田舎教師ときどき都会教師

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ブレイディみかこ 著『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』より。補償なき自粛要請も、代休なき土曜授業も、おかしい。

① 労働者が闘う労働者を侮蔑して妨害した時代から、
② 労働者同士が団結して闘う時代に移行し、
③ 別の問題で闘っている団体とも協力する時代が訪れ、
④ 労働者たちが社会には様々な問題があることを知覚できるようになり、ユナイトしてすべての人々の権利のために闘うようになる。

 これが英国の労働運動史の漸進の歴史だとしたら、わたしが上野の仲町通りで見たものはどこにあたるのだろう。
 日本の労働運動は、ひょっとするといま、①の状態なのではないか。
(ブレイディみかこ『THIS IS JAPAN  英国保育士が見た日本』新潮文庫、2019)

 

 こんばんは。昨日は土曜授業でした。日曜日の夜になっても疲れがとれず、日本の労働運動はひょっとするといま①の状態なのではないかって、ブレイディみかこさんでなくてもそう思ってしまいます。そしてもっと違う設定で、もっと違う関係で働ける世界線を選べたらよかったって、髭ダンのファンでなくてもそう思ってしまいます。いわんやファンをや。法令違反の可能性も指摘されている、代休なしの土曜授業。しかも隔週。休みの日も家族で生活できないような世界線では、道徳の内容項目でいうところの「家族愛」だって育めません。同じく土曜授業だった高校生の長女もぐったりしています。これが法治国家の日本なのでしょうか。

 

 IS THIS JAPAN?
 THIS IS JAPAN!

 

 

 ブレイディみかこさんの『THIS IS JAPAN』を読みました。英国保育士の著者が「わたしに会ってください&使ってください」というタイトルのエントリをブログに公開したことがきっかけとなって誕生したルポタージュだそうです。その呼びかけに応えたのは、貧困者支援、母子支援、子ども支援、非正規労働者支援などの分野で働いている、英国でいうところのグラスルーツ、いわゆる草の根の活動家たち。英国を地べたから見つめ続けてきた著者に、労働運動にまつわる日本の世界線はどのように映ったのでしょうか。

 

 日本では「アフォードできない(支払い能力がない)人々」には尊厳がない。何よりも禍々しいのは、周囲の人々ではなく、「払えない」本人が誰より強くそう思っていることで、その内と外からのプレッシャーで折れる人々が続出する時代の到来をリアルに予感している人々は、「希望」などというその場限りのドラッグみたいな言葉を信用できるわけがない。

 

 支払い能力がないというところを金銭ではなく時間に置き換え、残業が常態化している学校に当てはめると、育児や介護などのために「アフォードできない(居残り能力がない)先生」には尊厳がない、となります。本来であれば労働運動などを通して残業の常態化にこそメスを入れるべきところですが、冒頭の引用でいうところの①の状態にある日本社会にはそれが期待できず、何よりも禍々しいのは、「残れない」本人が「迷惑をかけて申し訳ない」って、誰より強くそう思わされてしまうことで、実際、その内と外からのプレッシャーで折れてしまった同僚をたくさん知っています。

 そもそも教員の仕事が定時で終わるシステムになっていないのはおかしい。残業代は出さないけど45時間までは残業をするようにってそれもおかしい。そう思っている人と、その「おかしさ」を全く知覚できない人が職場に混在していて、社会にも混在していて、冒頭の引用でいうところの②には移れそうになく、だから個人としては「定時退勤」や「業務の精選」を通してミクロに闘い続けるしかありません。それが日本の地べたでの闘い方です。社会全体は変えられなくても、自分のいる学校だけだったら変えられる(こともある)。

 

 とはいえ、マクロからも何とかしてほしい。

 

 ミクロからマクロに向かわない考え方に慣れると、生活に根ざした問題を政治に結びつける思考回路が失われてしまいそうだ。

 

 ミクロが地べたで、マクロが政治です。変形労働時間制の導入に反対する署名活動を展開した現職教員の斉藤ひでみさんや、残業が常態化しているのに残業代が支払われないのは違法だとして県を相手に訴訟を起こしているもと教員の田中まさおさんには、英国を含む西欧的な人権感覚があるのでしょう。地べたをまともなものにするのは国家の役割であるというミクロからマクロに向かう人権感覚です。産業革命で労働者を「モノ」として扱い、《非人道的なディストピアをつくりだした経験》をもつ英国では、その感覚が特に強い。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 日本 → 権利と義務をセットで国民がもつ。
 英国 → 権利は国民が、義務は国家がもつ。

 

 草の根の活動家のひとりとして登場する、自立生活サポートセンター「もやい」理事の大西連さんは、英国を含む西欧と日本の人権感覚の違いについてそう語っています。補償なき休業要請や代休なき土曜授業がまかり通るのは、この違いによるものかもしれません。以前のブログに「自力で生活できない人を政府は助ける必要があるかという問いに対して『ない』と答えた日本人が世界47ヵ国の中で断トツに多かった」という話を載せましたが、その反応も典型です。国家の失敗を自己責任に転換するディストピア、これが日本だ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 ディストピア的な側面があるとはいえ、英国のような階級が存在しなかったり、格差はあってもほとんどの国民が中流意識をもっていたりと、おとぎの国のように映ることもある日本。エピローグとして収められている「カトウさんの話」には、ホームレスのカトウさん(♂️、60歳くらい)が、世田谷区の自主保育の子どもたちと一緒に遊ぶエピソードが紹介され、見学していた著者が《得体の知れない感情が湧き上がってきたのでわたしは視線を前方に移した》というシーンが描かれています。英国の目指す包摂と多様性を一部ナチュラルに実現しているユートピア、これも日本だ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 

 明日も授業(6時間)です。

 

 THIS IS JAPAN!

 

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
 
保育園を呼ぶ声が聞こえる

保育園を呼ぶ声が聞こえる