田舎教師ときどき都会教師

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早見和真 著『新! 店長がバカすぎて』より。ケアとエンパシーときどき利他。他者理解と自己理解。

 つまりはそういうことなのだ。私が認識している谷原京子と、周囲が見ている谷原京子とは少し違う。ひょっとしたら周囲が見ている自分は、私が見せたいと願っている自分の姿でしかなくて、それがなんとか成功しているからギリギリのところで周囲と折り合いをつけられているだけなのかもしれない。
(早見和真『新! 店長がバカすぎて』角川春樹事務所、2022)

 

 おはようございます。10日ほど前に『世界は贈与でできている』の著者・近内悠太さんの話を聴く機会がありました。場所は平川克美さんが店主を務める隣町珈琲、テーマは「ケアとエンパシーときどき利他」です。店主がバカすぎて、ではなく、店主が優秀すぎて、そして街場の大学という場を主催しているだいまり(代麻理子)さんも優秀すぎて、もちろん近内さんも優秀すぎて、書店員の谷原京子が『店長がバカ過ぎる』の著者・大西賢也を招いて行ったトークイベントに負けず劣らずの大盛り上がりでした。学期末の繁忙期でしたが、めちゃくちゃ無理を押して東京まで足を運んで、よかった。

 

待場の大学/近内悠太さん(2022.12.15)

 

 私たちはめちゃくちゃ無理をしている。サバンナでの暮らしをデフォルトとしている私たちの脳は、150人以上の共同体を想定していないのに、現代人はいやが上にもその数(いわゆるダンバー数)をはるかに超える他者との接触を余儀なくされている。疲れないはずがない。だからケアという言葉に光が当たっている。

 以上が、私が勝手に解釈した近内さんの話の入口です。私たち教員にも、谷原京子が働いている武蔵野書店の書店員にも、ケアが必要というわけです。教員も書店員も、150人どころではない他者とかかわっているわけですから。

 

 ケアの概念を拡げたい。

 

 近内さんはそう続けます。私の勝手な解釈も続けます。ケアの概念を拡げる(?)。どうやって(?)。「大切にしているもの」という観点を導入することによって。近内さん曰く「ケアとは、その他者が『大切にしているもの』を、共に大切にする営為全体のことである。利他とは、自分の大切にしているものよりも、相手の大切にしているものの方を優先する行為である」云々。もしもそのようにケアや利他の定義を拡大したとしたら、愛されていたということに気づくチャンスが増えるかもしれない。あるいは、ケアされていたということに気づくチャンスが増えるかもしれない。すなわち「世界は贈与でできている」ということに気づくチャンスが増えるかもしれない。なぜなら、贈与は、差出人ではなく、受取人の想像力から始まるからです。

 

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 ケアの概念を拡げたいという話の流れで登場するのが、ブレイディーみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のヒットによって知られるようになった「エンパシー」という言葉です。相手が「大切にしているもの」を理解するためには、他者の靴を履いて考える力、すなわち「エンパシー」が必要であるという理路です。十人十色の他者が登場する、早見和真さんの『新!  店長がバカすぎて』も、近内さんいうところの「ケアとエンパシーときどき利他」を補助線にして読み進めていくと、より一層、味わい深くなるのではないかって、これもまた私の勝手かつバカな解釈ですが、ケアの目線で読み進めてもらえると、

 

 嬉しい。

 

新! 店長がバカすぎて

新! 店長がバカすぎて

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 早見和真さんの『新! 店長がバカすぎて』を読みました。2020年の本屋大賞にノミネートされた『店長がバカすぎて』の続編です。前作と同様に、笑いあり、大どんでん返しあり、そしてミステリーありの三拍子揃った作品です。角川春樹さん曰く《ミステリーを書いてほしいとオファーした》云々。タイトルからは想像できないオファーです。そんなところも、おもしろい。

 

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 目次は以下。

 

 第一話 帰ってきた店長がバカすぎて
 第二話 アルバイトがバカすぎて
 第三話 親父がバカすぎて
 第四話 社長のジュニアがバカすぎて
 第五話 新店長がバカすぎて
 第六話 やっぱり私がバカすぎて

 

 前作の目次と同様に、バカがたくさん出てきます。そして、これまた前作と同様に、ページをめくっていくと、このバカの裏にはカワイイが含まれていることに気付きます。アルバイト、契約社員、正社員、店長、社長、社長のジュニア、お客様、小説家、父親、等々。主人公の谷原京子が、さまざまなポジションにいる「バカ」とかかわることによって、他者のくつを履き、他者理解と自己理解を進めていくというわけです。冒頭の引用にある《私が認識している谷原京子と、周囲が見ている谷原京子とは少し違う》というのも、他者を鏡にして進んだ自己理解のひとつといえるでしょう。

 で、ネタバレのないように、内容については語りませんが、近内さんの「ケアとエンパシーときどき利他」を補助線としたときに、次の一文って重要だなぁと思いました。読めばわかりますが、ミステリーという意味で、物語の構造的にも重要です。

 

 これです。

 

 それまで主人公だと思っていたキャラクターが脇役に過ぎず、脇役かと思われていた人物が本当の主人公だったと明かされ、世界の色が白から黒に反転したときには、私はここ最近の店長に対する疑念はおろか、いまここにいる自分という存在さえ忘れかけていた。

 

 視点が入れ替わるんですよね。他者の靴をはいてみたら、世界が違って見えたということです。エンパシーは、世界の色を白から黒に反転させるくらいのインパクトをもつことがある。だから難しく、ややこしい。でもだからこそ、小説『新!  店長がバカすぎて』に負けず劣らず、人生っておもしろい。

 

 今日は仕事納めです。

 

 行ってきます。