田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

映画『今宵、212号室で』(クリストフ・オレノ監督作品)より。何かなぁ、この手は。愛は思い出の上に築かれる。

 人々が行き交うモンパルナスの通りを、マリアが少しだけ顔を上げて歩く。流れるのは、シャルル・アズナヴール。これを映画と呼ばずなんて呼ぶのだろう、と胸がいっぱいになる。そうだ、素敵な人がいれば堂々と振り返ればいい。いまを踏みしめながら生きるということは、目に映る素敵なものに素直に反応しながら生きるということ。もっと自由に生きろ、と背中を押されているようで、どんどん心が解放されていく。
(映画パンフレット『今宵、212号室で』ビターズ・エンド、2020)

 

 こんばんは。スクリーンに映るモンパルナスの通りには、マスクをつけた人が一人もいなくて、何だか胸がいっぱいになりました。そうだ、以前はマスクなんてつけなくてもよかったんだ。これからは映画を観るたびにそう思うのでしょうか。上映中も原則としてマスク等を着用してください、座席は1席空けてくださいって、これではデートも盛り上がりません。隣に座った女の子に「何かなぁ、この手は」なんて言われてドギマギする男の子も過去のものになってしまいます。恐るべし新型コロナウイルス。今宵はいったい何人の感染者を生み出しているのでしょうか。

 

 

 先日、クリストフ・オレノ監督の『今宵、212号室で』を観ました。映画の舞台となっているのは、パリのモンパルナス通りにあるアパルトマンと、その向かいにあるホテルの212号室です。冒頭の引用は、パンフレットに収められている、ライターの古谷ゆう子さんによるもので、映画のオープニングの様子とともに、クリストフ・オレノ監督いうところの《この映画は、自由な女性の肖像のようなもの》というテーマをよく表わしています。そうだ、ソーシャル・ディスタンスを保っているのであれば堂々とマスクを外せばいい。ではなく、そうだ、素敵な人がいれば堂々と振り返ればいい。

 

 もっと自由に生きろ。

 

 もっと自由に生きた結果、マリアは結婚して20年になる夫リシャールの怒りを買うことになります。夫と距離を置くため、マリアは一晩だけアパルトマンの真向かいにあるホテルの212号室へ。喧嘩の原因はマリアの浮気。冬時間のパリにはよくある話です。

 

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 冬時間のパリに恋の魔法はつきものですが、今宵の212号室には愛の魔法がかかっていて、マリアは驚くべき一夜を過ごすことになります。窓越しに夫の様子を眺めるマリアのもとに、20年前の夫が現れ、さらには結婚後に関係をもった元カレたちも次々と現れ、さらには夫の元恋人も現れって、何なんだこの映画は。そんなファンタスティックなドタバタ劇を通して、それぞれの過去が描かれ、ありえたかもしれない別の相手との別の未来も描かれ、マリアとリシャールの現在がどのようなものの上に築かれた「いま」なのか、軽妙洒脱なタッチで描き出されていきます。

 

愛は思い出の上に築かれる。

 

 台詞がいちいち大人で、さすがフランス映画です。クリストフ・オレノ監督は、古谷ゆう子さん曰く《言葉の人》とのこと。そしてオレノ監督のつくる映画はいつだって文学的であると同時に音楽的であるとのこと。マリアは大学教授で、アパルトマンには大人の蔵書がずらり。リシャールはピアノを嗜み、大人のメロディーをさらり。そういったところも見どころです。

 

愛ってずっと過去。

 

 恋ってずっと現在。いや、未来でしょうか。映画にもなった『目下の恋人』に《一瞬が永遠になるものが恋》&《永遠が一瞬になるものが愛》と書いた小説家の辻仁成さんが、やがてパリを拠点に創作活動をするようになったのも、おそらくはフランスのそういった「大人なところ」に惹かれたからでしょう。「結婚生活はどう?」と尋ねつつ復縁を迫る元恋人に向かって、リシャールが呟く次の台詞も「大人」すぎます。

 

多少の契約違反はあったが、問題ないよ。それに違反は、マリア一人だけの責任じゃない。

 

 目指す児童像ならぬ、目指す大人像です。ちなみに主役のマリア役を演じたキアラ・マストロヤンニ(♀、1972ー)と、その夫リシャール役を演じたバンジャマン・ビオレ(♂、1973ー)は元夫婦です。お子さんもいます。元夫婦の共演って、撮影現場ではどんな感じなのだろうなぁ。

 

撮影中にキアラは一人でよく笑い転げていました。どうやら彼らの夫婦関係は映画とは真逆だったみたいでね(笑)。それに、バンジャマン扮するリシャールが料理したり洗濯したりするシーンでは、実際のバンジャマンはそういうことをしなかったようで、キアラは元夫が主夫を演じる姿を見て爆笑していました(笑)。

 

 オレノ監督のインタビューより。映画でもリアルでもみんな大人です。さすがフランス。日本標準(テストではありません)がこうなるには、あと何年かかるのでしょうか。

 

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パンフレット

「何かなぁ、この手は」

 

 そんな野暮なことは言いませんでしたが、かつて5年生を教えていたときに、授業中に手を繋いでいる男の子と女の子がいて、おいおいって思ったことがあります。目下の恋人だったのでしょう。6年生のときにも担任したその女の子は、いま、これがまたおもしろいことに、パリではありませんが、フランスの高校に通っています。マリアのように知的で、そして自由な感じだった彼女もまた、彼の地の「大人なところ」に惹かれたのでしょうか。

 

 事実は映画より奇なり。  

 

 おやすみなさい。

 

 

目下の恋人 (光文社文庫)

目下の恋人 (光文社文庫)

  • 作者:辻 仁成
  • 発売日: 2005/07/12
  • メディア: 文庫