ紹介します。ちなみに23編中、10編くらいで声を出して笑いました。マジです。

 先ずは学生編に収められている「母校を奇襲する」より。処女作『桐島、部活やめるってよ』の映画化に際して、撮影チームと共に母校である岐阜県立大垣北高等学校を訪ねたときのエピソードです。朝井さんは、高校3年生46人を相手に、曰く《卒業生だから何?  という幻聴さえ聞こえる》という精神状況の中、もと担任に背中を押されるかたちで喋らされることになります。母校を奇襲というか、

 

 母校が奇襲。

 

 結局何を話したのかよく覚えていない。「僕も受験生のとき〇〇先生が担任で」と興味を引くような滑り出しをしたかと思えば、「結局第一志望には落ちたんですけど」とその先生のもとで大学受験に挑む生徒たちの未来に暗雲を振りまいたりしてしまった。最終的には「君たちは何にでもなれるんだ」というようなアンビシャス的なことを言い放ち、そそくさと教壇を去った。死にたかった。

 

 最期の《死にたかった》が最高です。もしかしたら『仮面の告白』の主人公に「生きなければならない」と言わせた三島との違いを意識したのかもしれません。死にたかった以外にも、暗雲を振りまくとか、アンビシャス的なことを言い放ちとか、ひとつの段落の中にユニークな表現がいくつも詰め込まれていて、

 

 嬉しい。  

 

真っ黒に焼けたハンドボール部員にはカバンを差し出され、「ここにサインをしてください!」と言われ、ここにサインしたらこれは朝井リョウのカバンみたいになるんだけどいいのかな、と思ったが、思いっきり記名させていただいた。

 

 うん、天才だ。後輩たちにも大人気。卒業生が母校に来てくれるのって、嬉しいものです。それも年齢が近くて、社会人としての活躍がメディア上で目に見えるかたちになっているのであればなおさらでしょう。

 というわけで、社会人編からは「直木賞を受賞しスかしたエッセイを書く」より。冒頭の引用はこのエッセイからとりました。素晴らしいですよね、朝井さんの6年生のときの担任の先生。初等教育って大事だな、ゆとりって大事だな、改めてそう思わせてもらえて、

 

 嬉しい。

 

 

 もしも小学校の先生が三島の綴り方をほめなかったら、もしも小学校の先生が朝井さんの作文をほめなかったら、私たちは三島の作品にも朝井さんの作品にも出会えなかったかもしれません。恐るべし、初等教育。

 

 朝井さんは続けます。

 

 そんなある日、先生からこんな「感想」が返ってきた。
 あなたの日記は、まるで小説を読んでいるみたいです。

 

 抱腹絶倒ではなく、いつの間にか涙腺崩壊エッセイになっています。朝井さんはこの先生に、想像上の「読者」ではなく、本当の読者になってもらいたいと思い、原稿用紙百枚ほどの小説を書いて渡したとのこと。卒業に間に合うように、慌てて書いたとのこと。クラスの子どもたちにも伝えたい、時をかけるエピソードです。

 

 さて、その先生の反応や如何に。

 

 購入して、読みましょう。