52ヘルツのクジラ。世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけれど、実際の姿はいまも確認されていないという。
(町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』中央文庫、2023)
おはようございます。昨日、1学期が無事に終わりました。ホッとしています。どれくらいホッとしているのかといえば、365日の中でいちばんといっていいくらいホッとしています。とはいえ、油断大敵。あまりにもホッとし過ぎたために、終業式の夜に発熱してそのまま10日間の隔離生活を余儀なくされたんですよね、1年前は。だから今年はホッとしつつも、村上春樹さんいうところの《歌はもう終わった。しかしメロディーは鳴り響いている》を意識して、戦闘モードを完全には崩していません。誰にも届かない歌声をあげ続ける「52ヘルツのクジラ」のように、誰にも届かないブログを書き続けることで油断を排しているというわけです。
届け。
町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』を読みました。2022年に本屋大賞をとった長編小説です。虐待を扱った作品と聞いていたので、二の足を踏んでいましたが、文庫化されたのを機に読んでみることにしました。読んで、よかった。メルヴィルの『白鯨』や、村上龍さんの『歌うクジラ』にも引けを取らない傑作だと思えたからです。何といっても、タイトルの「52ヘルツのクジラ」が、
よい。
52ヘルツのクジラというのは、冒頭に引用したように、誰にも届かない歌声を出し続けているクジラのことです。ヤングケアラーとして家族に搾取されているクジラしかり、虐待されているクジラしかり、性的マイノリティのクジラしかり。ネタバレになりますが、主人公の貴瑚(きこ)も、貴瑚のことを「キナコ」と名付けてかわいがってくれた、もと女性のアンさんも、母親から「ムシ」と呼ばれ、虐待されている中学生の少年も、みんな52ヘルツのクジラです。だから、
52ヘルツのクジラたち。
ダーレン・アロノフスキー監督の映画『ザ・ホエール』が、メルヴィルの『白鯨』を補助線に引くことでそのおもしろさを何倍にも高めているように、町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』もまた、52ヘルツのクジラという正体不明の種のクジラの存在を補助線に引くことで、作品としての魅力を何倍にも高めています。
ほんと、うまいなぁ。
52ヘルツのクジラたち。
程度の差こそあれ、教室にもいるんですよね、52ヘルツのクジラたち。そういう子に出会うたびに、自分は恵まれていたんだなって、そう思います。タバコの火を舌におしつけられたこともないし、理不尽に殴られたこともありません。ヤングケアラーとして働かされた記憶もありません。両親には、ただただ、貰ってばかりだったな、と。
「ひとというのは最初こそ貰う側やけんど、いずれは与える側にならないかん。いつまでも、貰ってばかりじゃいかんのよ。親になれば、尚のこと。でもあの子はその理が分かっとらんし、もう無理かもしれんねえ」
こども食堂を営んでいる登場人物の台詞です。換言すれば、近内悠太さんの『世界は贈与でできている』でいうところの《贈与は、差出人ではなく、受取人の想像力から始まる》ということでしょう。貴瑚(きこ)もアンさんも少年も、過酷な人生を送っているにもかかわらず、想像力が豊かで、《その理》が分かっているんですよね。それはいったい、
なぜなのでしょうか。
第一に、貴瑚が海の見える小さな漁師町に引っ越しをしたからです。そして第二に、そこで52ヘルツの歌声に耳を傾けてくれる他者に出会えたからです。
移動って、大事。
出会いも、大事。
村上龍さんの『歌うクジラ』に《生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ》とあります。もしかしたらこれは、52ヘルツのクジラたちに向けたメッセージだったのかもしれません。
最後にもう一つ。読み終えた後にブックカバーを外したところ、カバーの裏にスピンオフ作品の「ケンタの憂い」が載っていることに気付きました。そのまま本棚にしまってしまうところでした。
場所だけではなく、どんなひとと会ったかも、絶対大事だ。だって眞帆さんは、彼女の変化の要因のひとつになっているはずだ。
今夜は13年前の教え子たちに会います。当時は10歳。今は23歳になった子どもたち。あれからどんなひとに会って、
どう変わったのか。
楽しみすぎます。