田舎教師ときどき都会教師

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西田亮介 著『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』より。ぶっちゃけ、誰が公教育を動かしているのか?

 その反動と、教育権より学習者中心の学習権が大事だということで、ゆとり教育と呼ばれる、子どもの創造性、自由度、主体性を増やす路線へと舵を切ることになりました。「学力の低下を生む」として評判のよくなかったゆとり教育ですが、実際には学力低下は観察されていないどころか、一部の項目においては改善されたことが知られています。
 しかしゆとり教育批判は根強く、近年の学校教育は、学習時間を延ばす方向に変わっていっています。教科書も再び分厚くなっています。
(西田亮介 著『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』日本実業出版社、2022)

 

 こんにちは。ようやくGWにたどり着きました。あまりの忙しさに体調不良を訴える職員が続出した4月。途中、担任が3人休んだ日もありました。勤務先の小学校は全学年2クラスなので、割合にすると25%です。学級だったら閉鎖のレベル。担任が不在だったり疲弊していたりするのだから、当然「学力の低下を生む」として批判されるべき事態です。なぜそんな事態になっているのかといえば、単純に、授業(+授業以外の仕事)が多すぎるからでしょう。批判すべきはゆとり教育ではなく、膨れ上がった標準時数というわけです。平日の6時間授業も、代休なしの土曜授業も、いらない。高学年であっても、平日5時間で十分。そもそも授業準備のための時間が1コマ5分(司法判断)しかとれないなんて、システムとして終わっています。一人の担任が週に30コマ近くもつのもおかしい。ぶっちゃけ、

 

 誰が学習時間を延ばす方向に変えていったのか教えてください。

 

 

 西田亮介さんの『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』を読みました。サブタイトルは「17歳からの民主主義とメディアの授業」です。政治だけではなく、メディアだけでもない。その2つがセットになっているところが、タイトルと同様にユニークな入門書です。高校生の長女に勧めよう。中学生の次女にも勧めよう。読み終えたときにそう思えた一冊でもあります。

 

 章立ては、以下。

 

 講義1  ところで、国は誰が動かしているんですか?
 講義2  自由民主主義は誰が選んだんですか?
 講義3  ちなみに、自由ってなんですか?
 講義4  メディアと政治の本当のはなし
 講義5  私たちは政治にどうコミットしていくのか

 

 冒頭の引用は講義3からとったものです。子どもも自由だとは感じていないんじゃないでしょうか(?)という質問に対して、西田さん曰く《すばらしい質問ですね。ぼくも子どもの頃、ずっとそう感じていました》という回答から「学校生活と自由」についての話が始まります。

 

 日本では、詰め込み教育の弊害による「ゆとり教育」などもあって以前と比べて短くなったとはいえ、子どもは学校で長い時間をすごしています。それゆえ学校的なものが生活に占める時間、生活を支配する割合はとても大きい印象です。

 

 標準時数を減らせ(!)という話はさておき、どの講義も、編集者がつくってくれたという素朴な質問に、西田さんが答えるという「一問一答形式」で記述されています。各講義につき、質問が4~13。この質問の前には「女性やLGBTQの自由について教えてください」とあります。女性もLGBTQも子どもも、そして教員も、

 

 自由を感じていない。

 

 昨年末、西田さんと寺脇研さん(元文部官僚、ゆとり教育の旗振り役)の対談を聞きに行ったときに、うろ覚えですが、西田さんが「給特法はヤバイ」というようなことを口にした場面がありました。給特法というのは「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」のことで、簡単にいえば「教員には時間外勤務手当を支払わなくてOK、労働基準法を適用しなくてもOK」という法律です。普通に考えて、

 

 ヤバイ。

 

 ヤバイのに、変わらない。変えられない。2021年11月の教員調査によれば、小学校の教員の1ヶ月の平均残業時間は、持ち帰り仕事を含めると95時間30分とのこと。対談では、この数字のヤバさも、それから西田さんが感じているヤバさも寺脇さんには伝わっていないような気がして、モヤモヤしました。そんなに残業していたら、しかも無賃で残業していたら、ゆとりはもちろんのこと、自由なんて感じられません。では、どうすればいいのか。どうすれば給特法を抜本的に改善することができるのか。

 

 ぶっちゃけ、誰が公教育を動かしているのか。

 

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 国にしろ、公教育にしろ、自由民主主義国家の「べき論」でいえば、動かしているのは「一人ひとりの国民」です。西田さんも「おわりに」にそう書いています。しかし《歴史的な経緯の中で国民の関心は全体的に低下している》とのこと。国や公教育を動かしているという自覚が一人ひとりの国民から失われつつあり、べき論がべき論として成り立たなくなってきているということです。国民が関心を失えば、給特法を含め、統治権力のやりたい放題になってしまう。だからこそ『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』のような「政治+メディア」の入門書を世に送り出す必要があったのでしょう。担任が、学級通信を発行して、子どもたち一人ひとりに、或いは保護者一人ひとりに、当事者意識を促すのと似ているかもしれません。

 

 野党が主張するような増税や分配を中心にする政策もわからなくはないんですが、それらは政府や政党に対する信頼が高くないとできないですよね。その点が、決定的に軽視されている印象です。
 なぜかというと増税や分配を中心にする政策は「自分が稼いだカネの多くを国に持っていかれても、国が自分に対して十分リターンを出してくれることを期待、信頼できる」ことが前提になっているからです。持っていかれた分だけリターンを返してくれる、と政府を信頼できないと支持できないですよね。

 

 講義5より。ここ、いちばん勉強になりました。和田靜香さんの『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』に書かれている《増税を拒否し、減税に喜びながら、実は自助に追い込まれてきた》に共感を覚えていたからです。

 

 減税よりも、増税。

 

 そう簡単な話ではなかった、ということです。増税して教育がよくなるという未来には、まだ期待できそうにない。高い税金が教育の質を担保している北欧諸国のようにも、なりそうにない。現場の教員にできることは、給特法の改善に希望を残しつつ、仕事を精選するしか、ない。

 

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 ぶっちゃけ、来週の月曜日と金曜日にそれぞれ6時間ずつ授業が入っているので、GWの気分はほとんどありません。学校によっては、運動会の代休を前倒しして月曜日を休みにしたり、両日の5・6時間目をカットして、子どもにも大人にも負荷がかからないようにしたりしているところがあるようです。

 

 つまりは、現場次第。

 

 なんとかしたい。