田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

三浦英之、阿部岳 著『フェンスとバリケード』より。ジャーナリズムと同様、教育も語るものではない。それは実践するものである。

「何を背負って、何に向けてペンを握っているのかを、執筆する記事で示せるのがいい記者だと初任地の上司に言われました。自分の存在感と問題意識と個性は記事で示せと。それがかなわなくなっているので、朝日新聞を去ります。ちなみに辞めて何するかは全く白紙です」と宮崎はSNSの返信に書いていた。
 僕は「私の個人的な心情からすれば、宮崎さんには会社に残ってほしい。自由に発言できる記者をもうこれ以上失いたくないです」とSNSで慰留をしたが、彼女の決意はその後も変わらず、四ヶ月後に退社した。
(三浦英之、阿部岳『フェンスとバリケード』朝日新聞出版、2022)

 

 こんばんは。自分の存在感と問題意識と個性をクラスづくりで示せる教員をもうこれ以上失いたくないのに、あるいは自由に発言できる教員をもうこれ以上失いたくないのに、

 

 学校現場を去ります。

 

 そう口にした彼と彼女を慰留することができなくて、悲しい。詳しくは書けませんが、半年前&ここ最近、そういったできごとがあって、悲しく思いました。とはいえ、沖縄タイムスの阿部岳さんをして《海に沈み、水圧につぶされかかった難破船のような息苦しい業界の中で、三浦英之は突き抜けた異能の持ち主である》と言わしめた朝日新聞の三浦英之さんでも説得できない相手がいるのだから、仕方のないことなのかもしれません。

 

 セラヴィ。

 

 

 現場から野蛮な記者が去って、記者の質が下がるのはまずい。政治家や官僚のやりたい放題になるからです。現場から野蛮な教員が去って、教員の質が下がるのもまずい。いじめっ子や理不尽な保護者のやりたい放題になるからです。強い立場にいる人たちのやりたい放題によって生まれる、弱い立場にいる人たちの「苦しみ」は計り知れません。民主主義を揺るがす「苦しみ」です。つまり、記者と教員の質が下がれば、

 

 国の質も下がる。

 

 ジャーナリズムと同じように、学校現場にも「教育は語るものではない。それは実践するものである」という不文律があります。たった今、私がつくりました。そしてこう思います。学校現場を去っていく彼も彼女も、その不文律に従っていたのに。野蛮で情に厚い教員だったのに。だからやっぱり、

 

 悲しい。

 

 

 三浦英之さんと阿部岳さんの『フェンスとバリケード 福島と沖縄 抵抗するジャーナリズムの現場から』を読みました。フェンスというのは米軍新基地建設が計画されている名護市辺野古の海を分断しているそれのことを、つまり沖縄を指します。バリケードというのは原発事故によって帰還困難区域になった「帰れない村」の周りに張り巡らされたそれのことを、つまり福島を指します。沖縄を「抵抗するジャーナリズムの現場」としているのは阿部さん、福島を「抵抗するジャーナリズムの現場」としているのは三浦さんです。二人の地方記者はそれぞれの現場で何を考え、いかに行動したのか。以下、目次です。

 

 はじめに 沈みかかった船の上から 三浦英之
  第1章 首相会見をこじ開けろ 三浦英之|福島県浪江町
  第2章 縄張りを超えろ 阿部岳|東京都千代田区
  第3章 政治部に行きたい 三浦英之|福島県南相馬市
  第4章 権謀術数の人 阿部岳|沖縄県名護市
  第5章 原子力災害伝承館が伝えないもの 三浦英之|福島県双葉町
  第6章 前へ前へ 阿部岳|沖縄県那覇市
  第7章 わが故里は幸多し 三浦英之|福島県大熊町
  第8章 束になってかかること 阿部岳|沖縄県那覇市
  第9章 運命の日 三浦英之|福島県浪江町
  第10章 国家と保守政治家 阿部岳|福島県浪江町
  第11章 僕が動画を削除しない理由 三浦英之|岩手県一関市
  第12章 捨て石の島で 阿部岳|沖縄県糸満市
  第13章 糊などついていなかった 三浦英之|広島県広島市
  第14章 呼び合う者たち 阿部岳|福島県大熊町
 おわりに 心の中に金網はないか 阿部岳

 

 章立てを見ればわかるように、全国紙に所属する三浦さんと、地方紙に所属する阿部さんが交互に書くリレーエッセイ形式になっています。組織に所属している三浦さんと、組織に所属していない布施祐仁さんが交互に書いた『日報隠蔽』を思い出すのではないでしょうか。『フェンスとバリケード』にせよ、『日報隠蔽』にせよ、三浦さんの「外部の人とのコラボ」力はすごい。学級づくりや授業づくりにも取り入れたいところです。そういえば、三浦さんや阿部さんに負けず劣らず、布施さんも野蛮な感じだったなぁ。

 

 えっ、野蛮? 

 

 権力に足元を見られている。市民からは癒着に不信の目が向けられている。残された時間はあとわずかだ。
 危機はメディアの規模、業態、持ち場を問わない。各地の記者がそれぞれの方法で、時に縄張りを超えて、権力にぶつかっていくほかに打開の道はない。
 自主規制しない。制止されるまで突っ込む。制止されたら根拠を尋ね、不当なら従わない。自前の報道倫理に従う。現場が米軍機の墜落地点でも首相官邸でも、同じことだ。
 元来、記者とはそういう「野蛮」な稼業のはずだった。

 

 野蛮というのはそういう意味です。記者の記者たる所以を体現している三浦さんと阿部さんの「野蛮さ」が垣間見えるエピソードを1つずつ紹介します。

 

 先ずは三浦さん。

 

 僕は意を決して質問を切り出した。
 狙いは一点――彼が2013年に東京オリンピックを招致する際、福島第一原発の状態を「アンダーコントロール」と発言した、その真意についてである。
 質問の際、わずかに声が震えた。

 

 第1章より。これは『白い土地 ルポ  福島「帰還困難地区』にも書かれているエピソードですが、何度読んでも震えます。禁を破って質問するんですよね、総理大臣に。わずかに声が震えたというところに三浦さんの野蛮ではない部分の人柄が表れていて、よい。それにしても、小学5年生ですら「きいてきいてきいてみよう」という国語の単元で、いわゆる「更問い」を学んでいるのに、なぜ《内閣府の担当者の号令によって、ぶら下がりはたった一問で打ち切られた。それが首相の地方視察における慣例なのだろう。質問を続ける記者も、その終了の仕方に異議を唱える記者もいない》なんてことになっているのでしょうか。進みつつある教師のみ人を教うる権利あり、ではなく、《すみません!》って意義を唱えて質問をした三浦さんのみ記事を載せる権利ありって、そう言いたくなります。

 

 同じようなことは今なお続いています。

 

 

 そして阿部さん。

 

 尊敬する記者の言動を胸に刻んでいる。シンプルなこと。重大な情報を得たら書く。たとえ時間をかけて築いた関係でも、それをぶち壊しても。「人でなしと言われればその通り。書くために付き合っているんだから」

 

 第8章より。その尊敬するベテラン記者である石井暁さん(他社)に、あるとき阿部さんは《「私は記者になって23年になりますが、年を重ねるにつれて辺野古のような愚策ぐらいは止めたいと強く思うようになりました」》《「会社の枠など気にしている場合ではないので、手に負えないネタはご相談してみようと思い立った次第です」》とメールをして、ほとんど話したこともないのに合同取材を申し込むんです。やはり、

 

 学校の枠など気にしている場合ではありません。

 

 大切なのは外部とのコラボです。結果、阿部さんと石井さんは《「辺野古 陸自も常駐」「海兵隊と極秘合意」「日米一体化 中核拠点に」》というスクープ(2021.1.25)を飛ばすことになります。結果の結果、石井さんはまた一人貴重な情報源を失ったとのこと。書くことによって人間関係をぶち壊したということです。阿部さん曰く《日ごろ取材対象と懇意にしていて、「いざとなれば後ろからたたき斬る」などと勇ましいことを言う記者はいくらでもいる。石井のように実際にたたき斬ってきた記者を、私はあまり知らない》云々。そうそう、阿部さんが「おわりに」に書いている最後の3行があまりにもカッコいいので、

 

 ぜひ手にとって読んでほしい。

 

鎌倉は小町通りのもみじ茶屋にて(2024.1.7)

 

 今日は家族で鎌倉に行ってきました。写真は長女が美味しそうに食べていた「釜あげしらたま」です。こういった「小確幸」が得られるのも、野蛮で情に厚い記者や教員が、ぎりぎりのところで国の質を保ってくれているからでしょう。だから国がピンチのときは、いざ鎌倉へ、ではなく、

 

 いざ現場へ。

 

 おやすみなさい。