田舎教師ときどき都会教師

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中原淳+パーソル総合研究所 著『残業学』より。ハッシュタグは「先生死ぬかも」ではなく「先生残業やめるってよ」に。

 仕事を通じて「フロー」や「幸福感」を持つことができるのは、それ自体悪いことではありません。しかし、この「フロー」に近しい幸福感が、超・長時間労働において感じられているのであれば、話は別です。心身の健康を犠牲にしても仕事の手を止めず、依存症的に「いつまでも働き続ける」ことになりかねません。私には、超・長時間労働とは一種の依存症に近いもののように思えます。
(中原淳+パーソル総合研究所『残業学』光文社書新書、2018)

 

 こんばんは。今日は8月15日、敗戦の日です。もしも75年前に Twitter があったら、「敗戦」或いは「日本戦争やめるってよ」のハッシュタグがトレンド入りして、「えっ」とか「本当に?」とか「桐島、早く帰ってきて」とか、そういったツイートがあふれたのではないでしょうか。終戦後、ソ連軍によってシベリアに抑留された祖父の兄も「捕虜死ぬかも」ってハッシュタグを立ち上げて助けを求めていたかもしれません。

 

 #先生死ぬかも

 

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伯叔祖父母(叔祖父さん)

 

 叔祖父さんはシベリアに抑留された後にソ連のウオロシロフ地区タロワ収容所というところで消息を絶ちました。厚生労働省のホームページにある「旧ソ連及びモンゴル抑留中死亡者名簿」にも載っています。写真が残っていて、似ているんですよね、わたしや従兄弟と。もっと生きたかっただろうな。

 

 これおかしいだろう。
 どんどん死んでいく。
 誰か何とかしてくれ。

 

 戦時中、そんなふうに心の中でつぶやいていた人は少なくないのではないでしょうか。そしてそれは75年経った今も続いていて、公立学校、或いはブラック企業と呼ばれる会社に抑留され、これおかしいだろうって、そうつぶやきながら時間(=命)を奪われている人がたくさんいます。昨日、Twitter でトレンド入りしていた「先生死ぬかも」っていうハッシュタグがその顕れでしょう。

 

 もしかして今は戦時ですか?

 

 

 

 中原淳さんとパーソナル研究所による『残業学』を再読しました。日本独特の働き方である「残業」について、あらゆる角度から迫り、エビデンスベースで分析した本です。先生死ぬかも、なんていうハッシュタグがトレンド入りする盆休みのいま、校長や副校長、同僚の先生たち、特に残業麻痺に陥っている先生たちにはうってつけの「夏の課題図書」だと思います。

 残業「学」と名付けられているだけあって、この本は「講義形式」で進んでいきます。オリエンテーション「ようこそ!『残業学』講義へ」に続く各講義のタイトルは以下の通りです。

 

 第1講 残業のメリットを貪りつくした日本社会
 第2講 あなたの業界の「残業の実態」が見えてくる
 第3講 残業麻痺――残業に「幸福」を感じる人たち
 第4講 残業は、「集中」し、「感染」し、「遺伝」する
 第5講「残業代」がゼロでも生活できますか?
 第6講 働き方改革は、なぜ「効かない」のか?
 第7講 鍵は、「見える化」と「残業代還元」
 第8講 組織の生産性を根本から高める
 最終講 働くあなたの「人生」に希望を

 

 残業学を理解する上でキーとなるのは、第3講の「残業麻痺」です。命にかかわるのだから、わたしとしては「主体的・対話的で深い学び」という言葉よりも広まってほしい言葉です。

 

 残業麻痺って?

 

 文字通り残業に対する感覚が麻痺してしまい、普通ではなくなる状態のことをいいます。金銭感覚が麻痺するとガンガンお金を使ってしまうように、残業感覚が麻痺するとガンガン時間を使ってしまいます。時間、すなわち命です。

 

 命を削る、残業麻痺。

 

 そもそも、なぜ残業が起こるのかといえば、それは「メンバーシップ型(内部労働市場)」という、欧米諸国の「ジョブ型(外部労働市場)」とは違った日本独特の雇用慣行がまずあり、そしてそこから生じた終身雇用・年功序列型賃金という、これまた日本独特の制度があり、さらにはジョブ型では考えられない「時間の無限性」と「仕事の無限性」という負の相乗効果があり、って詳しくは第1講と第2講を受けていただければすぐにわかることなのですが、とにかく残業は歴史的につくられてきた構造、すなわち日本の「社会のしくみ」から生じているというわけです。だから個人の努力だけではなかなか回避できない。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 メンバーシップ型の雇用慣行のもとで残業をしていると、仕事のできる人ほど幸福を感じるようになります。「わたしは凄い!」って。そしてどんどん麻痺して、どんどん残業にのめり込んでいく。『残業学』には、過度な残業(60時間超/月)によって「健康」や「持続可能な働き方」へのリスクが高まっているのにもかかわらず、幸福感が増している人たちが一定数存在しているということが、データとしてはっきり示されています。ただしその「増している」は《残業時間が60時間を超えたほうが、普通の状態よりも幸福度が高まる》わけではなく、あくまでも45~60時間の層より上昇しているという話。当然のことながら、普通(=残業1~10時間)がいちばん幸せ、と出ています。

 

 身近な残業麻痺。

 

 仕事ができるできないは別として、わたしもそういった状態に陥っていた時期が数年あり、リアルに振り返ることができるので、残業麻痺の感覚はよくわかります。めちゃくちゃ楽しいんですよね。幸福感に満ちている。仕事が自分の思い通りになっているという自信も得られるし、メンバーに頼られて承認欲求も満たされるし、クラスも絶好調。まさに無双。

 

 心理学でいうフロー状態です。

 

 しかしこれはまずい。なぜまずいかといえば、それは時間を度外視して働くことによって、つまり残業することによって、心身の健康だけでなく、家庭や社会の健康も害することになるからです。時間外までがんばりすぎる先生は、大迷惑。どういうことかといえば、それは下のブログに書いたので、是非。簡単にいうと、教員の仕事量を増やしているのは、教員のなり手を減らしているのは、がんばっている先生たちの「残業麻痺」によるものかもしれない、という内容です。

 

 地獄への道は善意で舗装されている。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 冒頭の引用にあるように、仕事を通じた「幸福感」や「フロー」を、勤務時間外ではなく、勤務時間内に持つことができればいいなって、そう思います。そんな校内研究だったら、興味を持って取り組めるのになぁ。勤務時間内に「幸福感」と「フロー」を持つことのできる学校。きっと子どもたちも幸せだろうな。いずれにせよ、中原さんが読者に語る、美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい残業の話 =『残業学』の一読をお勧めします。

 最後にひとつ。叔祖父さんが生きたくても生きられなかった時間を想えば、未来のハッシュタグはこうなるはずです。先生死ぬかも、ではなく、

 

 先生残業やめるってよ。

 

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)