田舎教師ときどき都会教師

テーマは「小学校教員の働き方と生き方」&「本、旅、人」

文科相の「身の丈」発言に思う、移動と、出会いのこと

大切なことを理解した。ぬくもりも音も匂いもない宇宙の闇の中で、気づいた。生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。
村上龍『歌うクジラ(下)』講談社文庫、2013)

 

 11月が近くなったら学芸会や研究授業の準備に追われて「働き方改革」なんて言っていられなくなるのだろうなぁと思っていたら予想通りの展開になって、フィジカルにもハードで風邪にもやられてちょっとというかかなりブルーです。厚生労働省の分類によると教師は専門職でありホワイトカラー(死語?)に色分けされるそうですが、感覚的には「限りなくブルーに近いホワイト」でそれって村上龍さんの処女作のタイトルみたいだしこの文体も初期の村上龍さんみたいになっているなぁなんて考えている今この瞬間から遡ること約一ヶ月、忙しさの予兆みたいなものを感じ始めた9月の半ば頃にその村上龍さんの数年前の作品で毎日芸術賞を受賞した長編小説『歌うクジラ』の上下巻を文庫で購入し現実逃避的に耽読しました。

 

 移動が、すべてを生み出すのだ。

 

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移動中。カンボジアのトレンサップ湖にて(01)

 

 昨日の萩生田文部科学大臣による「身の丈に合った受験を」発言は、いわゆる教育による社会移動(個人の社会的地位の移動)を軽んじているという意味で、憲法的にアウトかなぁと思います。

 殺人犯の子どもから裁判官の子どもまで、社会階層の異なる子どもを、教員という立場で「いやというほど」見てきたことから、教育は蜘蛛の糸のようなものであって、身の丈にかかわらず、否、家庭環境に恵まれない子どもにこそ、たっぷりと差し伸べられて然るべきものと思っています。現状でさえ「家族のかたち」には信じられないくらいの階層差があり、社会移動のチャンスはほとんどないのに。「身の丈に合った受験を」だなんて、その現状を改善すべき立場にいるリーダーの発言とは思えません。変形労働時間制の導入を盛り込んだ教職員給与特別措置法(給特法)改正案に続く、ぬくもりも音も匂いもない、闇のような改悪です。

 移動しなければ、出会いもないのに。そして、生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけなのに。

 

 

「出会いには2つしかありません。」

 

 身の丈と移動と出会いのことを考えていたら、以前、京谷和幸さんの講演会に足を運んだときに聞いた「出会い」に関する話を思い出しました。

 

車椅子バスケのJリーガー

車椅子バスケのJリーガー

 

 

 22歳のときに交通事故で脊髄を損傷し、車椅子生活を余儀なくされたもとJリーガーの京谷和幸さん。運命を変えた事故の後も、障害があるという「身の丈」なんて(おそらくは)考えることなく次の夢にチャレンジし、車椅子バスケットボールの日本代表として、シドニーアテネ、北京、ロンドンと4大会連続でパラリンピックへの出場を果たした立志伝中の人です。

 08年の北京大会では日本選手団の主将を務めるなど、道徳の教科書に載ってもおかしくないような「生き方」をしている京谷和幸さんが、実感を込めて、力強く、こう言うんです。曰く「出会いには2つしかありません」と。

 

「プラスの出会いとマイナスの出会です。」

 

 プラスの出会いとは、夢や希望など、前向きな話題で盛り上がることができるような人との出会いのこと。マイナスの出会いとは、面倒くさいとかうざいとか、むかつくなどの後ろ向きな話題でつるみたがるような人との出会いのことです。プラスの出会いを引き寄せるための最大のポイントについても話していました。それは「感謝の気持ちをもつこと」であり、感謝は「最幸」の武器である、とのこと。素敵な話だなぁって、講演会終了後、我が子にもクラスの子にもすぐにその内容を伝えました。いや~、やっぱり、道徳の教科書にイチオシだなぁ。

 

 最幸の武器を手に。

 

 萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言は、憲法的だけでなく、道徳的にもアウトだと思います。小中学校の道徳に「身の丈に合うように生きろ」なんていう内容項目はありません。節度、或いは節制か(?)とも思いましたが、違います。やはり、単なる「失言」というか「本音」なのでしょう。

 

 すべての子どもたちに社会移動のチャンスを。
 

 歌うクジラのように。

 

 

歌うクジラ(上) (講談社文庫)

歌うクジラ(上) (講談社文庫)

 
歌うクジラ(下) (講談社文庫)

歌うクジラ(下) (講談社文庫)