田舎教師ときどき都会教師

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神保哲生、宮台真司 著『増税は誰のためか』より。未来のために、教育にお金を。

日本では、小中学生の「塾通い現象」が広がるのが1970年あたりで、75年頃から家計における教育費が増えてきます。この時期に進んだ「日本的学校化」のメカニズムは、どう考えても社会貢献的動機を欠いているんです。「学校化」とは、成績という一元的な尺度で、家族や地域や社会全体が覆われてしまうことを指しますが、そこには他人を助けるとか社会に貢献するという動機付けがありません。
(神保哲生、宮台真司『増税は誰のためか』扶桑社、2012)

 

 こんにちは。「教育は票にならない」。「私がそのエビデンスです」。09年から11年まで文部科学副大臣を務めていた「すずかん」こと鈴木寛さんの言葉です。笑いの渦とまではいかないものの、会場となっていた本郷キャンパスの教室がやわらかくなったことを覚えています。18年、東京大学で行われた「五月祭教育フォーラム」での話です。

 

 私がエビデンスです。

 

 エビデンスというのは、13年の参院選(東京選挙区、改選数5)のことです。鈴木寛さんの落選の報に、まともな教員なら「えっ?」と思ったのではないでしょうか。当時、文教予算が増えていましたからね。Wikipedia の「鈴木寛」のページには《文教予算の増額を進めたため、平成24年予算は戦後初めて文部科学省予算が国土交通省予算を上回った》とあります。

 

 なぜ日本の公教育費は少ないのか。

 

 そんな題名の本が出されてしまうくらい教育にお金をかけない国にあって、鈴木寛さんは希望の星だったのに。教育は票にならない。ちなみに教育学者の中澤渉さんによる『なぜ日本の公教育費は少ないのか』には、《つまり国民負担増抜きの福祉・教育サービスの充実の議論は考えられない、という現実を直視しなければならない》とあります。要・増税。

 

 

 神保哲生さんと宮台真司さんの『増税は誰のためか』を再読しました。ニュース専門インターネット放送局の「マル激トーク・オン・ディマンド」を書籍化した、シリーズものの9冊目です。ゲストに名前を連ねているのは、神野直彦さん、高橋洋一さん、野口悠紀雄さん、波頭亮さん、大野更紗さん、そして武田徹さんです。初版は2012年で、当時の消費税は5%。税は国の根本にかかわる重大な問題であり、神保さん曰く《それぞれの国のあり方や考え方が税制に色濃く反映されている》のだから、この先8%、10%と税率が上がっていくにあたって、その増税は誰のためなのかを考えなければならない。 そういった議論の材料となった一冊です。

 

 増税を教育のために。

 

 県をまたいで田舎の小学校で働いたり都会の小学校で働いたりすると、お金のある県とお金のない県の差に驚きます。単純に教員の数が違う。例えば音楽や図工などの専科の先生がゼロの学校もあれば、音楽図工家庭に加えて理科や英語の専科までいる学校もあります。中には国語小単元専科などという「枠」のある学校もあったりします。義務教育なのにまったく公平じゃない。図工の専科がいるだけで担任の労働時間は週当たり3時間ほど少なくなります。自治体にお金があれば、その3時間を別の業務にあてられるというわけです。

 担任以外の職員の数も違います。例えばお金のない自治体では、1人の栄養士が3つの小学校をかけもちすることもざらです。3人分の仕事を1人で行うわけですから、無理が生じます。その無理をカバーするのは担任です。定額働かせ放題ですからね。そういった学校に勤めていたときには、給食の食材の発注も勤務時間外に「自発的に」行っていました。桁を間違えたりすると面倒なことになるので、時間がかかります。神経も使う。ダブルチェックやトリプルチェックは当たり前。チェックするのも担任。神保さんはこう言います。

 

 分配論から始まって、最後は教育の話に行き着きましたね。やっぱりそういうところから変えていくしか、日本を変えていく手立てはないということでしょうか。

 

 教育にお金をかけて日本を変えていくしかないのに、消費税が上がったからといって、教員の数が増えたわけでも、40人学級が30人学級になったわけでもありません。増えていくのは予算でも教員でもなく、英語やプログラミング、キャリア・パスポートなどの「するべきこと」ばかり。少なくとも、ここ数年の増税は、教育のためではなかったようです。

 

 教育は票にならない。
 だからお金も来ない。
 

 波頭さんが《ただ、幸か不幸か、日本は近年はずいぶんと教育を軽視している国なので、教育によって生産性を上げられる余地は大きいと思います》と発言しているものの、余地はあっても軽視が続いて予算が投入されないために不幸が続いています。エアコンすら自由に使えなかったり、そもそも設置されていなかったりする学校もあります。生産性という概念の予兆すらありません。宮台さんいうところの《他人を助けるとか社会に貢献するという動機付け》も相変わらず厳しいまま。日本的学校化のメカニズムはますます進み、塾通いの子を含め、正しさよりも損得に反応する子が増える一方です。本の中に出てくる「自力で生活できない人を政府は助ける必要があるかという問いに対して『ない』と答えた日本人が世界47ヵ国の中で断トツに多かった」という話は、おそらく今も当てはまるでしょう。

 鈴木寛さんがゲストとして登場する別のマル激本『教育をめぐる虚構と真実』に、宮台さんは次のように書いています。

 

 先進国標準の社会的包摂という観点からいえば、百ます計算で計算能力がつくのも大事だけど、素敵な友だちや性的パートナーがいること、愛によって永続する関係性を獲得することのほうが、ずっと重要です。ひとりさびしく死んでいくことの恐ろしさを伝えることのほうが、はるかに大切です。このあたりまえが通用しないのが、昨今の日本です。

  

www.countryteacher.tokyo

 

 あたりまえが通用するようになるためにも、教育にもっとお金をかけてほしいなぁ。専科の先生が増えるだけでもだいぶ違うのになぁ。分散登校で一クラスの人数が少ない状態を経験した担任は、これがデフォルトになればもっとよい教育をすることができると思っているに違いないのになぁ。

 増税はイヤですが、中澤渉さんは《日本人の国民負担はその経済規模に比して著しく少ないと言ってよい》と書いているし、神保さんも《と同時に、日本の国民負担率の約4割というのは、先進国の中ではアメリカに次いで低い水準だということも、意外と多くの方が知らないのではないか》と書いています。増税したなら、或いは増税するなら、適切に分配して教育と福祉に使ってほしい。

 

 増税は誰のためか。

 

 未来のために。