政治家をどう選ぶかは人それぞれですし、勘と印象に頼る人がいてもよいでしょう。ですが理性的な立場から選ぶためには、何らかの手がかりが必要でしょう。現在の政治教育ではそのための手がかりを基本的には提供できていないのではないでしょうか。
政治と教育に日本独特の事情があるということは理解できます。しかし、それによって起きることは、義務教育終了時点、もしくは高校卒業時点で、政治について現実問題として何が起きているかを把握する術は、ほとんどないということです。政治の側を批判的なまなざしで見つめ直す術も持ち得ません。学習してきた理論から大きく離れた事態を目にして、いきなり「投票してください」と言われるのです。
(西田亮介『なぜ政治はわかりにくいのか 社会と民主主義をとらえなおす』春秋社、2018)
こんばんは。先週の火曜日の夜にゲンロンカフェを初体験してきました。学期末でめちゃくちゃ忙しい時期でしたが、1ヶ月くらい働きっぱなしでメンタルがやられかけていたので、心の声に従いました。従って、正解。年休を取り、いざ、ゲンロンカフェのある五反田へ。
ベタな話ですが、五反田というと、村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』に登場する五反田君を思い出します。五反田君も心の声に耳を傾けていれば、死を避けられていたかもしれません。ストレスを抱え、ゆとりのないまま意に反して働き続けるのはよくないということです。文科省によると、精神疾患による教員の病気休職者及び病気休暇取得者は約1万人(令和2年度)。ゆとり教育から20年、仕掛人として知られる元官僚の寺脇研さんは教員のゆとりなき働き方(もちろんゆとり教育の「ゆとり」は子どもたちに対するものです)についてどう思っているのか、質問してきました。
初めてのゲンロンカフェ。寺脇研さんと西田亮介さんによる「日本の教育はどこにいくのか?」を生体験してきました。質問もできたし、真摯に答えていただいたし、リアルならではのハプニングもあったし、大満足。終電の関係で最後までいられなかったことだけが残念です。ありがとうございましたφ(..) pic.twitter.com/MWTWPZwgGV
— CountryTeacher (@HereticsStar) December 21, 2021
開始から1時間くらい経ったときにちょっとしたハプニングがありました。近くに座っていた年輩の女性が寺脇さんに対して「あなたの話はつまらない」的なことを声高に言い始めたんですよね。敬意ゼロで。しかも何度も。やれ「カーンアカデミーが世界最高の授業をネットで無料で提供しているのに、なぜ日本の子どもたちはへたくそな授業を受けなければいけないのか」だの「全員首にすればいいのに」だの「雇用を守るためなのか?」だのと、ライブならではの展開とはいえ、聞くに堪えない内容に悲しくなりました。現場で理不尽な目に遭って疲弊し、終には精神疾患を患い、家族もろともボロボロになって学校を去っていったかつての同僚たちにはとても聞かせられません。
見事だったのは進行役の西田さんの対応です。降りかかった火の粉をスマートに払い、敬意も払い、動じることなく事態を収拾させていました。西田さんの「学校は ”人” と何かをするところ。1%の天才は他の99%と交流することによって成長する」という返し、よかったなぁ。さすが『コロナ危機の社会学』の著者です。危機対応、バッチリ。
西田亮介 著『コロナ危機の社会学』より。保護者の不安のマネジメントって、大事。 - 田舎教師ときどき都会教師 https://t.co/CKiFJLqZb3
— 西田亮介/Ryosuke Nishida (@Ryosuke_Nishida) August 25, 2020
とても丁寧に評していただきまして、ありがとうございました。 https://t.co/2y5QG9cqT7
— 西田亮介/Ryosuke Nishida (@Ryosuke_Nishida) August 25, 2021
ハプニングが一段落し、小休止を挟んだ後に質問タイムになったので、すぐに「教員のゆとりなき働き方」について質問しました。寺脇さんも西田さんも真剣に答えてくれて、参加した甲斐があったな、と。寺脇さんから向けられたまなざしをひしひしと感じながら思ったことは、現場で何とかするしかないということです。
ゆとり教育(ゆとりという言葉自体は寺脇さんが使ったものではありません)をひとことで表すと、寺脇さん曰く「生涯教育」。いつでもどこでも学べる社会にしようという意。2020年度の学習指導要領には、ゆとり教育がねらっていたものが全て体現されているそうです。だから本当の意味でのゆとり世代はこれからとのこと。
しかし現場にゆとりはありません。
担任にもないし、子どもにもありません。本当にゆとりがあったら、毎年1万人もの教員が精神を病むなんてことはないだろうし、不登校の子どもが20万人もいるなんてこともないはずです。教員採用試験の倍率が下がり続けているのも、ゆとりのなさゆえのことでしょう。
このあたりの感覚が、寺脇さんと私では違うなと思いました。それを官僚サイドと現場サイドというかたちに敷衍していいのかどうかはわかりませんが、いずれにせよ、寺脇さんの発言の中に「低倍率とはいえ、ブラックなのにわざわざ教員になろうとするのだから、志が高く優秀な人もいるはず」「昔だってろくでもない教員はいた」「児童相談所も人が足りない、介護現場も足りない」「働き方改革という言葉が好きではない」「教員にはやり甲斐がある」「西田さんもそうだと思うが、大学の教員も任期付きで厳しい」というようなものがあって、ちょっとした距離を感じました。それぞれメモ書きしたものなので正確ではないかもしれませんが、それら以外の発言も含め、要約して勝手に解釈すると「大人はみんな大変なんだから弱音を吐かずに頭を使って本当に学校でやらなければいけないこととそうでないことを前例にとらわれることなく見極めながら子どもたちのためにがんばれ、それができないなら政治家に何とかしてもらうしかない」と聞こえました。ゆとりはない。でも踊るしかないんだよ。村上春樹さん風に表現すれば、そういうことです。まっ、その通りなのですが。
子どもたちをよろしく。
ありがとうございます。
— 寺脇研 (@ken_terawaki) March 12, 2020
何よりうれしい感想です。この映画を作って良かった、と心から思わせていただきました。
家庭や地域社会が寺脇さんの「子どもたちをよろしく」というメッセージを受け取って、学校が背負いすぎているものを分担してくれれば、学校にも少しはゆとりが出てくるかもしれません。しかし現状、それは難しいように感じています。西田さんは寺脇さんの主張に対して、給特法の問題や民間との比較、時代性などを考慮して学校現場を擁護する発言を繰り返していました。
ありがたい。
終電と翌日の授業準備の関係で最後まで残れなかったことが残念です。聞くところによると第2弾を企画しているとのこと。ぜひ参加したいなと思います。
明日も学校です。
おやすみなさい。