田舎教師ときどき都会教師

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大澤真幸、平野啓一郎 著『理想の国へ』より。憂国。労働時間の抑制なくして、理想の国なし。日本を愛するがゆえにこそ。

 これは、僕の「分人主義」の発想にもつながる話です。労働者としての比率が個人の中でどの程度の割合なのか。それが政治主体はじめ、消費主体、あるいは家族といるときの自分、恋人や友人といるときの自分・・・・・・など、私的な分人を圧迫してしまうと、政治行動も、無関心か、現状追認に陥ってしまう。ですからコモン化を考えるなら、労働時間を抑制して、政治参加する余裕を持てる社会にしていくところから始めなければならないでしょう。
(大澤真幸、平野啓一郎 著『理想の国へ』中公新書ラクレ、2022)

 

 こんにちは。安倍元首相が凶弾に倒れてからというもの、日本が「理想の国」どころか「カルトの国」へとひた走っていたことが明らかになって、ちょっとブルーです。やはり残業なんてしている場合ではありませんでした。無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、世界第三位の経済大国が「清廉潔白」のはずはなく、平野啓一郎さんが大澤真幸さんに話しているように《労働時間を抑制して、政治参加する余裕を持てる社会にしていくところから始め》ないと、闇がさらに深くなってしまいます。

 

 

 今は、ボロボロになっていく渦中にある。

 

 渦中で考える。

 

 

 大澤真幸さんと平野啓一郎さんの対談集『理想の国へ』を読みました。副題は「歴史の転換期をめぐって」です。転換期というのは、新型コロナウイルスのパンデミックやロシアとウクライナの戦争、そしてこの本が出されたときにはまだ表に出ていなかった「自民党政権と統一教会の癒着問題」など、私たちが様々なヤバイできごとの渦中にいるということを指し示しています。大澤さん曰く《しかし、その「できごと」がトータルな破局につながり得る事象であるときには、終わってから考えたのでは遅い。どうしても渦中で考えなくてはならない 》云々。学校でいえば、学級崩壊してから考えたのでは遅いということです。

 

 目次は以下。

 

 第一章 人類史レヴェルの移行期の中で
 第二章 平成を経て日本はどう変化したのか
 第三章 世界から取り残される日本
 第四章 破局を免れるために
 第五章 「国を愛する」ということ

 

 2019年1月から2022年4月までに行われた大澤さんと平野さんの4回の対談をもとに構成されています。冒頭の引用は第四章より。雲の上のお二人の対談ということで、どの章においても「古今東西」ありとあらゆるテーマに花が咲いていますが、特に、第三章を中心にその他の章でもしばしば言及されている三島由紀夫に関する「あーだよね、こーだよね」が印象に残りました。

 

 なぜ、あの三島がその三島になってしまったのか。

 

 これは第三章のサブタイトルにもなっている、大澤さんと平野さんに共通した問いです。あの三島というのは平野さんいうところの《あれだけの知識を持ち、作品を生み出した》三島であり、その三島というのは大澤さんいうところの《文化的であると同時に政治的でもあるテロを起こしてしまった》三島のことです。なぜ、あの三島がその三島になってしまったのか。パラフレーズすれば、理想の三島がなぜカルトの三島になってしまったのか。「なぜならば」の詳細は本文に譲りますが、変容のベースにあるのは、ズバリ、

 

 憂国です。

 

 三島は、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残ることを憂えていた。作家としての評価を思うように得ることができなくて、憂国の志士としての分人比率がどんどん高くなっていった。だから自衛隊を相手に決起を呼びかける演説を行った。しかし誰も聞き入れてくれなかった。

 

 こんな空気感だったのだろうな。

 

 先の参議院選挙の際、比例代表区に出馬していた作家・猪瀬直樹さんの街頭演説を見る機会に恵まれました。たまたま近くで用事があったので、昔からの読者というか「大ファン」としては見に行かないわけにはいきません。ちなみに、猪瀬さんの代表作のひとつである『ペルソナ  三島由紀夫伝』は、カルフォルニア大学バークレー校では必読文献になっています。猪瀬さんも、大澤さんや平野さんに負けず劣らず「あの三島」にも「その三島」にも詳しいということ。その猪瀬さんがこう言うんです。

 

 このままでは日本は沈没してしまいます。

 

 猪瀬さんも三島と同様に「憂国の志士」というわけです。そしてその呼びかけを、ロジックとパッションの詰まった呼びかけを、そこにたまたま居合わせた人たちが聞いているのかといえば、これがまた残念なことに、みなさん忙しいのか足早に通り過ぎていくんですよね。平野さんの分人主義の考え方でいえば、労働者としての比率が高すぎて政治主体となり得る私的な分人がゼロに近いのでしょう。道路公団民営化も成し遂げた「あの猪瀬」さんが語りかけているのに耳を傾けないなんて。おそらくは「あの三島」のときもこんな空気感だったのだろうな。

 

www.countryteacher.tokyo

 

三島由紀夫は、日本はどうなってもよいと言う人とは口を聞く気もしない、と言っていましたが、その気持ちはよくわかります。少なくとも、そういう主張に人を動かす力があるとは思えない。信用できるのは、ロシアを愛するがゆえにこそ、ロシアが誤った行動をとることを許せない、恥ずかしい、と感じる人です。

 

 第5章、大澤さんの発言より。大澤さんも平野さんも、今の日本は三島の憂え以上に悪い状況に置かれているといいます。日本はどうなってもよいと言う以前に、多くの人にとっては、日本がどうなっているのかすらよくわからないし、どうかなっていたとしてもどうすればいいのかよくわからないというのが実際のところでしょう。それくらい私たちの私的な分人は「長時間労働」に圧迫されているというわけです。カルトの国ではなく、理想の国をつくっていくためにも、

 

 まずは労働時間の抑制を。

 

 切に願います。