田舎教師ときどき都会教師

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ブレイディみかこ 著『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』より。管理職も大変だよねって、その考え、違うから。

 つまり、被害者役の参加者たちは、まさに「他者の靴を履く」ことによって健太郎の被害者の心情を想像しながら、同時に自分自身の被害者たちの靴も履いているのだ。そして彼らから被害者としての怒りや恐れをぶつけられている健太郎は、最初はまるで自分自身の役を演じるように冷静に反応しているが、徐々にその「鉄仮面」が溶け出し「I」が表出してくる。
(ブレイディみかこ 『他者の靴を履く』文藝春秋、2021)

 

 おはようございます。学期末の仕事に追われ、具体的には通知表の作成に追われ、最後にブログを更新してから2週間も経ってしまいました。勤務時間内には絶対に終わらない量の仕事(始まりもしない仕事)が、なぜデフォルトとして設定されているのでしょうか。他者の靴を履くことによって、すなわちエンパシーによって教員の心情を想像してほしい。そして想像するだけでなく、アナーキーのマインドセットをもって、より良い状況に変える道を共に探してほしい。アナーキック・エンパシーをすすめる所以です。

 

 アナーキック・エンパシー?

 

 

 ブレイディみかこさんの新刊『他者の靴を履く  アナーキック・エンパシーのすすめ』を読みました。ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で思わぬ反響を得たという、「エンパシー」という言葉を掘り下げていったスピンオフ作品(著者曰く「副読本」)です。

 

 問題)エンパシーとは何か?

 

 ベストセラー『ぼくはイエロー~』によると、イギリスの公立学校に通っていた、ブレイディさんの息子さん(当時11歳)は、試験の答案に「自分で誰かの靴を履いてみること」と書いたとのこと。このシンプルな解答が《「共感」ではない他者理解があるよな》と前々から感じていた読者に刺さります。

 

 私にも刺さった。

 

 だから今年の学年便りのタイトルは「エンパシー」にしました。我ながら先見の明があるなって思いながらブレイディさんの新刊を読み始めたら、映画『プリズン・サークル』(坂上香 監督作品)に言及する下りが出てきて、やはり我ながら先見の明があるな、と。

 

 以前にブログで紹介したことがあったからです。

 

www.countryteacher.tokyo

  

 

 冒頭の引用は、その『プリズン・サークル』に言及した下りで出てくる話です。映画の舞台は島根にある男子刑務所。受刑者の一人である健太郎が、学校でいうところのサークル対話に特徴づけられる「TC(Therapeutic Community/回復共同体)」という名のプログラムを受講することによって《「I = 自分を主語として語る本当の言葉」》を獲得し始める場面です。エンパシーを巡る冒険はアナーキーにたどり着くという、新刊におけるブレイディさんの思索を結論づける場面でもあります。ここでいう「アナーキー」とは「自分軸」のこと。《わたしはわたしであって、わたし自身を生きる》ということ。つまり、

 

 エンパシーだけでは危険だという話。

 

 労働者階級の人々に染みついている「助け合いの精神」を刺激するようなスローガン(例えば、「この国はこのままでは破産します」「未来の世代のためにみんなで我慢して借金を減らしましょう」など)を使って政府が福祉や医療などへの投資をケチっている理由を説明すると、なぜか当の苦しんでいる庶民のほうが「じゃあみんなでがんばって我慢しよう」と政府を支持してしまうのである。

 

 エンパシーだけでは、ひろゆきさんいうところの「肉屋を応援する豚」になってしまいます。猪瀬直樹さんいうところの「ミカドを ”空虚な中心” とした日本のシステム」は、中心を必要としないアナキズム(と民主主義)に反するものであり、システム上「闇落ち」しがちなエンパシーをそうさせないためには、西加奈子さんがいうところの「I」の構築が求められるというわけです。だから、

 

 アナーキック・エンパシーのすすめ。

 

 ブレイディさんは、ひろゆきさんとか猪瀬直樹さんとか西加奈子さんではなく、プリズン・サークルとかニーチェとか伊藤野枝とかサッチャーとか相互扶助を唱えたクロポトキンとかを引き合いに、あらゆる角度からこのことを説明します。曰く《そしてここでも、〈「I」の獲得=利己的になること〉と〈エンパシー=利他的になること〉の明らかなリンクがみえる》云々。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 自立貢献。

 

 現在、広島県の教育長として辣腕をふるっている平川理恵さんが、横浜市の中学校で民間出身校長として活躍していたときに掲げていた学校目標です。自立だけでは駄目。貢献だけでも駄目。自立と貢献、両方揃ってこそ意味があります。

 

 アナーキック・エンパシーもそういうことでしょう。

 

 ブレイディさんは、エンパシーを働かせる側にアナーキーな軸が入っていれば、ニーチェの言った「自己の喪失」は起きない、とあとがきに書いています。

 最初の話に戻れば、勤務時間内には絶対に終わらない量の仕事がデフォルトとして設定されていることに怒りの声を上げよう、となるでしょうか。ライフ(勤務時間外)までもがワークで埋め尽くされると、自己は喪失し、あっという間に肉屋を応援する豚になってしまいます。そうはいっても、管理職も大変だよね、みたいな。

 

 その考え、違うから。

 

 たぶん。