あんなにすばらしい歌手だったのに――映話をすませて受話器をもどしながら、リックはそう考えた。おれにはわからない。あれだけの才能が、どうしてわれわれの社会の障害になるわけがある? だが、問題は才能じゃない、と自分にいいきかせた。アンドロイドだってことが問題なんだ。
(フィリップ・K・ディック 著『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ハヤカワ文庫、1977)
こんばんは。映話というのは、火星から逃亡してきたアンドロイドに懸賞金がかけられている第三次世界大戦後の未来のガジェットのことです。第二次世界大戦後の現在でいうところのテレビ電話といえば伝わるでしょうか。フィリップ・K・ディックが描いた未来の世界には、映話の他にも興味深いガジェットがいくつも出てきて、例えば、
共感ボックス(Empathy box)。
学年便り(小学5年生)のタイトルが「エンパシー」なので、それこそ共感を覚えます。共感ボックスがどんなガジェットなのかという説明はさておき、他者の靴を履いて想像する力、すなわち感情移入の能力って、国算理社のABC(成績)よりも大切ですよね。ディックも同じように考えていたって、訳者である朝倉久志さんが「あとがき」にそう書いています。
つまり、ディックは、感情移入を人間の最も大切な能力と考えているのです。本書の中での共感ボックスの役割も、また、人間とアンドロイドとの鑑別に感情移入度検査が使われている理由も、これでなっとくできます。
《つまり》の前段で言及されているのは、ディックの小説『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』に出てくる《では、上昇は?・・・・・・それはどうすればなしとげられるのか? 感情移入をつうじてだ。外側からではなく、内側から他人を把握することによってだ・・・・・・》というくだりです。エンパシーというルビが付けられている《感情移入》を別言すると、
共感性。
子どもたちの「共感性」を高めるためにはどうすればいいのか。昨夜、そういった取り組みを共同で行っている大学の先生と、牡蠣を食べつつ、ワインを飲みつつ、2学期の振り返り&3学期の打合せをしました。大学の先生曰く、アンケート調査で得られる「共感性」に関する数値には、論文としての価値はあっても、
なんか、違う。
実態と違うという意味です。素晴らしい。象牙の塔にこもることなく、教室にしばしば足を運んでくれたり、子どもたちを大学に何度も招いてくれたりするからこその見方・考え方です。おそらくは子どもたちの夢を見ることもあるでしょう。それくらい、
親切ということ。
P・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』読了。途中登場人物が人間なのかアンドロイドなのかわからなくなる。どんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。著者の見方・考え方。教室でも話そう。#読了 pic.twitter.com/3XiQpgfkvY
— CountryTeacher (@HereticsStar) December 28, 2023
ちなみに、電気羊が登場する第三次世界大戦後の未来では、人間とアンドロイドとの鑑別にフォークト=カンプフ感情移入度検査法という、ソ連のパヴロフ研究所によって開発された感情移入能力を測るテストが使われています。主人公のリック・デッカードはこのフォークト=カンプフ感情移入度検査法によって火星から逃亡してきたアンドロイドを見つけ、「処理」しようとするんです。殺すということです。
ゾッ。
フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読みました。映画『ブレードランナー』(リドリー・スコット 監督作品)の原作であり、SFの古典でもあります。タイトルがユニークなだけに、聞いたことがある(!)という方が多いのではないでしょうか。でも、古典なだけに、聞いたことはあっても読んだことはない(!)という方も多そうです。私もそうでした。
電気羊って、何?
第二次大戦後の世界線でいうところのペットロボット(ソニーの犬型ロボット、アイボ)のようなものです。第三次大戦後の世界線では、地球は放射能灰に汚染されていて、生きている動物はほとんどいません。だから本物を所有していることが地位の象徴となっていて、
本物がほしい。
そう思っている人がたくさんいます。主人公のリック・デッカードもその一人。いま飼っている電気羊もかわいいけれど、夢に出てくるくらいかわいいけれど、本物がほしい。だから火星から逃亡してきたアンドロイド8人を処理して懸賞金を得よう。その懸賞金で本物を買おう。そういったプロットです。ややネタバレになりますが、
白眉は以下。
これは人工物への感情移入だろうか? 生き物をまねた物体への? しかし、ルーバ・ラフトは、まぎれもない生き物に思えた。偽装という感じはまったくしなかった。
「それが」とフィル・レッシュは静かにきいた。「どういうことになるか、わかっているんだろうな? もしわれわれが、いま動物をそうしているように、アンドロイドを感情移入対象の枠内へ含めたとしたら?」
どうなると思いますか?
ルーバ・ラフトというのは処理される側のアンドロイドで、フィル・レッシュというのは処理する側の人間あるいはアンドロイドです。動物に対するのと同じように、アンドロイドに対しても感情移入してしまうんですよね、リックは。処理すべきアンドロイドとの関わりの中で、共感性が生まれたのでしょう。読者もきっと、
感情移入します。
アンドロイドに、です。アンドロイドにも感情があるように思えるからです。でも、アンドロイドには感情移入の能力が組み込まれていません。他者の靴を履けないということです。感情があり、共感性も高い人間と、感情はあるように見えるけれど、共感性はないアンドロイドが戦ったら、
どうなると思いますか?
読むとわかります。本の帯に書かれている「AIと人間を隔てるものはなにか」という問い対するディックの答えもわかります。古典を読んだという満足感も得られます。なぜこの作品が古典になっているのかという理由もわかります。学力も大事だけど、
共感性はもっと大事。
おやすみなさい。