田舎教師ときどき都会教師

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西成活裕 著『シゴトの渋滞学 ―ラクに効率を上げる時間術―』より。30人学級よりも、専科の先生を増やしてほしい。

 仕事の動きに臨機応変に対応するためには、渋滞を解消するためにクルマとクルマの車間距離をあけたように、スケジュールとスケジュールの合間も「車間距離」をあけて、仕事の安全運転をしておくべきなのです。
 われわれのやっている新しい渋滞研究は、このように「車間距離」に注目して渋滞現象を捉えています。
 充分な車間距離は、クルマの連なる流れに「安定」をもたらすからです。
(西成活裕『シゴトの渋滞学 ―ラクに効率を上げる時間術―』新潮社、2013)

 

 こんばんは。今朝、西成活裕さんの『シゴトの渋滞学』を持って駅へ向かったところ、改札に人だかりができていて、嗚呼。人身事故です。朝やろうと思っていたことがわんさかあったのに。

 とりあえず勤務校に連絡しようと思って電話をしたら「働き方改革」のために「時間外」でつながらないし、静かに本を読んで待っていようと思ったら、駅員へのクレームなのか、或いはケンカをおっぱじめたのか、ホームの少し離れたところから男性の怒号が聞こえてきて怖すぎるし、10月5日は「教師の日」じゃなかったのか(?)。もしかすると「今日死の日」か(?)。笑えません。結局、復旧するまでに1時間半近くホームで待つ羽目になって、遅刻。月曜日の朝からスケジュールはぐちゃぐちゃです。

 

 

 電車を待ちながら、途中、怒号を聞きながら、西成活裕さんの『シゴトの渋滞学』を再読しました。タイムリーな内容だなぁ。例えば《しかし、やはり限界ギリギリまでの労働というのは、何かが起きたときに非常にモロいものなのです》なんて、今朝の状況にピッタリです。それから、学校現場にもピッタリ。学校現場には、特に専科の先生がゼロの学校現場には、渋滞学でいうところの「車間距離」が見当たらないからです。

 

 渋滞学。

 

 わずか8台の車を投入することによって、高速道路の渋滞を解消することに成功したという、西成さんの実験チーム。その成功のロジックとは、その8台が「車間距離をあけて運転したから」というもの。たったそれだけのことで渋滞が改善できるなんて。その渋滞学の「知」を時間術(仕事術)に応用したのが『シゴトの渋滞学』です。もと教員の丸山瞬さんが書いた『職員室のモノ、1t捨てたら残業へりました!』 をもじれば、

 

 仕事のスケジュール、30分空けたら残業へりました!

 

 そんなところでしょうか。西成さんは《8時間働くなら2時間余裕を》といい、そのために時間割をつくりましょう、と提案します。曰く《私が自分の研究の時間を組み立てる場合には、90分から2時間ほど集中したあとには約30分間の休憩を入れるようにしています》とのこと。授業を2コマやったら30分休憩。無理だなぁ。30分どころか、法律で定められた45分の休憩時間すら全国平均で1分(小学校)しかとれていないというのに。

 

 ただ、私のような研究業務においては有効ではあっても、東京大学の事務仕事の現場において「二時間勤務のあとに三十分間の休憩の間隔を取りましょう」という時間割は、勤務の実態にはまるで即していません。
 そのため、例えば「二時間はAの仕事、二時間はBの仕事、二時間はCの仕事、二時間はDの仕事」と一日に四種類の仕事ができる時間割のうちのいずれかの一単位、例えばCの仕事の時間を職場で誰か一人でも「ゆとりの時間」にしてみませんかと提案をしているのです。

 

 となると、やはり専科の先生が必要ですね。少し前にニュースになっていた30人学級の実現、それも10年かけての実現よりも、理科と音楽と図工と家庭と外国語に専科の先生を入れてもらったほうがよほどいい。授業と授業の合間の「車間距離」をあけることができて、担任は安全運転で仕事をすることができるからです。もちろん「空きコマ」は「休憩」ではないですが、一息つけるのは間違いありません。専科の先生がいる学校と専科の先生がいない学校の両方で働いた経験から、専科の先生がいる学校の方が、渋滞学的な意味で確実に働きやすいといえます。

 子どもたちだって月火水木金とずっと同じ先生に見てもらうよりも、多くの先生に見てもらった方がしあわせでしょう。高学年からの教科担任制という話もありますが、教科担任制は小学校の強みである「教科の時間枠をフレキシブルに使える」ということを放棄してしまうことになるし(石川晋さんがブログに書いていました)、学級担任としての喜びも薄れてしまうことになるので、う~ん、いまいちかなぁと思います。渋滞学の知見に則れば、専科の先生を増やした上で、30人学級に移行する。それがベターではないでしょうか。

 

 もちろん、お金があれば、の話。

 

 道路交通においての渋滞は、日本の国内だけで年間に十二兆円もの経済的な損失をつくり出していると言われています。十二兆円という金額は日本の一年間の国家予算の約七分の一にものぼっています。

 

 学校現場においてのシゴトの渋滞も、おそらくはそれくらいの金額の損失をつくり出しているような気がするんですよね。だって授業準備すらままならず、まともな睡眠時間をとることすらできない先生たちが、「先生死ぬかも」なんて想いながら使命感のみでフラフラな状態で教壇に立っているわけですから。子どもという未来への投資が十分に機能しているとは思えません。

 

 30人学級よりも、専科の先生を増やしてほしい。

 

 おやすみなさい。

 

 

渋滞学 (新潮選書)

渋滞学 (新潮選書)

  • 作者:西成 活裕
  • 発売日: 2006/09/21
  • メディア: 単行本