コールバーグは自身の理論を検証するために、10歳から16歳までの少年72人に次のような質問をしている。「ハインツの奥さんがガンで死にかかっている。特効薬で助かるかもしれないが、それを買うお金が半分しか集まらず、交渉したが断わられた。困ったハインツは倉庫に忍び込んで、薬を盗んだ」という事例を話した後、「薬を盗むべきだったか?」「なぜそう思うか?」を尋ねたのである。
(山竹伸二 著『共感の正体』河出書房新社、2022)
こんばんは。被験者72人の中に少女が含まれていないのなぜでしょうか、という疑問はさておき、上記はいわゆる「ハインツのジレンマ」と呼ばれる、道徳の授業にも使える事例です。コールバーグというのはもちろん、道徳性発達理論の提唱者である心理学者のローレンス・コールバーグ(1927ー1987)のこと。教員採用試験対策(!)みたいな参考書によく載っていましたよね。道徳性は6つの段階を経て発達していくという、
これです。
① 善悪を懲罰や服従で考える段階
② 善悪を報酬や利益によって考える段階
③ 周囲に同調し、良い子であるかどうかで考える段階
④ 権威の尊重や法への服従、社会的側面を考える段階
⑤ 規則も大事であるが生命の尊さに気づく段階
⑥ 万人を尊重する段階
コールバーグの理論によると、冒頭の引用にある「薬を盗むべきだったか?」「なぜそう思うか?」に対する答えは、この6段階に応じて変わっていくことになるわけですが、
異議あり!
子育ての経験上、それから教員としての経験上、この理論にはいくつか腑に落ない点があります。心理学者の山竹伸二さんもそう感じたようで、曰く《第一段階の道徳性にしても、親の命令に従う以前に、すでに共感による利他的行為が見られる点をどう評価するのか、コールバーグの理論でははっきりしないのである》とのこと。
共感による利他的行為。
親ばかと言われればそれまでとはいえ、長女にも次女にも早い段階(1歳とか2歳とか)で「共感による利他的行為」があったように思います。大学生と高校生になった現在よりも純粋かつプリミティブな利他的行為です。では、その利他的行為、すなわち道徳的行為を可能ならしめた、
共感の正体とは?
山竹伸二さんの『共感の正体』を読みました。読もうと思ったきっかけは、プライベートで定期的に参加しているNPO主催の読書会というか勉強会というか研究会というか、とにかくその「会」のテーマにぴったりだったからです。特に、帯に書かれている3つの問いがどんぴしゃり。私たちはなぜ、人を助けるのか。「ケア」や「利他」に共感は必要か。そもそも共感とは何なのか。学年経営でも子どもたちの「共感性」を高める取り組みをしていることから、まさにどんぴしゃりの一冊でした。
目次は以下。
はじめに いまなぜ ”共感” か?
Ⅰ部 共感の科学
1章 動物も共感するのか?
2章 共感の起源を探る ―― 科学的研究の成果
Ⅱ部 共感の哲学
3章 哲学者の捉えた共感と反共感論
4章 共感とは何か ―― 現象学から本質を問う
Ⅲ部 共感の未来
5章 心を癒す共感の力 ―― 心のケアの原理を考える
6章 なぜ私たちは人を助けるのか?
おわりに
科学だったり哲学(現象学)だったり、それから進化心理学だったり。さまざまな学問の知見を横断しながら「共感」という言葉の解像度を上げていくところにこの本のおもしろさがあります。本質観取、なんていう教育関係者には馴染み深い(?)手法も出てきます。対話で合意形成する力を育むにはどんぴしゃりだとして、哲学者の苫野一徳さんが学校現場に広めている手法です。せっかくなので少しだけ紹介します。よい教育とは何か、ではなく、
共感とは何か。
まず、共感を抱いた体験をできるだけたくさん想起し、内省してみると、共感の体験には大きく分けて二種類あることがわかる。一つは自分が相手と同じ感情になっていると認識している場合であり、もう一つは相手と同じ考え方、感受性、価値観であることを認識した場合である。科学的な研究においても、この二つは情動的共感と認知的共感に分けられている。
本質観取のはじまりの部分です。イメージが湧くでしょうか。ちなみに長女や次女が1、2歳の頃に見せていたのは情動的共感です。成長するにつれて、そこにだんだんと認知的共感(例:~さんの考え方に共感する)がプラスされていくわけですが、そのときに大きな役割を果たすのが、
言葉です。
言葉が感情を細分化するからです。ここが人間と動物の大きな違いです。ゾウやイルカなどの動物は情動的共感はできても、想像力や推論する力などを必要とする、すなわち言葉の力を必要とする認知的共感はできません。情動的共感と認知的共感に価値の優劣はないものの、やはり言葉って大事です。言葉といえば、
ノーム・チョムスキー。
言語学者のノーム・チョムスキー(1928ー)が、生得的な言語の獲得能力は、人間に固有の絶対的な能力であると喝破したように、共感能力も人間に固有の絶対的な能力なのではないでしょうか。すなわち、共感能力は人間にもともと備わっているということです。だからフィリップ・K・ディックは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中で人間とアンドロイド(AI)の違いを感情移入、すなわち共感能力の有無に置いたのではないでしょうか。
ノーム・チョムスキーとか、フィリップ・K・ディックとか、どんどん話が逸れていってしまいました。これも言葉による想像力の為せる業です。で、収集がつかなくなってきたので、以下に著者が整理した共感の原理を載せます。
- 共感が生じる経験は、①「情動的共感」と②「認知的共感」の2つに分けられる。
- 共感の質は心の発達、特に自己の確立と認知の発達にともなって変化する。
- 他者の共感によって得られる自己了解と「存在の承認」。
- 心理的距離、空間的距離の近い人間ほど共感が生じやすい。
- 共感力には個人差がある。
- 共感は感情の共有であり、自己了解と同時に他者了解が生じている。
- 共感は他者理解をとおして他者のためになる行動(利他的行為)を生む。
- 共感は喜びだけでなく、苦しみを生む場合もある(共感的苦悩)。
- 共感はお互いを理解し、協力し合う基盤となり、文化・社会を形成する。
8と9だけ補足しておくと、共感的苦悩というのは、例えば担任がAさんを叱っているときに、それを近くで聞いていた共感力の強いBさんが苦悩してしまった、というようなケースを想像していただければわかると思います。いわゆる繊細さんってやつです。9については、共感によって文化・社会が形成される一方で、偏見や差別も生まれるというデメリットもあって、著者はそれを排他的共感と呼んでいます。つまり、共感=善、というような単純な図式ではないということです。とはいえ、
やはり共感のメリットは大きい。
共感は人と人とのつながりを生み出す最も重要なものである。共感があるからこそ、私たちは孤独から脱け出し、勇気を持つことができる。自分の気持ちが受け容れられたように感じ、自分の存在価値に自信を持つことができる。私たちが共に助け合い、協力して生きることができるのは、単に自分が助かるからというだけではない。共感によって他者とのつながりに喜びを見出し、お互いの価値を感じ合うことができるからなのだ。
おわりに、より。大いに共感です。
山竹伸二さんの『共感の正体』読了。科学や哲学(現象学)、心理学などの知見を横断することによって共感の正体に迫っていく。著者の《共感は自己の存在そのものが承認された実感を生み、そのことによって、自己了解が促され、自由に生きる可能性をもたらすのだ》という見方・考え方に共感。#読了 pic.twitter.com/drNKUXYKhO
— CountryTeacher (@HereticsStar) January 8, 2024
昨日は読書会+勉強会+研究会に新年会もプラスして、お腹も心も大満足な夕~夜でした。共感によって他者とのつながりに喜びを見出し、お互いの価値を感じ合うことができたような気がします。可能であれば、3学期もそんな毎日がいいな。さらに、正月太りが早めに解消できるといいな。ついでにお腹がバキバキになるといいな。
明日は始業式です。
おやすみなさい。