寺脇さんは、若い頃から破天荒な人だった。「俺はB級映画評論家だ。映画評論だけでは食えないから、役人やってるんだ」なんてことを言っていたのを覚えている。しかし、こうした衒奇的な言辞とは裏腹に、正しいと信じる政策を進めるときはなりふり構わぬところがあった。毎朝きちんと出勤するわけではなく、神出鬼没とでも言おうか、どこで誰に会って何を企てているのやら、まったく分からない。役人の規格を大きく外れた存在だった。
(前川喜平『面従腹背』毎日新聞出版、2018)
こんばんは。今日は3月11日です。9年前の東日本大震災のときには、かつてお世話になった初任校(先生たち、教え子たち、地域の人たち)のことが気になって気になって仕方ありませんでした。電話もネットもつながらないし、ニュースを見れば火の海になっているし。3年間住んでいたアパートなんて、大家さんが「プライベートビーチつき」&「漁火が見える部屋」を売りにしているくらい海が近かったし。そもそも漁師町だから海のそばで暮らしている教え子がたくさんいたし。
ソワソワして、何も手につかない。
ここではないどこかに心を持っていかれてしまったような、あのときの落ち着かない感覚は、今でもよく覚えています。
落ち着かない感覚が毎日のように続くとしたら、勉強どころではないですよね。家に帰ったら母親がいなくなっているかもしれないとか、血の繋がっていない父親がお酒を飲んで暴れ回っているかもしれないとか。家庭や地域に居場所のない子どもは、震災や疫病のときに誰もが感じるような「落ち着かなさ」と、日々、闘っているに違いありません。元文部科学省の寺脇研さんと前川喜平さんが企画を務めた、映画『子どもたちをよろしく』(隅田靖 監督)を観ると、そのことがよくわかります。
子どもたちをよろしく。
先日、隅田靖監督の『子どもたちをよろしく』を観てきました。神出鬼没の寺脇研さんが、面従腹背の前川喜平さんとともに Facebook で猛烈に推していた映画です。
タイトルがあまりにもタイムリーですよね。臨時休校になった学校の先生たちの多くがそう思っているのではないでしょうか。「子どもたちをよろしく」って。しかし、そんな先生たちの思いをあざ笑うかのように、この映画には「学校」が出てきません。いじめを描いているのに、学校は描かない。制服を着た中学生を描いているのに、学校は描かない。家庭環境や地域社会のひどさはこれでもかっていうくらい描いているのに、学校は描かない。描こうとしていない。それがこの映画のレーゾンデートルです。
なぜ学校を描かないのか。
なぜなら、子どもたちを育てるのは学校だけではないからです。劇場用パンフレットには次のようにあります。役人の規格を大きく外れた寺脇研さんの言葉です。
(前略)学校というものは、学校の中ですべてが解決できる、また解決しようと考え、それが教員の忙しさにもつながってます。生涯学習側の私からすると、その思い上がりをやめてくれ、子どもたちを育てるのは学校だけではない、家庭や地域の教育力をバカにしないで欲しいという思いがずっと私の中にはありました。
ですから、この映画にも学校は出さないでおこうと思っていました。
家庭や地域の教育力をバカにしているわけではありませんが、家庭や地域の教育力が届かないところがあるのは確かです。前川喜平さんの言葉を借りれば《権力から最も遠いところ、国や行政の手が及んでいないところ》です。虐待されている子もいるし、血縁関係のない大人のもとをたらい回しにされているような子もいます。映画には、性的虐待を受け自らを「汚れた存在」と思い込んでしまい風俗産業に身を沈める少女が登場しますが、ある程度いろいろな地域で教員をやっていれば、現実として、しばしば「あるある」の話だと思います。
では、そういった子どもたちを学校や児童相談所だけで何とかできるのか。そう問われれば、経験上、できませんと答えざるを得ません。だから寺脇研さんは《地域が第二の学校になれ》といいます。曰く《学校中心一辺倒の考え方は、よくないな》と。
そこを何とかしたいと、学校5日制の発足と同時に放課後教室とか土曜教室とか、学校以外の居場所を作ろうとしたのも、そうした思いからです。
教師ががんばればがんばるほど、子どもたちが教師に依存してしまって自立心が失われてしまうのと同じように、学校ががんばればがんばるほど、地域が学校に依存してしまって「学校以外の居場所」や「学校以外の価値観」がなくなってしまいます。いわゆる共依存の関係です。おそらくはそれが家庭や地域の教育力をバカにしていると映るのでしょう。
だから今回の臨時休校は、家庭や地域の役割をクローズアップし、学校とのバランスを問い直すという意味で、絶好のチャンスかもしれません。この映画がこのタイミングで公開されているのも、きっと何かの意味があるのでしょう。子ども食堂のような「地域発」の取り組みが、ひとつ、またひとつと、生まれてくるかもしれません。
初任校のあった小さな漁師町には、すべての子どもたちを「私たちのこどもたち」として見ていた大人が多かったように思います。だから学校では、安心して授業だけに力を注ぐことができました。自分たちの地域でできることは、自分たちでやろう。そして明るい未来を開拓しよう。そんな地域が増えれば、寺脇研さんも前川喜平さんも安心してこういえるのでしょう。
子どもたちをよろしく。
パンフレットも、是非。